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「感情の時代」。感情を抑えてきた不要なフタがなくなっていく時代。

しばらくnoteを書けていませんでした。たいしたことを書こうとするから、何も書けなくなるんだよなあ。オチがなくていいから最近肌で感じていることを文字にしていきたい。

以前書いた「グラデーションの思想」の最後に、この思想が必要になるのは、これからが「感情の時代」になるからだ、みたいなことをちらっと書きました。そのことについてずっと考えていて、多分1記事では終わらないのですが、書き始めてみます。

「感情の時代」が来る。
何がいいたいかと言うと、まあよく言われる話かもしれませんが、これから
「システムで置き去りにされていた感情を取り戻して人間がより自然になる時代」になっていくだろうなということです。

ベストセラーになった山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』を読んで、私が一番印象に残っているのは、
ビジネス世界において、「なんかいい」「可愛い」「かっこいい」という直感や、泣く、悲しむといった喜怒哀楽が、基本的に排除されてきた、という話でした。

たしかに、不条理な理由で怒られても、オフィスで泣くのは憚られるからトイレで泣いたりね。
会議でAかBどっちにしましょう、ってなったとき「なんかいいから」では非論理的で、数値を出してからとか、多数決でとか、そういう話になってしまったりね。

オフィスだけじゃない。満員電車に乗ることだって、本当はものすごく嫌なはずなのに、その感情は「定時」というシステムによって押し殺される。
深夜のコンビニでレジを打ってくれることだってありがたいことなのに、そういうシステムだからと、感謝も忘れる。
道端の花が綺麗だとか、今日の風はいい匂いがするだとか、そんなことを感じる余裕は基本ない。

女なら、好き嫌いは別としてヒールとスカートで、おしとやかに。爆笑なんてはしたない。男が泣くなんて情けない、と言われてきたから簡単に涙は出ない。

現代になるにつれて、そして大人になるにつれて、私たちは感情に蓋をすることを覚えた。その方が効率がいい。


でも、ほとんどの人の中には感情が存在していて、それが時々爆発する
最近、その爆発が顕著になっている気がしていて、それは例えば、フェス、ハロウィン、ワールドカップ、ディズニーランド、ご褒美スイーツ、コミケとか。

悪い意味で爆発してしまっているのは、もしかすると、虐待、いじめ、パワハラ、クレーマー、ネットでの罵倒とか、そういうことなのかも。


本当は、いつでも自分を、心地よく感情のままに行動させてあげたい。けれど、社会システムがあるから、それに蓋をしてきた。社会を成り立たせるためには仕方がないことかもしれない。

けどいま、実は不要な蓋もいっぱいあるんじゃない?って色んな人が気づき始めている。

自分の感情に向き合って、やりたいことはやる、やりたくないことはやらない、心地よい場所で仕事したい、自分の姿は自分で決める、泣きたいときは泣けばいい、って、自分を心地よくしてあげることを優先してもいい

だって、どんなビジネスだろうが法律だろうが、
社会が叶えたい究極の命題は、

「あなたを心地よくしたい」

ということであって、その”あなた”の一部である自分が、心地よくないところで働いたり、意見を押し付けられていたりして、不快な気持ちになっていては、意味がないのだ。


つづく。

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