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ミュージック・ライブでのオーディエンスの振る舞いが悪くなっている。私たちはどのようにライブを楽しむべきなのか。


上のタイトル画像が途中で切れてしまったので。

英ガーディアン(9月14日付)の”オピニオン”欄に、『ライブでの人々の振る舞いが悪化している。それを解決するために、私には3つのルールがある』という記事があった。執筆したのは、ウェールズ出身の音楽ジャーナリスト、サイモン・プライス。リードには「ライブ・ショーは、自己表現、カタルシス、奔放さを許容するものであるべきだ。野暮無礼と利己主義こそやめるべきだ」と書かれている。自分への戒めとして、ドキドキしながら読んでみた。

以下全訳。

今週初め、レディッチ出身のシンガーソングライター、ルーシー・メイ・ウォーカーが、『ギグ・エチケット(Gig Etiquette)』というタイトルで、コンサートでの振る舞いに関する一連の謙虚な提案を投稿した。彼女が掲げる4つのガイドラインは以下の通り: 1. ショーの間は話をしないこと。2.今この瞬間を感じること。3.観客はあなたを見るためにお金を払っているわけではない。4. 素晴らしい時間を過ごすこと。Radio 2のジェレミー・ヴァインに支持されていたにもかかわらず、それまでは比較的注目度の低かった元バスカーが、この投稿により、突然、Twitterstorm(ツイッターストーム)と呼ばれる事態の渦中に身を置くことになった。


X に投稿されたギグ・エチケット byルーシー・メイ・ウォーカー。
「ギグ・エチケットは私にとってとても重要です。オーディエンスはギグを成功させることも、失敗させることもできるのです。たった一人の人がすべての人の体験を台無しにしてしまうこともあります」。

このウォーカーの投稿は160万回以上閲覧され、拡散された。これに関して、自分の責任だろ、自分の演奏に集中すべきだ、という人もいたし、彼女の態度は(オーディエンスを)「見下している」とも指摘された。

実は私もウォーカーにひとこと言ってやりたく順番を待っているところだが、その理由はまったく異なる:彼女が言っていることは、まだ十分ではないのだ。おそらくウォーカーは、自分が規律を重んじる退屈な女だと非難されるのを先に阻止しようとしたのか、彼女は注意深く、要求リストを和やかな言葉と陽気な顔文字でクッションになるようにした。例えば、彼女の2番目の要求である「Be in the Moment」だが、ギグを観に来た人たちに「ショーの写真やビデオを撮るのは自由ですが、フラッシュをたいたり、他の人の視界を遮ったりしないでください。 そして、携帯を通してすべてを見ないようにしてください」と言っている。このような言語道断な違反が値する寛容さゼロのアプローチを支持するよりもだ。このウォーカーのスマイリーとソフトなアプローチが批判をなだめたわけではない。 『グッドモーニング・ブリテン』(ITVの朝のTV番組)で、ハッピー・マンデーズのボーカルでXファクターにも出演していたRowettaが、彼女に「教師か刑務所官になるべきだ」と言い、それが嫌なら「ベッドルームにこもって、そこで歌ってストリーミング配信すればいい」と言った。


『グッドモーニング・ブリテン』。Rowetta(左)とルーシー・メイ・ウォーカー(右)

私は1980年代半ばから音楽ジャーナリストをしているが、ひとつ自信を持って言えるのは、ライブでの人々の振る舞いは、時代とともに客観的に見ても著しく悪くなっているということだ。

昔はこういうことは自制されていて、不文律(暗黙の了解)があった。例えば、モッシュピットがあって誰かが倒れたら、モッシュをやめて、その人を助け起こす。自分より背が低い人の視界を遮っているなら、その人の邪魔にならないようにする。どうしてもステージに近づきたければ、真ん中を割って入るのではなく、横から回り込む。このような慣習のほとんどは、単に「自分勝手なバカになるな」というキャッチオール・ルールに該当するものだ。

しかし、自分勝手なバカであることは、今非常にトレンドだ。黙らない人、携帯電話をしまわない人のせいで、ギグが台無しになるのは日常茶飯事だ。そしてその背景には、2つの要因がある:麻薬とナルシシズムだ。

ライブでのA級ドラッグの急増は、その要因として過大評価できない。金曜の夜はさらにひどく、それはキッズではなく、仕事を終えて夜遊びをしている大人の男たち(たいていは男)で、コークで決めた後、自分の新車や次の休暇を見せびらかす。そして、彼らを無視しようとしても無駄だ。彼らの後ろに立ってしまえば、一番最初に視界に入るのも聞こえるのも彼らなのだから。

スマートフォンが私たちに植え付けたミーミー・カルチャーがもうひとつの要因だ。少なからぬ数の人々がギグにいたくないというところまで来ている。つまり、彼らはギグにいるように見られたいのだ。インスタグラムに投稿するために。その結果、最近のギグはどこもかしこも光り輝くスクリーンの海だ(一度、ニッキ・ミナージュのギグで、私の前の席の人が、あれは間違いいなくA3サイズのタブレットを掲げていた)。

そこで、ウォーカーの「Be in the Moment(今この瞬間にいること)」という訴えが登場する。スクリーンに映し出されるお土産は、生きた体験の代わりにはならない。私がこれまでに参加した最高のギグは、2013年にThe Hippodromeのバーで行われたプリンスのシークレット・ショーだった。ステージから引き裂かれたセットリスト以外に、私がそこにいたという証拠はない。そしてそれでも構わないと思っている。

大げさに思えるかもしれないが、現代のギグでの振る舞いは、より広範な社会の沈滞を物語っている。それは、公共交通機関でフルボリュームで動画を再生する、同じような傲慢な態度に由来する。原子化社会では、誰もが皆自分の快楽にしか関心がない。

これは、単純な年寄りvs若者という戦いではない。コンサートでしゃべりまくる最悪の犯罪者たち(フライデー・ナイトのコカイン男とか)は中年だからだ。

そして、ウォーカーだけが完全に他のミュージシャン達から外れているというわけではない。事実反撃が起こっている:SavagesやThe Afghan Whigsなどのアーティストたちはライヴでの携帯禁止ポリシーを呼びかけるサインを掲げている。その一方で、事態を悪化させているアーティストもいる。 例えば、サム・ライダーはヴォーダフォンの広告に出演、このCMの中で、曲の途中で2人の女性にセルフィーを撮らせ、これがさらなる恐怖を常態化させている。


Savagesはライヴでの携帯禁止ポリシーを呼びかけるサインをディスプレイしているバンドの一つ。写真は2016年、ロンドン100clubにて。

サム・ライダーのヴォーダフォンのCM広告。


ウォーカーが触れていない展開がひとつある。この夏、ステージに向かって物を投げ込むーー物理的な罵倒ではなく、崇拝の形としてーーという奇妙なトレンドに関する記事が相次いだ。シンガーのBebe Rexhaが投げ込まれた携帯が当たって目を負傷したのをはじめ、Harry Styles、Drake、Kelsea Ballerini、Pink、Taylor Swift、Lil Nas Xらもファンが発射したミサイルのターゲットとなった。また、他の観客に物を投げつけることも、今や日常茶飯事だ。

このような俗物主義が台頭する中、ウォーカーのなだめるようなアプローチは理解できる。私が自分なりのライブの掟を考案したとき、『この掟のうち少なくともひとつは破れ』とサインした。これはロックンロールであって、バレエではないのだ。 結局のところ、ギグに行くことに何らかのルールを課すのは直感に反するように思える:ライブ・ミュージックは自己表現、カタルシス、奔放さのための空間なのだから。しかし、私たちは今あるこの状況を変えることはできない。そして今、ウォーカーよりも過激な言葉で、3つの指針をすべてのライブ会場の壁に刻む必要がある:

1.黙れ。2. スマホをしまえ。3. 嫌な奴にはなるな。

(以上、全訳)
元記事はこちら。

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先に謝っておきます。すいません。私もライブでは動画撮影します。なので大変耳が痛いです。

この、Simon Price という音楽ジャーナリスト、イギリスでは割と有名で、先日チャンネル5で放映されたブリットポップの特集でも、様々な体験談やコメントを述べていて、私は結構好きなジャーナリストである。

ここに書かれていること、ほぼほぼすべて体験済みの筆者だが(被害を受ける方として)、ある意味仕方ないのかなあ、とか、ここはイギリスだしなあ、なんて思っていたけど、それは日本人的感覚ではなく、やはりこちらのオーディエンスも嫌なものは嫌だ、と思っていたのね、と納得。ただ、ここで述べられている、中年男のドラッグ云々は、あまり同意できないかもしれない。まず、そのような経験はないし、オーディエンスのほとんどがくだらない会話をしているので、これがドラッグと関連しているのかどうかは甚だ疑問だ。

しかしながら、オーディエンスの悪しき振る舞いは今始まったことではない。

2007年7月1日に建物内の喫煙禁止が施行されたのは本当に良かった。それまでは、ギグやクラブから戻ると髪や洋服に染み付いた煙草の臭いに辟易していたし、何よりも点火された煙草にあたって火傷したらどうしよう、という不安もあった。

ひどかったのは、2013年のザ・ストーン・ローゼズ@フィンズベリー・パーク。ビールをあおるように飲み、トイレに行くことさえ面倒くさがった輩が、水のプラスチックボトルに小便入れて投げてた。あれは最悪だった。

ついこの間もロイヤル・ブラッドのライブで後方から液体が飛んできて、身体半分濡れたけど、液体被ったら、まず最初に臭いを嗅ぐよね。幸い(?)水だったけど、あれだったらどうしよう、と恐怖を感じたね。

そしておしゃべりはやはりNGだろう。先日のRadwimpsのライブで、バラード曲の時に大声で喋る若者のグループがいたから注意した。

喋るのもダメだが、シンガロングにも勘弁して欲しい時がある。あれはトラヴィス。The Invisible Bandツアーでセットリストが分かっていたからかもしれないが、隣の奴が最初の3曲すべてフルで歌った時には、オマエのカラオケ聴きに来てるんじゃねんだよ!と叫びそうになった。

もう一つ思い出した!指パッチン!あれはDodgy を観に行った時だった。ポール牧も顔負けの指パッチンでリズムをとるバカ。しかも指パッチンってびっくりするくらい大きな音が出るのね。あれには参った。

そしてステージ・モノ投げ入れ問題。あれは絶対に良くない。アーティストはステージでは無防備になるので、卑怯ともいえる。99年にVフェスティバルに行ったとき、大好きなスーパーグラスを観るため、割と前に位置していた。すると後方から飛んできたのは靴。それが弧を描いてステージへと飛んできてミックの胸に命中してしまった。不意を打たれて驚いていたが、さすが大人のミック、何事もなかったように、演奏とコーラスを続けたが、私ははらわたが煮えくり返るほど怒っていた。

最後に、2015年のFlorence + The Machine@Alexandra Palaceだが、珍しく女性の観客が多いギグで、それだからか、女性同士の小競合いのようなものが、あちらこちらで起きていて、「オーディエンス、ビッチ度高っ!」と思ったのを覚えている。

だが、一つだけ付け加えておきたいのは、こういうことをする人たちはGig-goer の中でもほんの一握りだということ。そして、逆に助けてくれたり、気を遣ってくれたりする人達も本当に結構いるのだ。

先のスーパーグラスでは、私がモッシュで押された時、横にいたお兄さんは常に私の横にスペースを作ってくれて、立っていれなくなったので、上げてくれ、と頼んだら、よっしゃ!と担いでくれた。ちなみに私にとって、あれが最初で最後のダイブだった。

また、ロイヤル・ブラッドでもポゴが激しくなって、何度かぶつかられた時、後ろにいたカップルは何度も「Are you OK?」と確認してくれた。

しかしながら、恐らく私がやらかしている悪い行いは、動画撮影だろう。その後も余韻に浸りたいため、どうしても撮影はやめられないかもしれないが、その回数や録画時間を極力減らすよう、努力していこうと、この記事を読んで感じたのでした。


ルーシー・メイ・ウォーカーのツイートに関するBBCの記事はこちら。

(終わり)

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