恋の神さまを何度でも


 散歩ちゅうに、神社の前を通りかかった。
「よってみる?」
 白い鳥居を見あげて緑がいう。俺はうんといって、ふたりで鳥居をくぐった。参道の両脇の木々はおりからの霧雨にしっとりとした香気を放っている。
 緑は「だれにしようかな」とつぶやき、賽銭箱の「神さまガイド」バーに触れ、浮かびあがったウィンドウを流れる神さまたちのイメージ写真を眺める。縁結びに健康祈願、商売繁盛、家内安全、安産祈願などなど……願いごとに応じてそれらに強い(?)神さまが紹介される。月の日本都市には神社が数か所しかないため、特定の神さまをまつるものではなく、プレーンなエネルギーポータルとなっている。賽銭を入れて真心を示したときに、お目当ての神さまとつながるしくみだ。
 参拝をすませ、濡れた敷石の参道を戻りながら、彼がほくほくとした顔で聞いてくる。
「神さまだれにした?」
「とくにだれとも」
「なんか願った?」
「お願いというか、毎日楽しく暮らせて感謝してます、って」
「楯のことだから世界平和だの宇宙平和だのお願いするんだと思った」
「世界平和はまず家庭から」
 家庭という言葉にぐっときたらしく、緑は眼鏡の奥の小さな目を見ひらいていう。
「もう一回いって」
「敵をあざむくにはまず味方から」
「そんなことはいわなかった、世界平和はまず家庭からっていった」
「聞こえてるのに」
「いってくれよお」
「世界平和はまず家庭から。そして、家庭平和はまず自分の心の平和からだね」
「おれの心の平和が乱されるのは、仕事しすぎのときと悪夢を見たときと、楯がつれないときくらいだ」
 といって、緑はにこにこして俺と手をつないだ。彼のコートのフードを水滴が輝きながら伝ってゆく。
 この街はいま、初めての梅雨の時期を迎えている。月生活科学庁はそれまで一定の気温や湿度を保っていた居住区内に人工の季節を作るシステムを開発し、今年から試験運用を始めたのだった。
 俺たちは帰り道のカフェに入った。ガラスポットの中で明るいグリーンの葉がひらいているミントティーを、俺はカップにそそぐ。緑は大ぶりのボウルにたっぷりそそがれたミルクティーの膜を、銀のスプーンにからめとってぱくっと食べた。彼はこの膜をいつもさいしょに、うれしそうに食べる。
「さっき、おれはクシナダヒメにした」
 両手の中のボウルを見つめて、彼がいう。
「なにをお願いしようとしたの」
「縁結びとか……恋愛成就……」という横顔がはにかんでいる。
「なにと?」
「な、なにとって。おまえとだよ」
「だって、もう叶ってるのに」
 と、俺がちょっとおどろいていうと、彼はくやしそうな笑顔で「何度でも叶えたいんだよ」といった。
 窓の外は霧で白くけぶっている。人工の季節が始まるまえにも、地表のほこりを落ちつかせるくらいの雨が週に一、二度降っていた。それはなかなか地球の雨に似ていたが、梅雨の空気感の再現となるとむずかしいようで、今週は単調なかぼそい雨がとぎれなく降りつづいている。
「不器用な梅雨だ」と、外を眺めて緑はぽつりといい、思い出したように笑う。「――っていうかさー。おまえも聞けよ」
「え?」
「おれにも神さまだれにしたか聞いてくれよ」
 といって、唇をとがらせてすねてみせる緑。彼は出会ったころからなにかにつけ、もっと自分のことを知りたがってほしいという。でも俺としては、おしゃべりな彼はいつも自分から話してくれるし、それを楽しんで聞いてるんだからいいじゃないかといいたい。近ごろは彼もあきらめて、「聞いてくれよ」といいながら笑っているけど。
 そんな緑の横顔を見ながら、ふと、この人がすごく愛おしいという感情が清らかな泉のごとく胸に湧いてきて、その水の冷たさにしびれるようにたまらなくなってくる。
「俺、この人すきだなー」心のままに口からそう出て、手が伸びて、彼の七三ヘアーを撫でる。
 彼はとろけそうな笑顔を大きなボウルでかくすようにして、のこりのミルクティーを飲んだ。


*『フィガロジャポン』2017.6月号掲載


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