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信仰の自由がなかった私たち

私たちには信仰の自由があるけれど、多くの子供たちがその主張を許される前にその信仰を決められてしまい人生を狂わされている。信仰とは、教えとは、人権とは何なのだろうか?私たちは何を故に信仰を始めたのであろうか?信仰とは一部の人間にとっては命のようなものであり、一部の人間にとっては嫌悪の対象でもある。宗教の違いや民族の違いで殺し合いになるし、一部のエキセントリックな宗教のせいで本来の意味の信仰とはかけ離れたものが独り歩きし、宗教や一部の人間を嫌悪する人もいる。
私は生まれた頃から生活の一部に信仰があった。母親の教えるとおりに朝晩祈り、何か嫌な事があると普段より時間をかけて祈った。毎週行われる宗教の集まりに決まって連れていかれ、週何度かの大人のみの集会の日は小さな妹と二人留守番した。父はその宗教を毛嫌いし、無関心であったが、主導権を握っていたのは母だったので私と妹は否応なくその宗教に参加していた。小さな頃はその宗教が良いものだと思っていたし、その宗教をしている人間は優しい人間ばかりだと錯覚していた。しかし大きくなるにつれて周りの話を理解できるようになると、いい人ばかりではないという事がなんとなく分かった。女たちばかりが集まる会では絶えず誰かのうわさ話や悪口に華が咲いていたし、大きくなって入れられた音楽の集まりには意地悪な上級生や同級生もいた。お世話係の大人の若い女性にもすごく無責任な人がいたし、セクハラまがいの発言をするおじさんもいた。同じ宗教の仲間内でさえ争い事はあるようだったし、だんだんと宗教の集まりが億劫になっていった。
何かダメなことがあると決まって自分の信仰の薄さのせいにされ、もっとしっかりと祈れと言われた。罰が当たる、といわれる事もしばしばで他宗教のお寺や神社等は行ってはいけないと言われたし、私は初詣や除夜の鐘にすごく憧れていたのだけれど、それにも絶対に連れて行ってもらえなかった。初めて初詣に行ったのは成人していとこに連れて行ってもらった箱根でだった。
中学の頃修学旅行で行った奈良や京都で見たお寺はすごく趣があり、行くなといわれていた私は母を恨み、写真に収めた。歴史の暖かさと凄さ、文明というか、機械の発達していない場所では人はもっと正確で、器用であった。脳みそがひっくり返るほど私は怒っていた。こんな凄いものに母は蓋をして私から隠そうとしているなんて許せないと思った。そこには宗教を超えた芸術があった、人の苦労の結晶があった。信仰は心の中にあるはずなのに、偶像を欲し求めることが何故いけないのであろうか?ぶれる事の無い信仰心がそこにあれば、他宗教の芸術を見て感動しても問題ないはずだ。母の心はそんなに脆いのであろうか?それとも母は私の信仰心に疑問を持っているのだろうか?埒が明かなかったが、私は争いが嫌いであったから心の中にしまっていた。
いじめられた時も、蔑ろにされた時も、私は黙って耐えた。母に知られるとどうせ私が悪くなるのだし、ひどい時は怒鳴られた。母にとってその宗教の中の人間はいい人達だったし、どうせ私の要領の悪さをけなされる事になるだろう。
他の宗教をあんなに批判している宗教だったのに、ある日若い人たちの集まりで隣にいた少し年上の女性が十字架のモチーフのピアスをつけていた。私は少し面喰い、他の宗教に通じる装飾品をつけてもいい事を知った。たぶんその女性は普通におしゃれとして着けていたんだろうと思うけれど(もしくはただ単にその女性がその宗教の人ではなく知り合いに連れてこられただけの可能性もある)母に禁止にされている事が多かったせいか、私は自分なりの秘密のようにしてちょっとずつ他宗教の芸術品なんかを見て歩くようになった。私は芸術も好きだったけれど、思想や言い伝え、しきたりなんかにも興味を持っていた。日本の伝統や神様を祀る事に嫌悪感のあった母親だったので、そういうものが我が家にはほとんどなく未だに何にも知らない。他宗教の芸術品で特に興味を持ったのがキリスト教における宗教画で、教会や建物にも興味を持った。ただ一年に一度だけ母は来なかったが、父の実家の近所にあるお寺に墓参りに行った。そこにはお堂みたいな場所があり、とても神聖な場所で、お供えされている物や、きちんと整列した何かが今でもぼんやり夢のように頭の片隅に残っている。お線香の香りが優しかった。そこにはお地蔵さまも沢山いて、父がさわるとあったかいのがあなたのお地蔵さまだよと教えてくれた。父は少年の頃そこで幽霊をみたそうだ。きっとススキの見間違いだと思うけれど、あの時は本当に怖かったと昨日の事のように教えてくれた。父は散歩がてら、よく幼い頃の思い出話をしてくれた、あたたかい大きな樹のような人間だった。
死ぬ直前の父にも母はその宗教を強要した。父は朦朧とする意識の中かっと目を見開き、それをするから悪くなるんだ、と言った。その後父は遠くの病院に成功率18パーセントの手術を受けるために搬送され、そこで生涯を閉じた。父が嫌がるのを聞かず母は枕元で祈り続けた。
父が死んだ後、かしこまって母が言った。「あなたのいう事を聞いて離婚しなくてよかった」
父が家を出た後、母に好きな人が出来たらしく離婚しようか考えていると言った。私は父との繋がりが切れてしまうようで嫌だったので、口から出まかせで妹が成人するまで待ってと言った。それを聞いて母は離婚しなかったのだが、きっと保険金や遺族年金でもおりたのだろうか、それに喜ぶ母を気持ち悪いと思った。
伯父が父の葬式を手伝ってくれたのだが、他宗教の葬式に金を出さないと母は言い張り、そこで父方の親戚といざこざになった。父の骨は分骨され一部を母の購入した宗教のお墓に、もう一部は私が小さな頃お盆に墓参りをした一族の墓にいれられた。私は骨を拾うとき、生花を縛っていたであろう針金が焼けずに残っていたのでそれをこっそり取り、ネックレスに通して首からぶら下げてお守りにしていた。
人間を焼くというのは思ったより衝撃的な経験で、父が話してくれた火葬場の話を思い出していた。父の通学路には火葬場がありそこを通るたびにパン!とはじける音がするらしいのだけど、それは焼かれた人間の腹がはじける音だ、という随分グロテスクな話だった。ボタンを押すと炎が棺桶を包んだ。その後出てきた父は人間の形に白い骨が並び、さびしかった。父の腹もはじけたのだろうか?そんな事を思いながら骨を拾った。
車の免許を取りたての私は、火葬が終わり母の親友を車で送る事になった。母と妹は親戚の家に行くことになったので、私と母の親友、夏木マリにどことなく似ているのでマリおばちゃんとしよう、は何気なく父の話で盛り上がった。実は父はマリおばちゃんの知り合いであり、喫茶店でマリおばちゃんの紹介という事で母と出会ったのだ。マリおばちゃんもまたあの宗教の信者であった。やはり夫からはすごく反対されているらしく、何度も暴力を振るわれたらしい。家族を引き裂くような宗教を何故皆敢えて信仰するのであろうか?
試練と言ってしまうにはあまりにもむごいほどの悲しい体験談を私は聞かされた。それでも最後には皆口を揃えて言うのだ、この宗教があったから私は乗り越えてこれた、ありがとう!と。果たして本当にそうだろうか?私はこの宗教により、心を押さえつけられていたし、善悪の判断も教えによって変な後ろめたさがあったし、耐えることを美徳とするような人間に育ってしまった。苦しい時に助けてと言えない事は本当に死活問題だ。苦しみ生活もままならないことを恥ずかしい事と思うし、無理をして大丈夫幸せです、という事が果たしていい事なのであろうか?
こっちに来て私は寂しさゆえ人との繋がりが欲しく自分で固く締めていた紐をほどき、母に渡された住所を頼りにその宗教に再び片足を突っ込んだ。外国なら、きっと外国風の教えで日本よりはまともなはずだと信じていた。勿論まともな人が殆どであったし、日本人以外の人間は過干渉でなかった。しかし、不幸な人が多かった。日本人は日本人同士で集まり愚痴やうわさ話に花が咲き、私はそういうものが大嫌いなのでゆっくりと距離を置く。決定的だったのは、本当にさっぱりとしていて、私のお姉さん的存在だった人の死に於いてのみんなの態度だった。死んだ人を前にしてかわいそうから始まり旦那が悪い、男を見る目がなかったなど悪口のような話に花が咲く。ああ、もうこれは終わりだな、と思った。この人たちは宗教の本当の意味を理解していないし、こういう所に一緒に存在している、仲間だという事が耐えられなかった。辞めるとは言わず一方的に距離を置いた。
しかし私はそこにおいて一つの大事な数字らしく、イベントごとに職場まで来られ是非参加してと迫られた。まだ開店もしていない職場の裏口から乗り込んで来られた時は、さすがだなあと感心してしまった。でも私は宗教が人間の運のなさを左右しないという事を知っているし、信仰の薄さにより運が悪くなったり罰が当たるという事はあり得ないと知っているし、信仰無しで毎日何となく楽しく過ごせるという事も知っている。私は自分の心からその答えを導き出せた。要するに信仰とは縋るものが欲しい人間の砦なのだ。大抵の人間はこじつけたいし、生きている意味のようなものが欲しい。それが信仰によって得られてしまうのだったらなんでも信じればいい。私は信仰しないが、他人を否定もしない。ただ、いくら信仰心が厚くても自分の心が脆ければ何の意味もないと思う。信仰していても泥棒や嘘つきはいるし、意地悪な人間もいる。勿論その逆もだ。
近頃宗教二世・三世の漫画やエッセイを目にすることが多くなり、殆どのものがその宗教に対して否定的なものだ。一昔前ならそういう漫画やエッセイは目にすることが無理だったはずだが、インターネットの普及に伴い当事者たちが声を上げ始め、自分だけが異常ではなかった、普通だったという事を知る。批判する事によりきっと傷付く事もあるだろう。しかしひとりではないのだ。声をあげてくれた人間たちのおかげで心を救われるものもいる。信仰で奪われた小さな頃の生活、やりたかったことの抑制・抑圧、様々な決まり事や禁止事項で自由にものを考えることが困難になってしまった事実、そしてその事実を肯定し今までの生活を否定する事による葛藤や心の痛み。信仰によって生きがいを見つけられる人はどんなに楽だろう。信仰によって人格を否定されていないのだから。
私は信仰を否定しないし、その教えを説いた人々の教えや哲学に興味を持っている。全ての宗教は大体似たようなものだし、どの宗教を熱烈に信じるとかではなく、良い所取りで自分に合った教えや、格言なんかを心に持っていればいい心持が生まれるのではないだろうか?読書に似ている。その作家の作品全てが、文章全てが好きだという人間はそんなにいないと思う。この言い回しやコンセプトは好きだけど、あれはいただけないな、なんてことはあると思う。宗教もそれでいいんだと思う。この教えは納得できるけれど、これはダメだし、あのおばさんが言う事は信頼できない、あのお姉さんはいちいち人を羨むし、でもあの人は静かだけどやさしい。
私たちには生まれながらに人権というものがあり、信仰の自由も保障されている。しかしそれはただ単に飾りのようなもので、子供たちが信仰を選べる自由なんて無いに等しい。私は自分の子供たちに色々な宗教や文化、価値観を知って欲しいので強制をしない。実家に帰るとお決まりのように母は子供たちを仏壇の前に座りたがらせる。それはそれで、よい。一時的なしきたりのような祈り、ご先祖様に「ただいま」というような祈りだからと思っている。信仰に縋らずとも他に生きがいがあれば人生は楽しいし、全ての人間が楽しいばかりの人生ではない。
しかし実家を出てからも信仰の呪いのようなしがらみは私をじわじわと苦しめ続ける。悪い事があれば決まって、私が信仰していないせいなのかもしれないと思ってしまうし、怖い事があると無意味に祈ってしまうし、リビングルームには未だに母から持たされた簡易仏壇を置いている。本来、不幸になってしまう宗教なんてあってはいけないと思うし、他人を不幸に陥れる宗教なんてなおさらだと思う。信仰心、探求心の厚かった私は人一倍読書をしたりその宗教の読み物を読み漁った。書いている事は殆どいい事ばかりなのに、なぜ周りの人間、特におばさんたちは人の不幸を笑いものにし、時に虐めのように辛辣に人を傷つけるし、気に掛けてくれたお姉さんたちは結婚を機にぱたりと音信不通になるのだろう?組織というものは本当に厄介で、私が日本に居てこういううやむやな信仰心だったらきっと母が責められているんだと思うと、案外私がこっちに来て正解だったのかもしれない。
戦争はいけないと言って平和展を開いていたような宗教が、私が渡米する前後変な方向に傾き始めた。(沖縄県知事選、デニーさんを必死で応援している人達がいるという事を聞いて嬉しかった)悪い人間ばかりではないと思う。踊らされている人間ばかりではないし、中の人間も必死で声を上げている。大きな宗教団体なので地域によって差はあると思うし、個人個人でもやはり全く違う。私の書いた事全てが正しいとは限らないし、これはただ単に私個人に起こったこと、感じたこと、そして縛られていること。これで育ってきたのだから、これからもずっと沁みついているのだと思う。でも疑問を持ってもいいんだよ、と押してくれる存在が周りにいたので私は悪い方へ流されずに済んだんだと思う。
押してくれた存在は父と連れだった。どっぷりと宗教に縛られていた私はおかしいと戸惑う連れに激高した事もあった。宗教を否定する父をかわいそうだと思っていた時期もあった。怖いなあと思う。私は怖すぎてどの宗教にも入りたくないと思う。集団が苦手な私はきっと宗教に向いていない人間だと思うし、他人の不幸話なんて所詮はゴシップのようなもので喋る本人も聞く他人も気分がいいんだと思う。人間は心変わりする生き物であるし、宗教団体も大きくなればなるほど複雑に変化し、本来の意図から全く違った物体に変貌したり、内部反乱が起きたりする。だから離れていく人もいるだろうし、新しく様変わりした方に魅力を感じる人間もいる。根本に平和や教育があり、それを追求している宗教を私はずっといいものだと信じてきた。しかし周りの人間に振り回される事自体が億劫な私にとって、宗教とは自分の心の持ちようであり、他の人間は必要でなかったのかもしれない。人それぞれ宗教への関わり合いは異なっており、それを強制するのは間違いだと思う。他宗教でも平和や教育を追い求めている物もある。これを信仰しなければ地獄に落ちる、などと言っているうちは誰も平和になれない。差別から争いが生まれ、戦争になる。戦争は負の連鎖ばかりで、全てを破壊し大切な人々を切り離す。信じているものが違えこそ、最終的に人は死にどこかへ行くのだ。それはどの宗教を信仰していようが同じだと思う。本来心を豊かにしてくれる宗教。人を羨む事や、搾取すること、こぞって蹴落とす事を止めればきっと信仰は清く美しいものになり、どんな人間であろうがそれを信じてみようという気になる。
私の心の奥底には信仰は絶えずあって、信仰とは自分との闘いであると思っているし、それ無しでは苦難を乗り越えれなかったであろう。それが苦難になった事もあったが、そこから多くの事を学び受け入れた。要するに私は良いものを信じ、悪い所は信じない。他宗教でもいいなと思ったり、面白いと思ったら追求したくなる。宗教画や宗教建築なんかはどれをとってもすごいと思うし、しきたりや言い伝えも面白い。
私なりの結論は、宗教とは自分で選び信仰するものだ。所詮他人から強制されて信仰していると、いつかは離れてしまう。だから子供たちに強制するものではないし、押し付けて将来それを信仰するとは限らない。(アーミッシュの子供たちは16歳になると一度親元を離れ俗世で暮らすか、アーミッシュとして生きるかを選べるのだけれど、生まれた時から染みついている宗教感のせいかほとんどがアーミッシュの村に戻る。中にはドラッグや酒におぼれ取り返しのつかなくなる人達もいるし、自分の可能性に気付き普通に生きていく人もいるが、その後悩む人も多いだろうと思う)世間知らずの大人になる前に自分の事は自分で選ばせるべきだと思う。

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