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「共感」を届けたい。

最近、というかずいぶん前から一人脳内会議が行われているテーマがある。「専業主婦」についてだ。

かなり広いテーマだが、政治的観点などから自分のキモチを表現できるような知識も文章力も持ち合わせていないし、世の中を変えてやろう!的な勢いがあるわけではない。

いつかこのことについて、気持ちを吐き出しながらまとめておきたいと同時に、私は一体どうしたいのか、どうあるべきなのかを知りたいと思ってきた。長くなるのでコーヒーのご準備を。

専業主婦は輝いている?

なんとなく脳内を吐き出してみようと思ったキッカケが、先日たまたま目に留まったYahooニュースの記事。

朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事のひとつ、「覚悟して選んだ」専業主婦、でも…「女性活躍」にざわつく焦燥感である。

結婚・出産を機に専業主婦を選んだバリキャリ女性が現状をどのようにとらえているのか、そのリアルを探った内容。きっと首が取れそうなほどうなずき、共感する女性も多いだろうなと感じた。

どんどん社会から置いていかれているような焦燥感、同じ状況にあったママ友の仕事復帰や再就職、かといって働きたいけど転勤族だったり旦那激務で自分への負担を考えると思うように動けない葛藤。

まさにタイトルどおり「女性活躍」という言葉が専業主婦をざわつかせ次第に抱えるようになる、

「働いている人だけがえらいのかな」

という想い。そして最後の集計質問がこうだった。

専業主婦も働く人と同じように輝けている?

この質問を見たとき、うーん…とうなった。答えがわからない。人それぞれだからと言ったらそれまでだけど、質問がすでに「働いている人がえらい前提」のようにも受け取れて。

ちなみにわたしは、バリキャリではなかったものの、パリパリくらいに働いていた独身時代。結婚してもしばらく働いていたが妊娠を機に仕事を辞め、専業主婦を数年やっていた。

その当時のわたしに「いま輝いてる?」と聞いたら「輝いていない」と答えただろう。

これはあくまでもわたしの考えだけど、働かないことは「イケナイコト」という感覚があった。働かざるもの食うべからず的な。社会や企業に貢献してこそ自分の価値を見出せると思っていた。貢献度が高ければ高いほど自分の価値も高くなる、と。(いまはそんな感覚はなし。)

そういうことから専業主婦時代は「いつから働くか」ということしか頭になかった。子供は可愛い。やれることはやってあげたい。でも、働いてない私は「仮の姿」だと。仕事をするヒマがないくらいせわしない日々だったのに。

職種「母」、24時間体制で仕事するヒマなし。

子供たちと24時間一緒にいたあの時代。と言ってもまだ2、3年前のお話なのに遠い昔のようだ。毎日わたしに全てを委ねている子供たちとの生活はとにかく必死だった。

食事の準備に洗濯・掃除、午前と午後の公園出勤に買い出し。授乳にトイレトレーニングにイヤイヤ期。うちは1時間ごとの夜泣きや息子の喘息で夜も結構寝不足で。そして転勤族なので両実家遠方。ついでに旦那激務。

大変アピールをしたいのではない。働いていないわたしは仮の姿なのに、こんなに座る時間もないくらい忙しいんじゃ働くヒマがない!と思っていた。ヒマだから働くわけではないけど、あまりにも時間にも自分にも余裕がなかった。いつまでこんな生活が続くの…と。

専業主婦歴が長くなればなるほど、これまでやってきた仕事の経験値や自分の価値が落ちてしまう、そうなるとどこの企業も採用してくれなくなるんじゃないか。そういう思いが何度もよぎっていたっけ。

そして働きたいと思いつつも、そもそも転勤族で採用してくれるのか、誰も頼れない状況で働けるのか、この家の中や子供はどうするの…子供のことだけを思いやれない私はダメな母?と、まさに冒頭のYahoo記事に首が痛くなるほどうなずいていたのはわたしである。

今思えば、そんなことは何も考えずに育児に集中してればもっとあの日々を楽しめたのかな。…というのは、今在宅ワーカーとして働いているから言えることばなのだろう。

専業主婦もキャリアのひとつ

そんなせわしない生活の中でも時間をつくり出すことには一生懸命だった。ちょっと座ってコーヒーを飲む時間、雑誌や本を見る時間、裁縫をする時間、自分だけと向き合う時間。

そうすると毎日時間の逆算をしながら生活をする。例えば、13時に昼寝をしてもらって1時間はコーヒータイムが欲しい。そのためには10時に公園、11時半には公園帰りにスーパーによって買い物をして帰ってきて12時すぎにはお昼ごはん…とざっと計算をする。

だいたい子供相手に予定通りに進むことなど無いに等しいのだが(笑)。

そうは分かっていても、自分時間の確保や規則正しい生活時間を作るために、多くの家事(タスク)を効率よくこなすクセがつく。

意外とコレが仕事を再開したときに役に立っているようで。これはわたしだけではないと思う。ママさんは優秀、精神的に強い(人間生み出したから?笑)、という話はよく聞く。そういやママだけで飲み会や持ち寄りランチを計画したらものすごいスピードと質でいろいろ決まっていくもん。みんな仕事ができるし、そう言い合ってる。うちらホントいい女だよねって。(笑)

先日の箕輪さんのラジオでも子育て女性は仕事のパフォーマンスが高いというおはなしをされていて。

そんなこんなでわたしはけっこう本気で履歴書に専業主婦歴を書く欄があってもいいと思っている。

専業主婦も働く人と同じように輝けている?

この質問にいまのわたしが「いやいや専業主婦も輝いてるよ!」なんていうのはなんかちょっと違う。

あの頃のわたしに一番言いたいのは、「いまはあせらないで!決して自分の価値を下げている生活をしているわけではないから」ということ。(つまり質問の答えは出ていない。笑)

輝いていないと思ってたあの頃に求めていたもの

では専業主婦というキャリアを積んでいる真っ只中だったころのわたしは働き口や自分時間とは別になにを求めていたのか。

それは共感だった。無意識に共感を探していたように思う。

テレビで政治家やコメンテーターがわかったような口調で理想論を語ったって、世の中が変わるわけではなく。

誰かに悩みや不安や不満を解決してほしいのではなかった。いまある自分の状況に共感してくれる人、記事、ネットニュース、Twitterもそう。
同じ悩みを持った人、同じ状況の人がいる、自分の気持ちを代弁してくれている記事がある、今まさに私がその状況!的な誰かのツイートが拡散されている。

それが、「私は今はこれでいいんだ、頑張れているんだ」と思える材料になっていたのだ。不安とは常に戦ってはいたけれど、共感という見えない大きなパワーに生かされていたと今になって思う。

たった一人でもいい。私は共感を届けたい。

あの頃のわたしと同じ状況、同じ悩みを抱えている人が近所にもインターネットにもたくさんいる。そして純粋に「すごくわかるよー!」という声を届けたくなる。それなのにどうしたら良いかわからず、気がつけばあーだこーだと脳内会議をしていた…あぁ。そういうことだったのね、わたし。

でもnoteに吐き出してみたら答えは簡単だった。これからも私の気持ちや経験を穏やかに発信し続ければ良いだけなのだ。誰かに反論するわけでもなく、自分の意見を押し付けたりもせず。

たった一人だけでもいい。例えばこの記事が、この先書く記事が、あしたツイートする言葉が偶然に偶然が重なって誰かに届いて「わたしの事みたい!」と共感してくれれば。そしてそれが少しでも明日への活力へとつながってくれたのなら私は幸せだ。

面白いほどとりとめのない内容になったけどまとめてみてよかった。
私を発信し続けること。それが私の2018年の目標のひとつとなりました。おしまい!(強引)

あ、ご近所さんとはお茶でもしばきならがらおはなししようっと。

昨日の記事はこちらです↓
最近は更新したい日付を越えてしまっているなぁ・・・


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