目に見えないものとの戦い、そして共存。
朝、起き抜けに、友達が毎朝インスタライブしてるラジオ体操に参加する。
近くの美しい緑道をランニングして、好きなカフェに立ち寄りテイクアウトしたお昼ごはんを近所に住む友達と公園で食べる。
家のすぐ近くの八百屋さんと魚屋さんで買い物。今日もおじさんがおすすめしてくれた旬の野菜でおかずをつくる。
お花とハーブの苗も買った。部屋がどんどん緑化している。
満員電車にのることも、人混みの中駆け足で移動することもなくなった。
本当に会いたい人とだけ会うようになった。
ゆっくり自分と向き合う時間もできた。
ちょっとしたことが嬉しいし、道端の花に気づく余裕ができた。
大切な人との時間をより大切に感じるようになった。
助け合いや思いやりが生まれた。
エールやノウハウのシェアが国境を越えた。
世界的競合のアップルとグーグルが手を取り合った。
人がいなくなったベネチアの川に生き物が戻ってきた。
大気汚染が解消されて、中国の空が明るくなりインドでヒマラヤ山脈が見えるようになった。
どうしよう。
去年くらいから今の社会に違和感を感じていて、ユートピア、ユートピア言っていたんですが、
私の描いていた「ユートピア」は、こんな形で実現してしまった。
世界を変えたのは、
SDGsでも、イノベーションでも、デザインシンキングでもなく、
目に見えない「新型ウイルス」だった。
医療崩壊、大恐慌、鬱、DV、買い占め、デマ・・・
もちろん問題はたくさんある。
大切な人を失ったらこんなこと言ってられない。簡単に人に会えないのは寂しいし、外出が制限されているのはストレス。
いつどこで感染するかわからない中で常に不安を抱えている。
目に見えない大きな敵との戦い。
でも、私にはこの戦いが、
ゴジラ vs 人間 ではなく
ゴジラ vs モスラ にも見える。
つまり、もうひとつの目に見えない敵から、私たちを解き放ってくれようとしている気もしてくるのだ。
それは、行き過ぎた資本主義。
特に要りもしないものを買わされていたり
満員電車に乗って朝から夜遅くまで働きに出たり
ビジネスの裏側で大量廃棄されていたり環境汚染していたり
冷静に考えれば不条理なことや非道徳的なことも
経済、売上の前では正当化される。
ビジネスでは基本的に感情は排除される。
(このことは前にもこの記事で書いた)
目に見えない「資本主義」というルールがそこにあるから。
先週、こんなに外出自粛が叫ばれようと、在宅ワークが10%を切っていて、東京の朝は変わらず満員電車だというニュースを見て、絶望した。
そっちのほうがよっぽど病的だと思った。
(さすがに緊急事態宣言でだいぶ変わりつつあると思うけれど)
ウイルス同様、厄介なのは目に見えないということ。
ほとんどの人が無意識にその価値軸の中で生きている。
自分が正しくないと思っても、声を上げたり、自分の価値軸で行動したりすることすら、できない人がほとんどで、これは個人が悪いわけでも企業が悪いわけでもない。蔓延したウイルスみたいなもんだと思う。
ここまでテクノロジーが発展したのも、いま便利な生活ができているのも、資本主義のおかげであることは間違いないけれど、
経済のために経済を回しているだけでは、そこにひとりひとりの幸せは保証されていないし、地球の環境や資源を持続させることもできない。
いま、そんな経済活動が急ブレーキをかけられ、
急速なデジタルトランスフォーメーションが進み、
定時出社や長時間労働の必要性が見直され、
人類全体で助け合うための事業が急ピッチで生み出され、
ローカルやバイブスで繋がったムラ社会のような消費に戻り
身近な人を大切にしたり自然の美しさを愛でたり
好きなことを楽しむ余白が生まれたり
自分の感情と向き合う時間がつくられたのは、
ショック療法というべきか、
目に見えないウイルスのおかげなのだ。
そんな呑気なこと、失業した人とか個人経営のお店とかの前で言えるのか、って突っ込まれそうだけど、まあ私も期せずして4月から何の保証もないフリーランスになってしまったので全然余裕ではありません。
ウイルスの前で人はみな平等に無力だから、
起きてしまっていることをどう捉えようとその人次第なのであって、
だとしたら私は、今やるべきことできることはすべてした上で
この変化をポジティブに捉えたいのです。
宇宙視点でこの地球の状況を見れば、
または、ミクロな視点で自分の暮らしを見れば、
これはディストピアではなくユートピアに向かっていると、
そう捉えることもできる。
ただ、手放しにユートピアはつくられない。
一過性のものとして対処して、喉元過ぎれば熱さを忘れては意味がない。
経済を回すため、ではなく、人が幸せになるため、に、何が最適なのかということを、「思考停止」せずに方法を考え続けること。
ひとりひとりの価値観や感情を大切にしたり、ローカルとコミュニティごとの消費・生産に移行するための、テクノロジーとインフラを整えること。
感染症とも資本主義ともうまく共存しながら
個人レベルでも、社会のレベルでも、
「ユートピア」を描いていけるように。
まずは、目に見えない敵を意識すること。想像すること。本質を考え抜くこと。
もっともっと勉強したいし、行動していきたい。
(いまはもちろん家で)
そう、それを勉強するために、一旦会社員を辞め、資本主義が終わったものと捉えられている「デンマーク」にしばらく行く予定だったのですが、この状況で行けるはずもなく。
でも、こんなときにフリーになったからこそ、今できることにちゃんと向き合おうと思います。
最後に一つだけ宣伝すると、いま大変な飲食業界のひとつの救済方法として、オンライン上にフードコートをつくっています。
ということで、なにか答えがあるわけではないけれど、まずは自分のぼんやり考えてることを言語化することで、ちょっとでも誰かの希望になりますよう。
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