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アデルやエイミー・ワインハウスだけじゃない。「アデルは私たちに希望を与えてくれた」: ブリット・スクールの内側


週末の英ガーディアン紙のブリット・スクールに関する記事の全訳。

ブリット・スクールと聞くと、私はいつも、この記事でも触れられているように、あのアークティック・モンキーズの受賞コメントを思い出してしまう。あれは、2008年、ブリット・アウォードにて、最優秀アルバム賞を受賞した彼らが、壇上でオーディエンスにいる当スクールの在校生たちを指さし「僕たちは皆ブリット・スクールに通ったから。そこにいるみんな、覚えてるよ!」とコメントしたのだ。一瞬固まったのは私だけではなかったはず。その後すぐにマイクは切られ、カメラは司会者のファーン・コットンへ...。

私自身、ブリット・スクールといえば、ポップスターの生産ファクトリーというイメージが強かったので、このスクールのことをもう少し知りたいと思い、興味深く読んだ。というのも、ブラック・ミディが当校の出身というのに、驚愕したからだ。

元記事は、このスクールに通った/在校の人たち、校長、当校をよく知る音楽ジャーナリストなどのコメントから構成されているのだが、一見対話式にみえるものの、質疑応答というフォーマットではなく、当校の歴史から辿ってきた道筋が(おおまかに)時系列に語られているので、そのまま訳してみた。

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Dream Factory(ドリーム・ファクトリー)

「アデルは私たちに希望を与えてくれた」: ブリット・スクールの内側

1991年、南ロンドンのクロイドンに、(サッチャー政権の物議を醸した City Technology Collegesの新たな取り組みとして)ブリット・スクールがオープンした時、この教育機関が英国音楽界のランドスケープを変えることになると予想した者は少なかった。

ブリット・トラストからのサポートと英国政府の補助金により運営されており、授業料無料である当校は、2000年半ばに、最初の才能あふれるタレントを輩出、スポットライトに躍り出た。当校で同級生であった、エイミー・ワインハウスやアデル、ザ・フィーリングは大成功し、現在卒業生たちは、トータルで2億5千万枚のアルバムを売り上げ、15つのブリット・アウォードを受賞、そしてブリット・スクールは常に批評家たちの話題の的となった。

しかし、中には、型にはまったポップ・アーティストを生産するベルト・コンベアーだという声もあり、2008年には、ブリット・アウォードの授賞式にて、アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーが「僕らはみーんな、ブリット・スクールに行ったからね。みんなのことよく覚えているよ」と、ブリット・スクール在校生/出身者たちを揶揄するスピーチを述べ、3年後にはエド・シーランが、自身の曲”You Need Me, I Don’t Need You”にて、「I will blast and I didn't go to BRIT Schoolーーブレイクしてみせる、ブリット・スクールに行ってないけどーー」と唄い、同校を叩いている。


https://www.mirror.co.uk/3am/celebrity-news/brit-awards-bosses-pull-plug-294555


ところが、近年になり、King Krule, Kae Tempest and Black Midi など、音楽的に大胆な変化をもたらすアクトが出てきており、同校のイメージ改革に大きく貢献している。しかし近年アートへの補助金が劇的に軽減されており、そんななかで運営されている、ブリット・スクールのレガシー、そして未来、とはいったい何なのだろうか?

《ブリット・スクール設立当初》

ダン・ギレスピー・セルズ(ザ・フィーリング):僕がブリット・スクールへ通っていたのは、90年代終わり頃、まだ学校としては早い段階だったと言えるね。例のサッチャー・アカデミー・プログラムから出てきた教育機関の一部ということもあって、学校に関してはみんなまだ疑心暗鬼だった。クィア家族出身としては、サッチャー政権にお礼を言わなきゃいけないことなんてなにもなかったからね。※筆者注:1988年、英国では自治体や教師が「同性愛を助長する行為」を禁じる法律、通称「セクション28」が制定された。(2003年に廃止)。

スチュアート・ウォーデン(校長、1994年~現在):昔は志願すれば基本的には入学が許可されたものです。曲を書きたい、映画に出たい、でもどこから始めればよいのか分からないという子供たちがここに来ていたのです。とはいえ、私たちもどのように彼らを支援するのかいまいち分かっていなかった。つまり当時は手探り状態だったのです。

マギー・クロウ (英国レコード産業協会のイベント兼チャリティー・ダイレクター):音楽業界に最初の企画書を出した時、当校の本質的価値は、学力そのものよりも、情熱に基づいたものであることを明確にしていました。

ギレスピー・セルズ:僕の友人たちは、『フェーム』(原題: Fame、ニューヨークの音楽専門学校を舞台に、スターを夢見る若者たちの軌跡を描く青春映画)みたいなもんだろ、と思ってたし、その時点で僕はもうすでにロックバンドでプレイしていたから、今更学校なんて全くクールじゃないと思われてた。それが今やポップクイーンだからね。

ウォーデン:私が校長に就任する前、人々は「あの学校には近づくな。所詮クロイドンの"フェーム”スクール・キッズだ」と言っていました。言いたいことは2つ、なぜクロイドン出身のキッズは成功しないと思っているのか?そして"フェーム”のいったい何が悪いというのだ?ということ。かなりインスパイアされましたね。

ギレスピー・セルズ:僕は、とても自意識過剰なティーネージャーだった。つまり、ジャズハンズ(両手を開き手のひらを見せて小刻みにひらひら動かすポーズ) ステージに行くところを人に見られたくない、というような。でもこの学校で気づいたのは、ゴスペルや R&Bなんかもやる人がいたということ。サリー州郊外から来たメタルヘッズなんかもいたんだよ。

ウォーデン:最初は、ナショナルカリキュラム(英国の共通初等教育)水準までの結果を出すために相当の改善が必要でした。特に、数学、国語、科学に関しては評価が低かったのです。しかし過去23年は、このような教科においても全国平均よりもかなり上を行く結果を出しています。

ギレスピー・セルズ:卒業前に試験を受けたかどうかも覚えていないんだ。ちょうどその時、ザ・フィーリングを結成したんだよ。あれから25年になる。スクールは特に厳しいということはなかった。鞭でたたかれる必要もなかったし。ただ、この環境を与えられて、そこにいて、創作活動をするだけ。

ウォーデン:一貫して”無償教育”である、という点が成功のカギなのです。ブリット・スクールにおいては、業界に入るために、金がモノをいうということはありません。自分勝手なことはできません。地理的にも、学生の45%は海外からで、20%以上が食事代無料、つまり社会からの孤立した地域の出身です。

ジョーダン・スティーヴンス(Rizzle Kicks):僕は、低所得層家族として政府からの援助を受けていた。Induction Day (インダクション・ディ、新入生のオリエンテーションのようなもの)で、音楽に興味を持ったんだけど、当時の校長(ニック・ウィリアムス氏)に「ここの音楽のレベルは非常に高い、最低でも2つの楽器をプレイできることが必要だ。それができないのであれば、音楽はあきらめた方がいい」と言われたんだ。それで、放送とデジタル・コミュニケーションを学ぶことにした。

ウォーデン:当校は音楽だけを教える学校ではないのです。アートの包括的エコシステムがここにあると言って良いでしょう。ここは

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《急上昇した2000年半ば》

レイチェル・チノリリ(シンガー・ソングライター):ブリット・スクールは、アデルやジェシーJ、リズル・キックスを輩出した学校だし、ここに行けば、音楽業界への正しい道筋を教えてくれると思ったの。

ウォーデン:エイミー・ワインハウスはケイティー・メルワとほぼ同時期に出てきましたね。また同時にレオナ・ルイス、ケイト・ナッシュもいて、ちょうどアデルが売れ出そうとしている時でした。エイミーはここでもダイナミックでした。努力家で、才能があり、常にやるべきことにフォーカスしていた。その上、音楽の方向性がはっきりしていました。それは、彼女のスタイル(容姿、服装)にも表れていました。

ギレスピー・セルズ:クラスメイトに、バービー人形みたいな恰好で学校に来るリンディー・ルウっていう女の子がいたんだけど、彼女は今オペラを教えているんだよ。

マーク・ビューモント(音楽ジャーナリスト):2000年に入ったころから、ブリット・スクールではアデルやエイミー・ワインハウスのようなアクトが巨大なメインストリームとなったね。と同時に、アスリートのような、商業志向を意識したインディーバンドも出てきた。これにより、ブリット・スクールはより商業主義にフォーカスしているように見えたのでしょう。

チノリリ:アデルやエイミー・ワインハウスなどの伝説的人物たちは、歴史に刻まれるでしょうし、その作品は後世にわたって語り継がれるでしょう。

スティーヴンス:正直大英帝国なんてクソくらえなんだけど、この国で実際に行われているクリエイティブな伝統・遺産は素晴らしいと思う。このスクールから、世紀の偉業をなすものが出てくる可能性はかなり高いと言えるからね。

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 《悪い評価、運営への反発》

スティーヴンス:ブリット・スクールの悪い評価っていうのは、大体がミュージカル・シアター・キッズが原因で、奴らもそれは認めていると思うよ。

グレイシー(singer-songwriter) :それはちょっと意地悪過ぎない?ブリット・スクールの何が悪いのかっていうのは分からないけど、みんなミュージカル・シアター・キッズが最悪だって思ってるみたい。彼らとてもいい子たちなのに。

スティーヴンス:唯一やっちゃいけないのは、お前は黙ってろ、おとなしくしてろ、と言うことかな。消防訓練の途中で急に歌いだしたりするやつもたまにいたから。

セレン・マコンドレヴェ(現在校生) :ミュージカル・シアター・キッズは…確かに熱心よね。それに比べて音楽キッズは若干おとなしいかも。大半はステージの後ろ側にいるか、もしくは部屋で何か書いている方が好きだから。

クロウ:私はこのスクールに関して何らかの否定的な見解を聞いたことなんてないわーーただ愛に満ちあふれているだけ。

ギレスピー・セルズ:ブリット・スクールを出た後、特にこのスクールに関して言及するということはなかった。みんな、僕らがこのスクールに行ってポップスターになったと思ってる。音楽雑誌、特にNMEなんかは、ブリット・スクール出身っていうのに執着してるね。音楽をちゃんと理解している人ならだれでも、そんなことをわざわざ記事に書くのはブルシットだって分かってるから。

ビューモント:2000年半ばは、新しいアクトの信憑性が注目された時期だった。アークティック・モンキーズの成功により、チャートに入ろうとするオルタナ・アクトがどんどん出てきてーー最悪の“埋め立てゴミのようなインディー”が数多く存在していたーー、多くの人がそれを否定しようとしていた。メインストリームで活躍することが許されるアデルやジェシーJのようなアクトより、クークスのようなブリット・スクール・バンドに本物でないというレッテルを貼る方が簡単だったから。

ギレスピー・セルズ:ブリット・スクールに行くと、怪しい実験室で piped out.されるという考えがあった。僕らが卒業するころには、そんな噂も廃れてたけど、NMEの記事なんかを書いている中年男たちはいまだにパンクの夢の中に住んでいて、全然成長していないんだよ。

ビューモント:ブリット・スクール同窓生たちは、北ロンドンのワーキング・クラス出身のバンドに比べて、しばしば批評家からの攻撃を免れるという風潮があった。ワーキング・クラス出身のバンド達は容赦なく“埋め立てゴミのようなインディー”と叩かれ、故郷に帰れと言われていたから。

ギレスピー・セルズ:アデルやエイミー・ワインハウスらは、売れたから、芸能学校ネタという扱い方をする必要はないと扱われた。それで。僕らは皆「そうだよ、僕らはブリット・スクール出身だ」って隠さずに言うようになったんだ。最終的には埋め立てゴミのインディーの第3波は終わって、人々は再びポップ・ミュージックを聴くようになった。つまり、どこの出身かなんて関係ないんだよ。

ウォーデン:私は、例のアレックス・ターナーのブリッツ・アウォードでのギャグは、もし、少しでも見当違いが入っていれば、結構面白かったのではないかと思っているのです。と言うのも、恐らくあのコメントは(ブリット・スクールに関する)知識のなさから来ているものですので。アークティック・モンキーズがこのスクールの出身だったら、と思いますよ。彼らはダイナミックですし。でも我々はあなたたちが思うほどがむしゃらにやっているわけではないのです。

ビューモント :アークティック・モンキーズは、あそこで新しい.革命のようなものを起こした。ブリット・スクールが代表するような型にはまったポップ、そのような音楽に彼らは反旗を翻したんだ。

スティーヴンス :”You Need Me, I Don’t Need You”で、エド・シーランが、“I will blast and I didn’t go to Brit School”と唄っているのを聴いて、僕らは “ブロ!ブリット・スクールの何が問題なんだ?”って思ったんだけど、どうやら、人々は、彼がブリット・スクールの出身だと思ってたみたいだね。そこでブリット・スクールに逆切れしたというわけさ。

ビューモント:ブリット・スクールがブリット・アウォードに関連しているのはよくないね。このメジャーなメインストリーム授賞式で成功者のための訓練所のようなものを外から見ているのと同じだ。本当に正当ではないよ。

クロウ:ブリット・アウォードは30年以上にわたり、当校の運営、生徒たちのために何億もの資金を上げています。セレモニーの夜というのは、我々にとって、才能あるミュージック・スターに賞を授与するだけでなく、この賞がチャリティーと結合しているというメッセージを伝える日でもあるのです。在校生たちが受賞セレモニーに出席するのは、会場の雰囲気を盛り上げるのにとても実用的な役割を果たしているのです。

チノリリ:私が受賞セレモニーに参加したのは12年生(16歳)の時だったけど、その年にアデルがステージから私たち在校生を見つめて、「私もかつてはそこにいる生徒の一人だったわ(2016年)」と言ったの。彼女は私たちからたった5メートル先にいて。いつか本当にあのステージに立ちたいと希望をもった瞬間だった。

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《評判の変化》

ウォーデン:当校における、人々の認識の変化には2つの出来事が起因していると思われます。一つは当校が輩出したアーティストが根強い人気でもって長期にわたり活躍していること。そしてもう一つは、世界に通用するために、音楽以上のものを与えるという当校のポリシーです。ブリット・スクールの学生たちが生まれつき持ち合わせる博識はとても重要であり、現在の学校のカリキュラムではそれを大いに広げることができるのです。

チノリリ:(2017年に)スクールを出てから、どこの学校に行ったの?という質問に「ブリット・スクール」と答えるんだけど、そのたびに「ワオ!」とか「本当に!?知っている人も行ってたわ」と言われるの。この業界ではブリット・スクールを知らない人はいない。この学校の出身ですって言えば言うほど、あなたと働きたいって思う人が増えるの。

ビューモント:ブリット・スクールから出てきた、カエ・テンペストやブラック・ミディのようなアーティスト達は、当校におけるアートやアイデアをより面白く際立たせることになった。

ウォーデン:私がアレッポに関するシアター関連のプロジェクトをしていた際、この現代の戦争をどのように見せるか、この戦争に関するムーブメント作品をどのように制作するかを探求したく、当時、在校生だったブラック・ミディに「君たちは戦争がどんな音がするかレコーディングしてみたいとは思わないよねえ」と言ってみたところ、彼らは、人々の叫び声やヘリコプター音などで構成された、20分にもわたる音の作品を作ってきたのです。あれは衝撃的で奥深かった。

チノリリ:とにかくここには創造性が満ち溢れているの。校内を歩けば、顔をアニメのようにフェイスペインティングしている人を見るし、廊下ではフラッシュ・モブしている人たちもいる。階段を上がると誰かが巨大なアート作品を絨毯から作っているし、校長は靴も履かずに歩き回っている。まるでそれが普通だというように!

ウォーデン:若者の強みというのは華々しく無謀だということ。彼らは自分たちは何でもできると信じ込んでいる。それでいいのです。しかも、最近の若者は名声など気にしない。成功したいとは思っていても、名声はゴールではないのです。

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《ブリット・スクールの未来》

スティーヴンス:たとえ、かなりの保守的、資本主義的な先入観でブリット・スクールに入ったとしても、有益なスクールだと思うよ。アデル一人だけでも、彼女がこの国にもたらす収益はありえないほど巨額だからね。

 グレイシー:ブリット・スクールがもっとほかの地域にないのは馬鹿げているわ。なぜロンドンだけなの?

クロウ:ブリット・スクールは、何千もの様々な家庭環境の若者たちにとって大切な役割を担っています。ですので、BPI(英国レコード産業協会)は現在、イギリスの他の地域にもこのようなスクールを設立できるよう、努力しているのです。

ビューモント:国中にブリット・スクールができても、結局は多少の磨きをかけるだけ。さもなければ、面白くて粗削りなアクトが親しみやすい商業的な目的のプロジェクトになるだけで、業界がその向こう側にいる新しいタレントを見つけようとしなくなる。イギリスの音楽をつまらなくするだけだ。

スティーヴンス:アート支援の資金削減は本当に馬鹿げているよ。保守党政権下、若者たちの作品や創造性に関する予算削減は、結局若者たちを不安やフラストレーション、鬱に導くだけで、コミュニティ意識や感情のはけ口をなくしてしまう。つまり、ブリット・スクールは、若者たちがこのような状態に陥らないために必要な組織として輝ける例なんだよ。

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記事の構成が分かりづらくて、少し苦労した。通して読むまでは、そのコメントが何を意味するのかを理解しにくく、どういうインタビューの仕方をすれば、このような記事に仕上がる?と思った。

ブリット・スクールの全容が明らかにされているわけではないけど、この教育機関がどのような経緯を経て、どのような歴史を辿ってきたかを知るには、読む価値のある記事だと思う。

ブリット・スクールのベネフィットに関しては、学費がかからないという点では、やはり貧困家庭出身/そのような教育システムが整わない地域に住んでいる若者にとっては、ここに通うことによって将来の希望が持てればそれは素晴らしい成果だと思うが、ただ近道だけを求めてここに来る若者もいるかと思う。アークティック・モンキーズやエド・シーランのようなライブを何度も繰り返して、場数を踏み、次第にファンをつけていくようなやり方はもう好まれないのか。

それにしても、校長のウォーデン氏のドライなこと!この記事を読んだだけだけど、サーカスティックでユーモアがあるザ・イギリス人という印象を受けた。

それにしても、この音楽ジャーナリストのマーク・ビューモント、かなりアンチ・ブリット・スクールね。最後の方で、「国中にブリット・スクールができても、イギリスの音楽をつまらなくするだけだ」と述べているけど、ブラック・ミディを見て、ブリット・スクールかよ、つまんねえ、と思う人はいないんじゃ!?

最後に一つ疑問:では、アデルやエイミー・ワインハウスが、もしこのスクールに通っていなかったとしたら、成功してなかったのだろうか???

元記事はこちら。

https://www.theguardian.com/music/2022/sep/02/brit-school-artistic-legacy






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