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ひとめぼれ病

私は雰囲気がいい人が好きだ。何というか佇まいがよい、線にしたときに美しい形になりそうな人に毎回目が行ってしまう。
特に一条ゆかりの漫画から抜け出してきたような線の人が好物だ。
私はユーチューブで音楽を聴くときは初めに好きなミュージシャンの曲を流してからずっとオートプレイにしておく。そうしておけば似たような特徴のミュージシャンの曲を流してくれるので、知らなかった好きそうなバンドや歌手を見つけられて一石二鳥だ。私はこれでよしむらひらくやあいみょん、indigo la End、Andy Shaufを見つけた。オートプレイは本当に偉いしたまに迷走するがそんな時はさっさと次に進めばよい。
今回もLPというアーティストをそうやって知った。
線の細い少年のような未熟さの残るちょっとだけ神経質ぽそうな、一条ゆかりの漫画で例えるなら砂の城に出てくるフェランといった感じだなと思った。性別は限りなく男性に近い見た目だったのでどんな声なんだろうと見入っていたら、拍子抜けするような女性の声でしかも力強く声域も広く一曲で虜になってしまった。
その時聴いたのがLost on you のライブセッションだったのだけど、LPの雰囲気が佇まいが私の脳の片隅に常に残っている残像と重なって美しく哀しいと思った。いつか慕っていたあの人に似ている。私は人間関係が嫌いなので片思いの方が得意だ。


篠有紀子の花きゃべつひよこまめの二巻に出てくる過去の思い出とリンクした気がして、バッドエンドになることは避けたいけど、ユーチューブのプレイヤーの下に親切にももうすぐあなたの近くでLPのライブやりますよチケット買え!とか出て来るもんだから私は二日くらい悩んで、結局チケットを買ってしまった。
篠有紀子の花きゃべつひよこまめは大好きな漫画でもう何度読み返した事だろうか?全てのキャラクターが濃くて愛しくて、共感できるし笑える。二巻の第十四話、恋に落ちてというエピソードはちょっと切ないのだけど、簡単に説明すると現実逃避するためにいつもと違う買い物コースに出かけた主人公が偶然店番をやっていた魚屋の少年に出会い、淡い感情を抱き、その少年とどこかで会ったことがある気がして思い出すのが、聴きもしないクラシックレコードのジャケットに描かれてあった羊飼いの少年。その頃主人公は少女で、羊飼いの少年と恋に落ちて結婚するはずだった。でも現実では違う人と結婚してしまった。その魚売りの少年の事が気になり毎日熱湯に入れるのが怖いシジミを買う主人公。魚をさばくのが苦手、というか怖い少年はいつも主人公にシジミを勧めるのだ。病気だった店主が戻り少年は店番をしなくなり、ある日主人公は友達と遊ぶ少年とすれ違うのだけど、どけババア!と暴言を吐かれてしまうというもの。ポエティックな主人公の感情が切なく、しみじみと淡い片恋の切ない思いがよみがえってくるお話だ。人間は外見が好みでも中身が全く思ってたのと違う!なんて良くあることで、美しい人はみている”だけ”でいいな、と個人的に思う。


LPと重なった私の美しい少年は今一体どんな大人になっているのだろうか?どこで何をしているのだろうか?まだ美しいままでいるだろうか?それともでぶのおっさんになってしまっただろうか?
LPのライブに行ってしまったら私は泣いてしまうかもしれない。そのくらい動画の中でのLPは美し過ぎる。未だに消化し切れない過去の淡く切ない思い出たちは私の手が、顔がしわしわになってもきっと美しいままで、脳みその奥で再生され続けるのだろう。でも、時々一歩踏み出して誰かの手を握ってみたいと思ったりふわふわの胸に沈んでしまいたいな、なんて願う。決してセクシャルではなく、私が求めているのは安心感なんだと思う。
ユーチューブで動画や音楽が配信され出して誰でも気軽に気になる音楽や、興味のなかったものまで見れる時代になって来た事は本当に喜ばしい事だ。インターネット以前の音楽といったらラジオやテレビでたまたま知って興味が湧いてCDを買うといった事が殆どだったので、もし運悪く曲の終わりの方だけ聞いて誰が歌っているのかわからないから結局知らないままだ、何てことも多々あった。あとはお気に入りアーティストが影響を受けたというアーティストを片っ端から聴きまくった。でも今は履歴もあるし殆どのラジオ局がホームページ上にプレイリストを作ってくれており、時間をおぼえていれば手軽にアーティスト名を探し出せる。
悪い面といったらコレクター意識がない人はCDやダウンロード購入しないからアーティストにお金が行かないかもしれない事と、私に限って言えば前はセレクションが限られていたから一つのバンドにのめりこむという感じだったが、今は色々好きになってしまい、それぞれ本当に良いのでコアなファンに成れない事だ。
マリリン マンソンにはまった頃は彼らの載っておる雑誌は片っ端から買いあさったし、関連グッズも買えるだけ買ったし、日本に来るとなれば仕事を休んでコンサートに行った。今はそういうはまり方が出来ない。
ただし、最近はソーシャルメディアの普及に伴いアーティストが近くに感じられ雲の上の人という存在ではなくなり、もっと人間らしいつながりが持てる、という事が出来るようになったので嬉しい。以前はレコード会社の住所を探し出しファンレターを書くという行為が、今はインスタグラムやツイッターにコメントを残すだけで手間もかからない。しかし一度だけならず二度もファンレターの返事をくれた素敵なアーティストもいたので、アナログに手紙を書いて送るという行為は未だに捨てきれない。


最近私はへこんでいたのだ。
仕事関係のいざこざや、人間関係そして常連客の顔を全く覚えられないという劣等感が私を暗闇に突き落とし、よく泣いていた。もうお終いかもしれない、全てを投げ出して消えてしまえたらどんなに楽だろう、と。そのいざこざは現在進行中なのだけど、私は三月上旬にLPに会える。LPが歌っているところをこの目で見れる。だから辛うじて生きていられる。そして頭の片隅に忘れていたあの美しい人を蘇らせることで少しだけ夢をみられる。音楽ってこういう事なのだと思う。私にとって音楽はいつも生きていようと思える特効薬みたいなもんだった。
どこかの誰かが作った歌が今日もどこかで誰かの魂を揺さぶり、救う。
消えたいときは消えてしまわないように楽しみを準備する。それがコンサートだったり、イベントだったりすれば私は嫌でも外に出る。それが出来なくなった時が本当に怖い。外に出る勇気がなくなった時、感情が消えてしまった時、死ぬのも億劫で動くのも嫌になってしまったら私は食べるのをやめてしまうのだろうか?
魂の衰弱は身体の衰弱と直結する。
LPのコンサートが終わったあと私は死にたいと思うだろうか?
LPに惚れてしまわないだろうか?それとも思ってたのと違う、なんて幻滅したりしないだろうか?それこそ会場でもっと違う美しい人が居たらなんて再び妄想リレーが始まる。
私はきっと妄想の類だけで脳内をお花畑に出来る人間なので、ずっと寝っ転がったまま死なないんだと思う。



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