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お父さんと呼べる存在ができたことが嬉しくて/声なき声を聞く

567日目。

尹雄大さんのTwitterからこの記事のことを知り、読みました。

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わたしの幼馴染K君のお父さん。
とても面倒見がよくて、地域では町内会長さんを長年やっていて、お酒が好きで、飲むと陽気な人柄がさらに陽気になる、地域のみんなに慕われている人。

幼馴染のお父さんで長年おつきあいがあるとはいえ、子どものわたしからしたら「K君のお父さん」という認識しかありませんでした。

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あれはたしか10年くらい前だったでしょうか。
同級生何人かが集まって飲み会をしました。
場所はK君の家。

みんなでワイワイ飲んでいるところに、ほろ酔い気味のK君のお父さん帰宅。
同級生同士の飲み会に、帰宅したばかりのK君のお父さんも加わって、さらに飲み会が盛り上がりました。

そのときにはじめて聞いた話がありました。

K君のお父さん
「おれはMちゃんのことを子どもの頃から心配してみていたんだ(Mちゃん=この飲み会にも参加していた同級生のひとり。小さい頃にお父さんを亡くしている)。いい子に育っていがった〜(よかった〜)。オレは、生まれた時から親父がいなかったから、片親だってみんなに馬鹿にされていじめられたんだよ。だからね、心配してたんだよ。」

K君のお父さんのお父さん、つまりK君のおじいさんは、妊娠中の妻(K君のおばあさん)がいたのですが、戦争で沖縄に行き、そのまま帰らぬ人となったのだそう。

後日、わたしが大学のゼミの実習で沖縄の戦跡を巡ったことをK君に話すと、摩文仁にある平和の礎に数年前に家族で行き、おじいさんの名前が刻まれた碑を見てきた、それはお父さんの長年の希望だった、ということを話してくれました。

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K君のお父さんにまつわるエピソードが、もうひとつあります。

若かりし頃のK君のお父さんが、K君のお母さんと結婚することになったとき。

酔っ払って、彼女(K君のお母さんのこと)のお父さんと一緒の布団で寝たという話が、微笑ましいエピソードとして、地域内で語り草に。

男同士、一緒に仲良く飲んだあと。
若かりし頃のK君のお父さんは、「お父さん」と呼べる存在ができたことが嬉しくて嬉しくてたまらなかったようで、「親父とこうして一緒に寝たかったんだ」と言って、布団に潜り込んだそうです。

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斎藤真理子さんの記事。

その夜、日付が変わって二十三日になり、家々のあかりも消えて真っ暗闇になったころから、その斜面の方角がなんとなくざわついてきて、「そこ、確実に、大勢の誰かが、いる」という状態になった。これ以上詳しく書いても多分わかっていただけないと思うので、書かない。

だが、もっと不思議だったのは、眠っていた生後八ヶ月の息子がいつの間にか目覚めてはいはいをしてきて、窓にぴったりと顔をつけ、そちらの方向をじっと見ていたことだ。物音か気配のようなものに惹かれて起きてきたとしか思えなかった。その気配のようなものはずっと続き、空が白みはじめる前あたりにすうーっと、消えたようだった。いや、気づいたら何かが終わっていたのだ。「終わったな」と思ったとき、息子は横になって眠っていた。一度も泣かなかった。

「空が白みはじめる前あたりにすうーっと、消えたようだった」けれど「確実に、大勢の誰かが」

確実にいたのだ、と思います。

その人たちが語りたかったことはなんだったのか。

その声なき声に耳を傾けています。

6月23日。
今日は沖縄慰霊の日です。





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