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かつて存在した 刹那の光の物語

私は写真がなぜ好きなんだろうと考えてみた。
原点は父かも知れない。父はニコンの一眼レフを革のバッグに入れて持ち歩いているような人だった。どこに行くにもその革のバッグが傍らにあった。写真の道具一式も揃えて、自室で現像までしてしまうほどの力の入れようだった。写真の雑誌や写真集の類も山のようにあった。でも自宅のアルバムに残るのは他愛ないスナップ写真ばかりで、私は父が本当に撮りたかったのはどんな写真だったのだろうかと、今でも疑問に思う事がある。
父が家出をした後、私は父の部屋を何度か漁った事がある。写真のプリントとやらを自分でやってみたかったのだ。父はいつかカメラの扱い方を私に教えてくれると約束してくれたのだけれど、結局私に買い与えられたのは使い捨ての写ルンですと、母のコンパクトカメラだった。近所の店でフィルム現像してもらい、そのネガを使って自分なりにプリントしてみたかったのだ。
父の部屋を漁っていると、大きい印画紙が出てきた。くるくるまかれている印画紙には白黒で混沌としたものが写っていた。よく眺めてみると、それは水だとわかった。水の動きの瞬間をとらえたその写真はよくわからなかったけれど、いつも父が撮っているスナップ写真とは明らかに違う、一種の芸術的趣があった。父は水の動きを眺めるのが好きだったのだろうか?それともその水に反射する光のきらめきが良かったのだろうか?今となっては何もわからないけれど、父はそういう写真も撮るんだということが分かった。そしてもう一種類、オレンジ色の大きな封筒に入った何枚ものスナップ写真。全て叔母の物だった。いつ、どういうシュチュエーションで撮影されたのかはわからないけれど、まだ若かりし頃の叔母がぎこちなくポーズを決めて写真に納まっていた。二人で撮影したのかもしれないなあ、と私は何となく察した。母の三つ下の妹である私の叔母は、かわいらしい。アイドルっぽさがある。父の所蔵の写真集には結構アイドルの物も沢山あって、父はそんなものも撮ってみたかったのだと思う。でもうちの母はあまりぱっとしないので、叔母にはしったのではないか?父と母が喧嘩している時、父が口走った事があった。
「俺は、○○ちゃん(叔母の名前)の方がよかった」
おい、そんな事子供の前で口走るなよ、私と妹の存在まで否定された気になるじゃないか。
とにかく父は人物を撮るのにも興味があって、出来る事ならヌード写真も撮りたかったのではないか?そんな父はカメラを持ったまま家出をして、そのまま亡くなったので、私は結局未だに一眼レフに触れぬままだ。父と一緒に住んでいた律義な女性が父の物を段ボール箱にまとめ葬儀場に持ってきたらしいのだが、全て伯父に取られてしまった。父の所有していた自動車にきっとカメラの鞄が入っていたと思うのだが、電話口で伯父はすべて処分したといった。一体どんな思い出や想いがそのフィルムに込められていたのだろうか?もしかして誰かがそのカメラを大切に持ってくれているのなら、それはそれでうれしい事だ。父の大切が、蔑ろにされていないのなら、それでいい。家族は捨てても、カメラは捨てなかったような人だ。きっとそれなりに大切だったんだろう。
私には使い捨てカメラや、コンパクトカメラが性に合っているような気がする。いつでも簡単に取り出して、構える事なく気の抜けた写真がポンポン取れる。思い出も、大好きも、瞬時の記憶も、それこそ呼吸をするように。それが私の築きあげてきたスタイルだと思う。無理をして一眼レフに走る事はないし、自分の好きなようにやればいい、とようやく思えてきた。それはちょっと大きなズーム機能のあるカメラを買ったのだけれど、サイズ的に一眼レフと同じようなやつで、これがもう面倒なのだ。持ち運ぶのも結構邪魔になるし、それなりにいい画は取れるけれど、それだけだ。私はもうコンパクトカメラを貫こうと思う。

最近、三冊の写真集を購入した。

川島小鳥さんの「未来ちゃん」
石田真澄さんの「light years -光年-」
ヴィム・ヴェンダースの「かつて…」

私には文章を書けなかった時期と、写真を撮れなかった時期があって、どちらともほとんど同時にやってきたと思う。文章を書けなくなったのは、書き溜めていたデータが全て飛んでしまった後であり、その後じわじわと鬱状態に陥り写真を撮るのが怖くなった。自分で見るはずのものや思い出をレンズ越しに眺め、レンズ越しが私の思い出の全てになってしまうのではないかと怖くなった。虚構をみているようで、写真を楽しめなくなった。悩んでいる時に限りなく湧いてくる創造力はそこにはなくて、鬱という魔物に支配された心は腕を動かすことすら億劫で、自分がただの怠け者になってしまったようで情けなかった。そういう時期には他人のつくったキラキラ光り輝くものはともかく、絶望を綴った苦悩の記録さえも受け入れなくなっていた。世界中の芸術に私は心を閉ざしてしまったのだ。闇の中、そこで心地よく漂っていた。自分の本当の思いに蓋をして、本当は漠然とした不安と見えない未来への恐怖とで押しつぶされそうになっているのに、無関心なふりをした。

ヴィム・ヴェンダースは「かつて…」の中で写真についてこう書いている。

”写真を撮ること
—よりふさわしくは、写真を撮ることを「許す」こと—は、
真実であるには美しすぎる。
次のように言ってもかまわない。
美であるには真実すぎる、と。
写真を撮ることはいつでも常に僭越で、反抗的な行為である。
撮ることは尊大である、
そして同時に滅多にないほどの謙遜を教えてくれる。
(それゆえに尊大な「かまえ」と、
同じくらい謙虚な「かまえ」が共存し得るのだ。)”

抗う事を恐れた私は、流れる時を止めそこに閉じ込める事が怖かった。私にとって写真を撮る、とは「閉じ込める」という行為だ。切り取られた時がそこには永遠に存在し続け、おとぎ話のように同じ瞬間を繰り返す。世界そのものが荒れ地のようにすさんでいた私の心には、その世界を閉じ込めてしまうなんて怖すぎて出来なかった。子供達を写真という世界に閉じ込めておくことが怖かった。そこに閉じ込められた子供達は永遠にそこで分身として存在し続ける。私は置き去りにするのが怖かった。私は置き去りにされた私を探し出せない事が怖かった。

”「一度(かつて)、は、(まだ)ないのと同じ」という格言がある。
子供の頃は素直にそう思っていた。
しかし、少なくとも写真に関してはこれは正しくない。
「かつて、は、一度限り」なのだ。”
              −ヴィム・ヴェンダース 「かつて…」より

写真に閉じ込めてしまえば、私の存在も、子供達の存在も、愛しい風景も、存在してしまう。名もなき人間たちも、写真になって残れば確かに存在したということが証明できる。在ったということが、消滅したあとでもそこに存在する事が許される。
許されたい、いや、忘れられたくない、そう感じた時私は再びしっかりと写真を撮る事が出来るようになった。存在を確かめたい、生きている理由を知りたい、そう思えるようになった時私は書く事を再開させた。

この三冊の写真集には私なりの共通点が潜んでいる。

「既視感」、だ。

呼吸のように映画を観る私にとって、ヴィム・ヴェンダースの「かつて…」には映画でおなじみの顔ぶれが登場する。そのどの人とも現実の世界では会ったことなどないのに、ページをめくるたび彼らに微笑ましい懐かしさを感じる事が出来る。そしてもう死んでしまった「かつて」存在した、映画の中でしか知らない彼らに、切なさをおぼえる。
そしてあるいは、ありふれた切り取られた世界に存在している、あの場所によく似た通り、部屋、ネオンサイン、墓地、荒野。
ああ、こういう場所は私も知っている。

川島小鳥さんの「未来ちゃん」にも、不思議な懐かしさがあった。どのページをめくっても、家族アルバムにおさめられた小さな頃の私がそこにいた。私の家族アルバムはとち狂った母が断捨離ですべて捨ててしまったらしいので、私は「未来ちゃん」をじっくり眺めては私の薄れゆく記憶の片隅に残っている、私の写っていた写真を思い出すのだ。私の知っていた風景を思い出すのだ。切なくもあるその行為を私はやめられない。かわいい未来ちゃんが、その思い出をもっと豊かに昇華してくれる。
真っ赤なほっぺた、金魚鉢の金魚、さわると暖かく感じるのがあなたのお地蔵さんだと言われた無数の地蔵、桜並木、くさい水仙、じいちゃんの家にあった三和土、七五三の着物、夕焼け、海の光のきらめき。
ああ、こういうのも私は知っている。

そして私が高校生だった頃にこの世に生を受けたであろう、石田真澄さんが高校生の頃に撮った写真を収めた初の写真集、「light years −光年−」。
実は中学の頃の同級生が編集を手掛けたこの写真集。印象的な光の美しい写真の表紙にくくられた帯にはこうある。

”消えていった遠い星々の
過ぎ去った日々や人々の
いつか確かに放った光が
照らす永遠の今、今、今。”

その刹那のきらめきが眩し過ぎて、私は写真集を開くのに躊躇した。怖かったのだ。それを開いてしまえばもう、そのキラキラと過ぎ去ったあの懐かしい日々が二度と戻ってこない、という事実を認める事になってしまうようで。手元に私が高校生だった頃友達と一緒に撮った写真が幾枚かある。わたしの行った高校は工業高校で、全校女子数が50人程という特殊な環境であった。そこに私は存在し、一女子高生として無敵を纏える事を許されていた。その写真に収まる私は決してかわいくないけれど、確かに輝いている。その刹那のひかりのような「今」を。
一晩だけ待って次の日の午後、西日の当たるダイニングで、立ってページをめくった。
ああ、やはり眩しかった。そして、あの頃の私も確かにそこに存在した。そして、かつてドキドキしながらめくった母のアルバムにも同じ種類の輝きが存在していた。そうだった、母にもこれがあったんだ。
靴箱、おどける友達、キラキラ差し込む日の光、渡り廊下、紺色のソックス、体操着、昼下がりの体育館、ロッカー、雨の日、駐輪場、無限にやってくるきらきらした日々よ終わらないで、そして、はやく大人になりたいという、無意味な憧れ。
ほら、私これも知っている。

その他大勢でもいい、だけど私がそこに存在したということを忘れないで欲しい。
それはきっと誰もの願いでもあり、遠い遠い星々に存在したであろう太古の私たちの祖先の元になったかもしれない、生物たちの切実な願いなのかもしれない。
だから何をみても、ある種の既視感を感じるのかもしれない。私たちに刻まれた膨大なここに至るまでの人ひとや生物の記憶、それは全て確かにそこに存在している。

”写された世界と「もの」は、
写真から抜け出て、
その写真を見る者のまなざしを受け、
物語として生き続ける。”
          −ヴィム・ヴェンダース「かつて…」より

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