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「世界を知るには、まず自分を知ることから」 一般社団法人 国際教養振興協会 東條 英利さん

東條英機氏の直系曾孫として生まれ、受け継いだ名と日本人としてのアイデンティティに向き合い、全国各地で日本人の誇りと可能性を発信されていらっしゃる東條英利さんにお話を伺いました。

東條英利さんプロフィール

出身地:
埼玉県
活動地域:東京、大阪、名古屋 を中心に全国各地、アメリカ ロサンゼルスほか
経歴:東証一部上場大手カタログ通販会社に9年間勤務。うち2000年から2004年までの4年間を香港にて海外駐在員として過ごし、現地、金融会社の設立と統括責任者として一連の経営に携わる。帰国後は社会起業家として独立。2008年全国の神社情報を体系化したサイト「神社人」を起案。2009年より定期的な勉強会を開始。2013年一般社団法人 国際教養振興協会の代表理事に就任。日本人の「教養力」の向上と「国際教養人」の創出をビジョンに掲げ、2015年より「しめ縄づくりプロジェクト」を全国各地で開催する。
現在の職業および活動:
一般社団法人 国際教養振興協会 代表理事
神社文化研究家(神社人代表)
第40代内閣総理大臣 東條英機 直系曾孫
著書:「日本人の証明」(学研)、「神社ツーリズム」(扶桑社)
監修:「日本の神社ベストランキング」(晋遊舎)、『神社の基本』(エイ出版)ほか多数
座右の銘:
「人の道歩む様は、至誠、忍、努力 即 権威添えて全うし」
「逆説の先にこそ真理がある」

日本人として「日本に生まれてよかった」と思える人が増えていってほしい

Q.  どんな夢や理想の未来を描いていますか?

東條英利さん(以下、敬称略):先人の方が残した遺産を私たちがどう継承発展できるか?ということを一つ考えています。最もシンプルにいうと、日本人として「日本に生まれてよかった」と思える人が増えていくことが大元の土台だと思うんですね。

今の世の中って感謝の気持ちが薄れているんじゃないかなと思うんですよ。
講義でも「感謝」という意味を「有り難い」=「当たり前を当たり前と思わないことが感謝」だと伝えています。
今は逆に、「当たり前を当たり前に思う」という「権利」の発想の方がものすごく大きくて、このままでいくと、人類自体がおかしくなるんじゃないかなと思っているんですね。まずは自分たちの在り方をもう一度考え直すこと。令和の時代の「和」、社会の在り方をもう少し考えた方がいいんじゃないかなと感じています。そのきっかけになる活動がどんな分野でもできたらいいなと思っています。

そしてもう少し、日本に生まれたことに興味関心を持っていただいて、その可能性を感じてもらいたい。可能性を感じてもらえれば、それは感謝に繫がります。

「しめ縄づくり」を体験する文化的教育支援プロジェクト

Q.  そんな未来に向けて、どんな計画を立てていますか?

東條:「国際教養振興協会」という団体を立ち上げて、もう少し身の回りのことを知っていただこうという活動をやってきました。

東京、大阪、広島に支部という形を設けて、その地域に見合ったテーマで研究会やイベントを開催してきました。
研究会は地元の人も意外に知らない内容で好評だったのですが、これを継続することも難しく、皆さんボランティアでやっているので拘束力のあるような運動もできない。全国各地で毎回自分が関与するのも成り立たない。どうしたらいいだろうと考えた時に、もともと2011年からやっていた「お正月講座」がとても好評だったので、一点突破として「しめ縄づくりプロジェクト」を発足しました。

日本人の多くは「お正月」の意味を忘れています。本来お正月とは「年神さま」と呼ばれる「農業・穀物の神様」をお迎えするためにお正月飾りを飾ります。そうすると「しめ飾り」は本来は稲わらですが、今は中国産の水草を使っている。雑草なんですね。雑草を掲げて穀物の神様をお迎えするという形だけやってて意味がないんですね。

そこで7年くらい前に農家さんを迎えて、自分達でしめ縄を作ってみようというところから始まったんです。自分で作ると意識も変わります。
東京だけで継続してやっていたのですが、大阪からもやりたい!という声が上がり、大阪では近くの料亭さんが豚汁を作って下さったり、餅つきまでやって、東京以上に盛り上がったんです。

ワークショップとして子供からお年寄りまで参加して頂けて、地域コミュニティの結束も高まります。まずはお正月の意味を知ることから、他のことにも関心を持って頂く"きっかけづくり”になればいいじゃないかと、「しめ縄づくりを体験する文化的教育支援プロジェクト」として、今はその普及に努めています。

2018年度は全国32会場 約1,500名の方に参加して頂きました。公立の小学校や2017年はアメリカのロサンゼルスでも開催しました。今年も2年ぶりにロサンゼルスで開催するため準備を進めています。

記者:ロサンゼルスでは日本人の方に向けてですか?

東條:日系人に向けてですね。ただ外国の方と結婚されている方も多いので、一緒に体験して頂けたらと思っています。

きっかけはロサンゼルスにお住まいの方と出会って開催の流れになったんですが、たまたまロサンゼルスの大使館の総領事が私の10年来の友人だったんですよ。不思議とご縁があるんですよね。

ロサンゼルスで開催するに当たって、一番ボトルネックになったのは、「わらをどう手配をするか」だったんですね。穀物なので国内から運ぶことはまず検疫がアウトですし。そしたら現地に無農薬で作っている日系人のファーマーを見つけまして、無事にわらが手に入り開催できました。

海外展開ともう1つが、教育機関への伝統文化教育の推進です。2018年度は大阪の公立小学校と福岡の私立の学校で開催しました。他に企業研修のパターンなど少しずつ広がっています。

もともと文化的な継承を高めるという目的で始めましたが、参加者からは「やってみたら、久々に無心になった」という感想もあったり、セラピー効果もあるんじゃないかなと思っています。

今は単年で1万人が参加するプロジェクトにしようと計画してます。そのために指導者を増やそうと「インストラクター制度」を始めて、現在、東京・大阪で50名くらい受講されています。

協会の事務局長は東京生まれ東京育ちですが、今は岐阜県東白川村でしめ縄プロジェクト用のわらの生産をしています。
しめ縄用の稲わらは普通のわらではだめなんですよ。稲穂が実った後だと黄色になってしまう。本来はそうなる前の緑色のわらなので、しめ縄用に作らないといけないんです。
農家さんにとってはリスクが高いのですが、市場を開拓していき、しめ縄用のわらがニーズとして展開できれば、農家さんにとっても収入になり、村の新しい振興産業にもなります。

これもご縁で、行ってみて分かったのですが、東白川村は明治時代にお寺を全部壊して神社しかない村で、村民の9割が神道という別名「神道の村」と言われています。
「神道の村からとれた藁」というブランディングで東白川村の知名度も上がるし、わら生産の産業も文化的な教育支援として知ってもらうという、win—winな関係でやっていく社会事業として考えています。

記者︰わらの生産からインストラクター制度まで、新しい産業を創っていかれているんですね!

日本人の本来あるべき姿を継承していく

Q. 他にはどのような取組みをされていますか?

東條:全体的に関心の度合いや、日本人としての自尊心や感謝の意識を高めていくために、定期的に勉強会をやっています。東京、大阪、名古屋で月に1回、隔月で広島、奈良、埼玉、神奈川、これから三重や九州でも開催していく予定です。

でも私は、受講生が欲しいというよりは、同じ志の仲間をつくっていきたいというのが前提にあります。今のメンバーは筋と感性がすごくいい仲間が多いので、これは私の財産ですね。類が友を呼ぶってあるじゃないですか。確実にいい人にはいい人が集まるんですよね。だから私も自分がいい人かはわからないですけど、確実にいい人が増えてるなと思うので、仲間が最大の誇りです。

記者:同じ志の仲間というのは、どのような「志」ですか?

東條:やはり「世の中のために何ができるか?」ということもそうですが、平たく言うと、健全な愛国心を持っているというところですかね。

明治の人と現代の人との明らかな考え方の違いは、明治の人たちは「お国のために」という考え方なんです。それはすごい原動力ですよね。
洗脳されているんじゃないか?とか言われるけど、「世のため、人のため、お国のため」というのは本来あるべき姿だと思うんですね。でも今はどちらかというと「自分のために」という考え方が多い。
このままいったらまずいんじゃないかな?と感じています。ですので、きちんと日本人の本来あるべき姿を継承していきましょうということです。

マイミッションとしての役割

Q. 夢や今の活動に至ったきっかけは何ですか?また、どんな気付きや発見があったのでしょうか?

東條:私の場合は、この名前に生まれたことがそもそものきっかけだと思うんですよ。生まれたことが全てのきっかけです。

今はおかげ様で、曾祖父に対する見方も理解されてきましたが、私が子供の頃は東條英機の枕詞は「極悪人」。ヒトラーと同格とか、そのくらいに思われていました。

そういう家に生まれて来てるわけで、若い頃から、自分は生まれてきてよかったのかなと思うこともあるわけですよ。
「自分の存在って何なんだろう」「自分の生まれた意味って何なんだろう」というのは、中学、高校くらいにけっこう考えていました。私はそれがスタンダードだと思っていたんです。大人になるに従って、皆考える時期があるのかと思っていたんですが、皆はあまり考えたことがないということで、そういう意味ではそれがきっかけにあったと思います。

そして会社員の時に、香港に駐在員として行ったことがそれを開花させるきっかけになりました。

例えば「海外の人から自分がどうみられるのか」という見えない恐怖心があるわけです。香港といっても一応戦争に巻き込まれているので。
私は語学も堪能ではなかったし、もっともっと現地に溶け込まなくてはという思いから、4年駐在した内の2年間は日本人との付き合いをシャットアウトしたんです。それで香港人の友達がたくさんできました。

そこである時「自分は実はこういう生まれでね」という話をした時に、「俺とお前は友達だから関係ないでしょ」と言われ、その時に自分の中でモヤモヤしていたものが多少晴れまして、自分のコンプレックスが解消されました。

また、その香港に駐在した時に、自分はあまりにモノを知らないという現実を知らされた瞬間でもあるのが大きかったですね。

日本の歴史や文化も、普通の人より喋れなかったんです。特に日本の歴史なんて全然喋れなかったんです。私は授業で自分の曾祖父の名前が出てくるのが嫌だなと思い、日本史ではなく世界史を選択していました。だから世界史の方がどちらかというとわかるんですが、日本史を知らない。
でも海外だから否応なしに日本のことを聞かれるわけじゃないですか。

私の中には節目がいくつかあって、一番初めのきっかけは東條という名前に生まれて、自分のあり方を模索し始めたこと。次に香港という場所に行ったことによって、自分のコンプレックスが若干解消され、逆に自分のあり方というものの、分を弁えることになったことです。

そして3番目に、戦後70年の節目の時に、オーストラリアの公共放送SBSのトークショー「Insight」という番組に出演したことです。

トークショーをやるからシドニーまで来てくれないかと言われ、どうしようかなと迷いました。いきなり海外で非常にセンシティブなことを語るのはどうなのかと。でもその時の共演者さんが自分の中でも関心があったので出ることに決めました。

その共演者というのが、トルーマン元大統領のお孫さん、スターリンの曾孫さん、あとはアウシュヴィッツ収容所の生き残りのポーランド人ご夫妻に、日本軍の捕虜収容所に収監されたオーストラリア兵の息子さん。そういう関連のある方々の子孫が集まって、戦後70年を語るという番組でした。

日本とオーストラリアは戦火を交えてるので、私も最初は罵倒されるかなと思っていたんです。でも番組が8月15日に放送され、番組の公式 facebookページに100件以上のコメントがオーストラリア人からありました。
そこには「あなたが出演してくれた勇気に感謝する。これからの東條家に幸あれ」という非常にあたたかいメッセージばかりで、時としてきちんと語ることも大事なんだなというのを感じました。

そこから自分の名前とちゃんと向き合おうと、『マイミッションとしての役割』というのを非常に意識するようになりました。
将来的には私とトルーマンさんの連名で、未来志向の友好型のステートメントとかメッセージを出せればいいねと話しています。

オーストラリアの経験はすごく大きかったですね。人生で一番テンパりました。
前半がスターリンさんを中心にした欧州編で、後半が私とトルーマンさんを中心とした太平洋編で、私は前半の収録を最前列に座って視聴していたんですが、前半がめちゃくちゃ炎上してですね。途中で黒人の人が失神してタンカーで運ばれたりとか、とにかく経験したことのない重い空気感で、こんな中でしゃべるのかと(笑)

自分の出来栄えとしては、20点付けられないくらい全然駄目だったんですが、それでも実感したのは、こんな茶番でテンパっていたのかと。仮に何か失言したとしてもレビューができるし、命を取られることはない。
曾祖父は「東京裁判」という本番一発で、よくあれだけのコメントを言えたなという身の丈を知りました。自分はまだまだだなというのを実感しました。

同時に、自分の中で唯一言えたことは、お父さんが日本軍捕虜収容所に収監されていたオーストラリア兵の息子さんに司会者が「お父さんからどんな話を聞かされていましたか?」という質問をされ、その方が「『日本兵が日本刀を振りかざして首をはねた』という話を聞きました」と言い、司会者が「これを聞いて東條さんはどう思いますか?」って言われたんですね。
もしご自身の立場でこれを言われたら、どう返しますか?

私もさすがに遺憾としか言えないじゃないですか。ただ私が言ったのは、「そもそも戦争という行為自体が、反社会的な資質を含む以上は、間違った事をする人もいたかもしれません。ただ、私が一言申し上げたいのは、一つの事例、事案、各論を持って、『日本人の残虐性』という総論としてレッテルを貼るのだけはやめて頂きたい」ということは言ったんですね。
そしたらアメリカの歴史学者の人が手を挙げて、「確かに手厚い保護をした日本兵もいたらしいです」ということを言ってくれました。

記者:本当に大変なプレッシャーだったと思いますが、日本人を代表してそのようにお話して下さって、ありがとうございます。

東條:私もここは大事だと譲れなかったんですね。そういう「レッテル貼り」というのが戦後すごく多かったので。戦争という行為自体が異質なものですが、外交上は未だに合法なんです。私たちはそういう矛盾の上で成り立っているということをちゃんと適切な説明をしないといけない。でも日本人は「すみませんでした」で終えてしまうんですが、そこはちゃんと言わなきゃいけないなと思います。

それと曾祖父の功績として、2点ほど 挙げました。
「大東亜会議」という非白人による初の国際会議(アジア地域の首脳会議)で、人種的差別撤廃提案を人類の歴史上初めて行った事がまず1点。
(大東亜共同宣言︰人種差別をなくし、亜細亜の国々が互いに自主独立を尊重し、対等な立場での協力を宣言した)

2点目は、ユダヤ人の救済と言うと杉原千畝さんが有名ですが、その数年前に2万人以上のユダヤ人が救われたという話があり、その時の救済の判断をしたのが曾祖父でした。ちょうど関東軍の総司令として、満州に赴任していた時だったのですが、結果的には2万人以上のユダヤ人を救ったという話をさせて頂きました。
番組収録後の打ち上げで、アウシュヴィッツ収容所の生き残りのポーランド人ご夫妻が私の所に来て、「あなたの曾おじいさんは大変素晴らしいことをしたのよ」と泣きながらおっしゃって、もやもやとしたものがちょっと晴れました。

やっと私の世代で、戦争に対して客観視できるようになったんですね。
私の父親の世代は苦労してるので。戦後「東條家に物を売らない」「東條英機の悪口を言わないやつは非国民だ」と言われていた時代なんですね。
だから曾祖母は家庭菜園で自給自足ですし、祖父に関しては東條英機の長男ですから働き口がないんですね。だから本当にど貧乏ですね。父は小学校2年生8,9歳で、担任がまず拒否し、クラスにも入れない。上り棒に上って2階の教室を眺めていた時期があったそうです。そして、親の仇といじめには合う、石を投げられる。父の苦労は相当なものです。

長男だけが英の字を継いでますので、逃れられない宿命ですね。私も幾分不快な経験はあるんですが、父に比べたら小雨に等しい程度ですので「苦労した」とは口が避けても言えないですね。

Q.  東條さんご自身は何と戦っている感じでしょうか?

東條:何と戦っているんでしょうね。でも多分、自分の血と戦っている感じがしますね。私もわかっていないですよ。問い続けるのが人生だと思っています。

世の中に対しては諦めに近いところもあって、悲観してるわけではなく、淡い期待をしていると裏切られるということもある反面、期待しなければすべてがありがたい。自分の仲間は裏切れない。そこだけは恥ずかしい思いはさせたくないなと思っています。

東條家としての生き方そのものをどう全うするのかということでしょうか。

草の根みたいに動きながらも、果たして自分のやってることが効果があるのかわからないです。30年くらい長期スパンで物事を考えないとやれることではないと思ってるので仕方ない。自分の中でもどこまで行けるかはわからないですね。
でも動かざるを得ないというは、血がそうさせてると言えばそうかもしれないし、なんでしょうね。

 

Q. 読者の方に向けてメッセージをお願いします。

東條:もっと身の回りに関心を持っていただけたらと思います。
私も「神道」を研究して、とてもフィットしているんですね。なぜなら教えがないんです。受け取り方がすべて。究極は感謝道なんですね。ありとあらゆるものへの感謝をするという姿勢面が神道にはあって、その行き着く先は何かというと、私たちの存在は森羅万象の一つにしか過ぎないという、ここに集約されるんですね。

自分自身のあり方を模索し続けるということが神道イズム的な根源にあって、「世の中で自分のあり方はどうなんだろう?」という考え方を一人一人が身に着けていくと、世の中がおのずといい方向に向かうと思います。社会の中の自分のあり方を考えてもらえたらありがたいなと思います。

記者︰本日は本当に貴重なお話をありがとうございました。

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▼東條英利さんの公式サイト

▼「神社人」のサイト

(インタビュー後に王子神社にて撮影)

【編集後記】
今回インタビューを担当させていただいた塚﨑、福井、黒田です。
インタビューでは東條さんがご自分のアイデンティティとミッションに向き合っていかれた背景やご親族の苦労など、貴重なお話をオープンに誠実に語って下さり、とても感動があふれた場でした。

戦争の責任を背負った日本人の代表に対して、「極悪人」というレッテルを貼り、本来の日本の素晴らしさや誇りもすべてを否定するような歴史観は、日本社会の見えない空気となり、今も個人の無意識深くに影響を与えています。
この日本社会の中で、東條さんがご自身の思いを発信されるまでには、相当な葛藤と勇気と決断がいったことと思います。
「令和」を迎え、あらためて日本人が世界に果たす役割に気付き、新しい時代を共に創っていきたいと感じました。
本当に貴重なお話をありがとうございました。

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こちらの記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。

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