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大人になるということ

子供達の寝顔をのぞくとどうしようもないすくみを感じる事がある。と同時に言いようのない高揚感も感じる。自分勝手な人間が親になるという事は、結構大変だ。親が自分勝手でも、放任主義者でも、子供は成長していく。これでいいのか?良かったのだろうか?と何度も自問する事が多々ある。育児というありふれた行為を私は、きちんとこなしているのだろうか?
上の子を産んで感じた両親に対しての怒りのようなものはほぼ消え去り、今残っている事はああ彼らも人間だったのだな、という理解。そうである、当たり前の事なのだ。彼らも親である以前に人間なのだ。人間は日々様々な間違いを犯しながら成長したり、自暴自棄に陥るものだ。私は随分前に両親を許していたつもりになっていたが、そんなの自己満足でしかなかった。連れに対しては怒りを感じる事はまあ減ったが、子供達に対してはしょっちゅうガミガミしている。しかし寛容な心の持ち主の子供達は、私が怒ってもそれを笑いに変えてくれるし、ちょうど思春期真っ盛りの上の子は理由もなく怒り出すけれど、照れながらもいっちょ前に謝ってくれる。私は随分幼稚だなあと思う。いや、そうであっただろうか?まだ感情の種類が乏しかった子供の頃は、実は大人よりも寛容なのではないだろうか?大人になり、様々な人間との繋がりの中で知りもしなかった感情が目覚め、人間は人間らしくなっていくのではないか?
父が女の人と暮らしだしたとき、ああ、お母さんがあんなにうるさいからお父さんは逃げちゃうのに、大人しくしてればいいのに、なんていっちょ前に考えたりしたが、自分が連れに騙された時は怒り狂ったもんだ。黙っておくなんて、バカがすることだ。自分の意見を相手に訴える事が出来ない関係なんて腐っていると思うし、それは愛しているにはならない。従順は愛ではないし、愛の対義語は憎しみだ。愛があるから、憎しみが生まれるのだ。憎しみは特別な感情だと思う。愛してないと、相手を憎むなんて無理だ。
父が出て行ってから、母は夜の街に入り浸るようになった。毎夜遅く帰ってくる母を私と妹は心底心配したし、悪い人に騙されたり、母まで帰って来なくなったらどうしようかと気が気でなかった。そのことを父に話すと、まだその時はちょっとばかり愛があったんだろうな、母と喧嘩になった。でも、あまり大きな喧嘩じゃなかった。冷え切る前の関係、蝋燭が消える直前のような、そんなもうどうでも良いようなちょっとだけの愛。
母も寂しかったんだと思う。まさか父が出て行くなんて思ってもいなかったんだと思う。人間はいつもそう、自分だけは大丈夫という変な過信があるから、ダメージが大きいのだ。父という肉体の存在を失った母のダメージはどのくらいだったんだろう?
当時仲良くしてくれていたスナックのママさんの影響か、母は自分でもスナックを開きたいと言い出した。私もそのスナックのママさんとは双子座という繋がりのせいか、仲良くさせてもらっていたのだけれど、話を聞いていると母が夜の世界に身を置くのはちょっと違う気がした。母と夜の街はどう考えても結びつかなかった。そんな華やかさは彼女にはなかったし、経済力も経営力もないと思った。そのママさんからよく話に聞いていた暴力団との繋がりや、色々なしきたりのようなものを母が真面目にこなしていけるようには見えなかった。14歳だった私は全力でその母の馬鹿らしいプランを阻止した。
何故だかわからないけれど、母は何か重要な事をするときは私に意見を求めた。その時も私が阻止したらそれきり口にする事はなかった。それきりお店を出すという話はしなくなったけれど、相変わらず夜の世界は母を虜にしているようで、母なりに必死に寂しさを紛らわしていたのだと思う。
寂しさは時に狂気となる。母はまだ父に未練があるようで、様々な伝手で父の周辺調査を行っていた。
「新しい女はあの家に住んでいてね、二人の娘がいるのよ。その女を知っている人の話も聞けたわ。ゴミのあふれている家らしいわよ」
母の執着は異常で、父から反対されていた車の免許を取り、車を買った。その車に乗せられ、その女の住むという家の辺りまで連れていかれた。こんな事して一体何になるのだろう?
父が出て行き、母の帰りも遅くなった辺りから、我が家にはいたずら電話がよくかかってくるようになった。大抵は出ると切れるのだが、たまに中年のおばさんが色々聞いてくるのだった。父の新しいひとでもなく、二人の関係を知る第三者という昼ドラのような設定のその女は、中学生という多感な時期の子供を実に巧妙に傷つけてきた。知りたくない父と女の関係をべらべら喋り出すその女に馬鹿みたいに耳を傾ける私。受話器を置けばいいものの、バカみたいに無垢な私は申し訳なくてその女が満足するまで話を聞いてあげていた。
その電話の女も父が好きなのだと思った。
「あの女の事が憎いでしょう?大切なお父さんを奪って行って、かわいそうよね。お父さんね、あの女に一緒になってくれなきゃ手首を切るって、腕に剃刀を当てたんだって」
その言葉だけがやけにいつまで経っても心に残っている。意地悪な女に私はこう返した。
「父がその人を好きなら、私はその人の事を憎いなんて思えません」
あった事もない女に何の感情もわかなかった。むしろそんな電話をよこしてくるその女の方が意地悪だと思った。
不意を突いたのだろうか?私が彼女に協力すると思っていたのだろうか?その日を境にその女からの電話はなくなった。人間とは本当に怖い生き物である。知りもしない人間を痛めつける事が出来る種類の人間が存在する。当時は電話だったけれど、今の時代だったら、きっとメールとかラインとかをよこしてくるのだろうか?インターネットでも、不特定多数の匿名の人間が姿を隠して誹謗中傷する。
いくえみ綾の「あなたのことはそれほど」を5巻まで読み終えた。不倫の話だった。私は不倫をしたことはないけれど、登場人物でいうなら有島麗華の境遇に近いなあと思った。
恋をするのと、不倫をするのでは次元が違う。ある人は体の関係を持ったら浮気だというけれど、私は恋をしたらそれは浮気だと思う。体の関係は好意や愛が無くてもできる。しかし一旦相手に心を奪われてしまえば、今までの相手を上回る感情が発生すると思うので、それは立派な浮気だ。しかし心の浮気の良いところは、心の中は自由であっていいという事だ。良識のある大人なら、その思いを心の中だけにとどめさせておくと思うし、私のようにポリアモリーに理解のある人間なら、様々な人を好きになる、好意を持つことは仕方ないし、制度という馬鹿らしい決まりに従うよりも、一度しかない人生楽しまなくて何になる、恋でも恋愛でも隠さないならどうぞ、という人間も存在する。隠されると、それは浮気だ。仲間外れにするから、隠された方は疎外感を感じて悔しくて抗う。怒る。
日本では浮気というか、不倫をすると慰謝料の支払いが発生するそうだが、私の住むアメリカではほとんどの州で不倫による慰謝料の発生はない。浮気をする時点で夫婦生活が破綻しているということらしい。
私は心が浮ついているのでこっちに住んでてよかったなと思うが、人を傷つける事だけはしたくない。慰謝料をとれない代わりに命を取られる事態も発生しているし、いつの世でも人間のいざこざはめんどくさい。
しかし、「あなたのことはそれほど」まだ途中だからこれからどうなるかわからないが、主人公に対して地味に辛辣な漫画だと思った。まあ、隠し事も開き直りも人として卑怯だし、浮気をする人は懲りずに何度もすると思うし、しない人は絶対にしないと思う。
人間だから一緒にいる時間が長くなると特別な感情が芽生えるのは必然だし、それをどこまで本気にしてしまうか、という事なのかな?敷居が低いと押されるままに流されてしまうだろうし、良心の呵責に耐えられない人間はどうやっても流されないと思う。
結局傷付くのは自分だから。

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