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12/9 生き方見本市KOBEに登壇して

12/9、生き方見本市KOBE(https://www.ikikata-mihonichi.com/top/)に登壇。
「福祉と自分をつなげて生きる」セッションで、智代ちゃん&知恵ちゃんとトーク。モデレーターは藤本くん。

セッションの冒頭で紹介した通り、個人でやっている活動を福祉と思っていません。単なる遊びです。障害をお持ちの友人と一緒に遊んでいるだけです。

20代前半の頃、脳性麻痺のおっちゃんと東京に友部正人のライブを観に行きました。ぼくだったら新幹線チケットを購入するだけなのに、彼にはいくつものハードルがありました。チケット購入のためにJRに行かないといけない。多目的ルームを予約しないといけない。ホテルも限定的で行き先がすべてバリアフリーばかりではない。ヘルパーを頼まないといけない。バッテリーの準備をしないといけない。本当にたくさん。

この旅行のなかで、ずっと忘れられないことがあります。
ライブハウスに「電動車椅子に乗っていますが、入店できますか」と事前に連絡したら「全然大丈夫!」と返答がありました。安心しきって会場に到着したら地下へ続く階段が20段程度。しかも狭い。店員に伝えたら「僕たち持ち上げるんで大丈夫っす!」とまわりのお客さんも巻き込みながらお手伝いをしていただき、ライブを無事に鑑賞することができました。(遊びに来ていた森山直太朗さんにもお手伝いしていただいたのも良い思い出)

その後宿泊したホテルはバリアフリー対応型。でも、店員はあまり手伝わず、部屋も使いずらい。

この対照的な出来事によって、福祉がサービス化していく弊害ってあるんじゃないかと思うようになりました。それが無関心さを助長していき、誰かがやってくれるんじゃない?という意識になるのかなと思います。また「障害をお持ちの方=利用者」から変わっていったのかもしれません。いや、変わっていったのではなく子供のときの感覚に戻ってきました。

車椅子に乗っている友達が、こういうのがしたい。じゃあ、一緒にやろうよ。アスペルガーの友達が、ああいうことがしたい。じゃあ、一緒にやろうよ。こういうことを楽しみながらやってきただけ。わたしとあなたの遊びの枠が拡張していったから、誰かしらの福祉になったのかもしれません。

実はこういうおはなしをすることを直前までやめようと思っていました。
福祉サービスを生きるために使用している方々はたくさんいらっしゃいます。既存の福祉サービスでは生活が困難な方々は数多くいらっしゃいます。
そういう人たちの気持ちを無視しているのではないかと思い、たくさんの方々がお聞きする前では、この視点は伝えない方がいいのではないだろうか。でも、一緒に登壇したともちゃんや村上さんたちと会場でおしゃべりしていて、気持ちが変わりました。「僕は彼らと一緒に遊んだことで顔の見える関係をつくってきたんだ」と。それこそが、福祉のはじまり。友達になることが、社会モデルの障害を薄めるきっかけ。こういうことがセッション内で伝わればいいなと思いました。

セッションでは何を喋ったのかをほとんど覚えていません。脚色のない考えとともに、自然と言葉が出てきました。そう、生きた言葉。

唯一覚えているのが、最後の締めの言葉。「ぼくはこれから障害福祉を傘に、まちをつくっていきます」
障害をお持ちの方も含む多様なまちの人たちとの関係性を紡いでいくことで、あらゆる人がその人らしく暮らしているまちをつくっていきたいです。もうすぐだ。

福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。