第8回「みんなを意識しすぎると、1人ひとりがぼやけてしまいがち」

福祉に出会う、福祉を話すワークショップ「ミーツ・ザ・福祉」の打合せが先日ありました。打合せの議題は、どんな障害を持った人が来ても、誰しもがワークショップに参加できるような仕掛けを考えること。

アイディアを出せば出すほど納得のいく答えが遠ざかっていきました。全員が満足する快を得られる状況を実現するのは、難しいのではないでしょうか?

というのも誰かの「快」を満たすことが、誰かの「不快」となり得て、誰かの「不快」となることが誰かの「快」を満たすことがあると思ったからです。

そもそも特定の個を抜きにし、みんなだけを意識し過ぎると、みんなの対象がボヤけ、曖昧になってしまいます。

耳が聞こえない人が全員、手話が出来るとは限らない。
車イスに乗っている人が全員、椅子に移ることが出来ないとは限らない。
目が見えない人が全員、点字を理解できるとは限らない。

こういう障害があるからこのような配慮をすると決めつけずに、「どんなことに困っているのだろう」「その困りごとはどうすれば解消できるだろう」と想像力を働かせ、対応する準備をし、「May I help you?(何かお困りでしょうか)」と一声を掛けます。

この声掛けがその場にいる1人ひとりに伝染していけば、場にいる人がほどほどの快を享受し、場から置いてけぼりになっている人がいない状況がつくられます。

みんな=1人ひとりの集合体です。つまり、違う個がたくさん集まってできた概念が、みんなです。僕たちがみんなを意識しているとき、そこから排除してしまう人や加わっていない人がいる可能性があります。

そのような可能性を孕んでいることは、目を背けずに考えなければいけない事実であると僕は思います。この事実を認め、人と接し会話をすることがみんなの幅をひろげていくことにつながるのでしょう。

1人ひとりを意識した配慮の積み重ねをすることで、わたしやあなたが持つみんなの枠線をひろげていく。みんなの枠の外からはみ出している人を限りなくゼロにしていく。そのプロセスが、誰しもが少しばかりの不快や障害、生きずらさを抱えながら、ほどほどに暮らしやすいまちに変えていくことにつながります。少しずつ、本当に少しずつ。

大事なことは、みんなという軸で考えるのではなく、1人ひとりを考えていくこと。1人ひとりを想像し、対話し、困っていることがあれば解消していく。そして関係性がつくられ、関係性が周辺にひろがっていくことが、ほどほどに暮らしやすいまちをつくっていきます。

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第8回「みんなを意識しすぎると、1人ひとりがぼやけてしまいがち」

世古口 敦嗣/Sekoguchi Atsushi

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専門的に学んだことがないし、研究をしたことがない。 でも障害のある人と一緒に、彼ららしい生活をつくるように約9年間伴走していたわたしが捉える障害福祉の考え方を紹介するコラム。
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