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私のキャリア①暗黒時代と一筋の光が見えるまで

この春で社会人15年目を迎えます。
久しぶりに会話する方に年齢を尋ねられ答えると、「もうそんな歳になったの!」と驚かれるのは、童顔のお陰だろうな…
決して嫌ではないが、もう若くないのは事実。
もうしっかり中堅社員と呼ばれても過言ではない。

せっかくNoteを始めたこともあり、これまでのキャリアについて書き留めていきたいと思います。めちゃくちゃ長くなるので、今回は暗黒時代あたりまで・・・

門戸の狭い就職活動


遡ること2008年。
大学で国際政治(第一次、第二次世界大戦前後・冷戦期の国際関係、平和学が主専攻)を学んでいました。
大学3年生、夏頃から就職活動がスタートし、企業説明会などが始まりました。
そんな最中、あのリーマンショックが起こりました。
その余波をもろに受けての就職活動でした。
説明会に大阪まで行ったにも関わらず、説明会で「今年は弊社は新規採用を募集しません」と宣言されたり、採用枠をガクッと減らされていたり・・・
本当に就職できるのかしら・・・と思っていました。

IT企業とのご縁

福岡で開催されていた合同企業説明会で、出会ったのが入社したIT企業でした。
数学は苦手だし、プログラミング何それ?な私だったので、IT業界は就職先として全く考えていなかったのですが、ふと立ち入ったブースで採用担当のおじ様から言われた一言がご縁だったのかなぁと思っています。

「IT企業は文系でも大丈夫。ITの技術ばっかり使うわけではなくて、お客様に提案したり、資料を作ったり、コミュニケーション力も要求されたり・・・。文系出身の方もたくさんいらっしゃるし、文系で鍛えたスキルが生かされる場面がたくさんある」

その言葉をきっかけに、IT業界が私の就職活動の希望業界に追加されました。

入社したのは・・・配属されたのは・・・

2010年4月。福岡のIT企業に入社しました。
そうです。IT企業は文系でも大丈夫だよ、と背中を押してくれたおじ様がいた企業とご縁があり、入社に至りました。
新人研修中は「騙された〜、プログラミング全然わからない・・・」といった日々を過ごしていました。
プログラミングをあまりしなさそうな、コミュニケーション力を必要としそうな部署を希望したのですが、もちろん叶わず💔
ガッツリJavaを使ったWebアプリケーション開発を行っている部署でした笑
わからないことだかけ過ぎたのですが、トレーナーをはじめ、チームのみなさんや上司、協力会社の方々、、周りの人たちに恵まれ過ぎて、なんとかSEとしてのキャリアをスタートしました。

SEとしての約4年間と産休・育休

配属されたからさまざまなプロジェクトに参画し、設計・開発・テストなど一通りの開発経験を積み、お客様先でのお打ち合わせなども担当していました。
お客様と一緒にシステムを作り上げていく楽しさを感じていた時期でもありました。
新規プロジェクトの企画を行ったり、海外企業との協業を検討すべく、朝4時に出社して、シンガポールやカナダの会社と電話会議をしたり・・・(いや、英語喋れないんですけどね。そして、お前らまずは英語勉強するとこから始めろって言われたw)

会社にも仕事にも慣れ、お仕事に声をかけてもらうことも増えて、働くことが楽しくなっていたその時期に息子の妊娠が分かり、産休・育休に入りました。
当時はまだ待機児童が顕著だったので、もちろん息子も待機児童となり、産休+育休1年7ヶ月を取得させていただきました。

驚愕の復職面談と暗黒時代突入

息子の保育園入園が決まり、復職を楽しみにしていた中、復職面談がありました。
働き方や仕事内容について会話するのかな、と思っていると。。。

新しく会社として品質保証の部署を立ち上げることになり、人を募っているところで、子育てしながらも自分のペースで働くことができると思うから異動して欲しい

と告げられました。
私自身、SEとしてまたお仕事できると思っていたので、青天の霹靂。
現場に戻りたいです、と訴えましたが、技術がない人間は養えないとはっきりと言われ、異動せざるを得ませんでした。
暗黒時代の突入です。

異動した先は私以外50代〜60代しかいない部署でした。
プロマネの経験値もなく、永遠の若手だった私は、話す人もおらず、任せられる仕事もなく、Excelのマクロのボタン1つ押して出力される帳票をチェックして1日が終わるのを待つ・・・
ひたすら終業時間を待つ日々を過ごしていました。

暇であることが苦手なので、元上司へ相談し、お仕事をもらったりしていました。(マニュアル作成や翻訳など)
それでも、今の自分の環境を変えることはできず、会社での自分の存在意義を見出せないまま腐った時間を過ごしていました。転職活動もしていました。(面接も受けてました)

一筋の光

私の就職した会社は国内大手企業の子会社だったので、親会社のイベントや勉強会に参加することができました。
ある時、こっそりと受講した45分の勉強会。(今はこのイベントは全社的にめちゃくちゃ有名になり、これに登壇すると人生変わるという・・・w)
古臭い資料を魔法をかけて見やすく伝わりやすい資料に直す、という内容でした。
この勉強会で大きな衝撃を受け、それと同時にこのテクニックを極めたいと思いました。
暗黒時代から抜け出すのに、一筋の光のように思えました。

というのも、昔から資料を作ることは好きでした。
社会人になってからも、報告資料や新規ビジネスの提案資料など作成すると周りの人から好評でした。
そして、この勉強会で、「資料作成」って仕事になるんだ!!!という発見がありました。

そこから私はこの勉強会を何度も試聴し、真似ることで学びを深め、この学びを仕事に活かす場所がないか探し始め、思いの外、そのチャンスは意外と身近にありました。
部署の中で、e-Learningコンテンツを開発することになりました。それに手を挙げ、学んだスキルを活かすことになりました。
自分の好きなこと・得意なことが仕事につながる、自分の興味関心で学んだことが仕事に活かせるって、こんなに心が満たされることなんだ、と実感した時でした。

最後に

暗黒時代と光に出会うまでをつらつらと書かせていただきました。

一筋の光が見えたあとはひたすら学び続けています。
一筋の光のあとに素敵な出会いがあり、今の私があります。
その話はまた後日・・・

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