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彼女の言う「どっちでもいい」はなぜクールなのか?

454日目。

くーっ!カッコイイなぁ!

*

毎日noteを書き続けて、わたしは、今日が454日目。

400日目頃、毎日noteを本気でやめようと考えていました。

でも、なんとなくやめるのはイヤだから、444日目とか、キリのいいところまでは書こうかな?

とか、

やめたらきっとラクだろうな、余白ができて。
noteを毎日書くことで使っていたエネルギーと時間を、ほかのことに使えるのだもの。

などといろんなことを思い、揺れる気持ちを抱えながら、400日目クライシスを通り過ぎてきました。
(乗り越えたわけではない)

なぜ今日までやめなかったのか?

正直よくわかりません。

けれど、

今、毎日noteをやめちゃったら、

600日目にわたしは何を思うのかな?
700日目は?
800日目は?
そして、1000日目を迎えたとき、わたしは何を思っているのかな?

ということを、わたしは経験することができないのだな、と思いました。

そう思ったら…。

ら…。

うーん…。

やっぱり経験してみたいかも…。

って、思っちゃいました。

400日目クライシスの頃、わたしはちょっと苦しかったけれど、それだって、365日目でやめてたら経験できないこと。

400日目は苦しかった、という経験は、400日やらないとわからないことなんだよな。

*

ともこさんのnoteに話を戻すと…。

途中、「マジで書くことなんも無いし、こんな内容で書いてても意味ないな」と何度も思ったけど、やめ切れなかった。
(暇だったから)

最近は苦もなく楽しく書いていて、
「いつまででも書けるぜ!」と思いつつ、
「でも毎日でなくてもいいかな。1000日っていい区切りかも。」
と思ったりもしていた。
ふんわり思ってた。

そしたらふんわりすぎて、1000日を超えてしまった!

自分で設定したゴール、みたいなものがあって、日々淡々とやっていたら、あ!そういえばゴール超えちゃってたわ〜!

っていうクールさ。

まあ1000を超えたらさ、
もうどこでやめてもどこまでやっても、
どっちでもいいよね!

「どっちでもいいよね!」

っていう、クールさ。

わたしがともこさんの言葉に見出している「クールさ」は…

こだわりがない
軽やか
自由

ってことなんだ。

わたしはそういうのが好きなんだな。

*

けれど、わたしは同時に思う。

ともこさんのこの言葉、1000日やった人にしか言えない言葉でもあるんだよな。

「こだわりがない」は、「どうでもいい」とはちがうし、

「軽やか」は、「薄っぺらい」ではないし、

「自由」は、「気分や感情の奴隷になって流されている」のでもない。

「1000日やり続けた」という厚み、重みがあるからこそ、「どっちでもいいよね!」という軽やかな言葉は、透明に輝き出すんだ。



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