ユーアーマイあやうラッキーグリーン



 衣装もちの緑は出かける準備に時間がかかって、長いこと鏡の前でシャツとネクタイをとっかえひっかえしている。食卓からそれを眺めていた俺はいつのまにか自分にもネクタイを結ぶイメージをしていて、とちゅうで手順がわからなくなってはっとわれにかえった。

「…………」

 こうしてこうしてこう……と、胸もとに架空のネクタイを結ぶしぐさを何度かして、思い出すことができた。高校時代のバイトから十年働いた葬儀社で、毎日黒スーツにネクタイを締めていたのに、たった八か月のブランクでこんな日常動作も忘れかけてしまうとは。

「なにやってんの?」

 ようやくコーディネイトが決まったおしゃれペンギンがキッチンにやってくる。俺の飲んでいたレイニーシーズンフォーミュラに左手を伸ばして飲む。手羽先の指輪が光った。

「いやべつに」

 きょうの午後は未来帯広にて、彼の未来東京での勤務弁護士時代に事務所のボスだった燃野鹿彦氏の講演会がある。燃野氏はラジオの人気番組「テレホン人間相談室」の回答者を長年務めていて、どこの方言ともつかぬふしぎなアクセントでぼそぼそと、素朴に率直にものをいうキャラクターで愛されているらしい。地方に招かれて講演をすることがあり、きょう緑はその手伝いに呼ばれているのだった。

「タッティーは準備できたの」

 俺のフォーミュラをちゅうちゅう吸いながら彼がいう。

 なぜかこの未来帯広ゆきに俺も同行することになっている。いつもの彼なら用事が済めばさっさと帰ってくるんだけど――講演会のあとは燃野氏をかこんで懇親会がある、飲酒しないわけにいかないだろう、こんやは向こうで泊まることになるだろう、楯がいない夜はいやだ、どうかいっしょに来てほしいと片膝をついて申しこんできたのだった。

「とっくに。ショーツの替えしかもってかんもん」

 俺はいすの背にひっかけていたショルダーバッグを指した。講演会にも懇親会にも出るつもりはないのでフードシャツに半ズボンで行く。玄関でスニーカーを履こうとしたとき、素足に陽光があたる感覚がふと恋しく、俺はソックスを脱いでサンダルに履き替えてドアを出た。

 家の前で白い玉砂利のうえにスタンバイしている、草色のジープに乗りこむ。家から未来帯広まで一時間のドライブ。鶴寝地区を出て国道に抜ける。道はひたすら森と草むらの中を伸び、窓をあけると初夏の空気が流れこんできた。緑によれば燃野氏は、本州の梅雨どきに未来北海道での仕事を入れたがるんだそう。

「エークスートラー、エクストラ・ラーラバーイ」

 ワルクマンヒューマンから音楽を流しつつ、緑が気持ちよさそうに歌う。俺も声をあわせた。

「ねーむらーせあーう・ふーたりー」


 エクストラララバイ

 こんやはそばにいて

 優しく歌ってくれたら 子どもにかえれるわ

 あなたの手に落ちるように

 小さな死のように

 私を忘れるように眠りたいの


 エクストラ・エクストラララバイ

 眠らせあうふたり

 わたしたちがいまのすがたで

 なかったころのお話をして


 エクストラ・エクストラララバイ

 眠らせあうふたり

 わたしたちが想いひとつで

 旅したころの歌をうたって


「楽しそうに運転するなー緑は」と、俺は彼の横顔を眺めていう。

「楽しさがわかってからは」と、彼。

「いつわかった」

「おまえをうしろに乗せてから」

「なつかしい」

 高校時代の彼は鳥居工場製のしゃれたマシンをもっていて、校則違反をして近所なのにバイク通学していた。放課後に俺を乗せて川に遊びに行ったりしたものだ。

「馬は運転されるのすきかい」と、たわむれにたずねた俺に、うちの車の人工知能「馬」はりちぎに「私たちは皆運転されるのがすきです」と、答えた。人工知能の一人称は「私たち」。すべての車の人工知能はつながっていて、それぞれの位置情報が生きた地図となって把握されている。道路状況や渋滞や事故にかんする情報を共有しており、近くを走るドライバーの健康状態なども感知しあっているという。

 いつのまにか音楽はやみ、未来帯広が近づくにつれて緑の表情が硬くなってくる。

「緊張する? 燃野さん夫妻に会うの」

「それはそれほどじゃないけど。なんで?」

「眉間がけわしい」

 緑はミラーをちらっと見やり、「これはもうすぐおまえと離れるのがつらいから」

 俺はヒュウと口笛を吹いた。

「なにその口笛」

「だってさ……」

 信号待ちで俺と緑はわちゃわちゃと押しあう。

「この切なさをいいかげんわかれ」

「わかってると思うけど」俺は笑って、「きょうは何時に体あく」

「懇親会のあと、二次会の乾杯までは顔出すつもりで――」

 彼は時間を算段する表情になる。

「遅くても十時には部屋に着いて、楯に甘えくだりてえ」

「十時ね」

 いくつか渡ってきた橋のさいごのひとつを通り、彼が問う。「駅で降ろそうか? ホテルまで送る?」

「コンコンふじやま」

「あのファミレス」

「うん。腹へった」

「いいなコンコン」

「緑はパーティーでごちそうをおあがり」

「楯と立ち食いそばのほうがいい」緑は憮然としてそういい、ファミリーレストラン「コンコンふじやま」の前で降ろしてくれた。そのまま彼はきょうの会場である市民文化ホールに向かう。

 奥ゆきのある店内はすいていた。中ほどの席でサービスのソーダ水を飲みながらぼんやりしていると、前方のボックス席で男子高校生のグループが「あやう! あやう!」と連呼しながらゲームをしているのが目に入った。「あやう」というのはテレビでだれかがいったのが始まりか、「やばい」「すごい」「危ない」「微妙な」などという意味でさいきん使われだした言葉だ。

 店内にはイージーリスニングのインストゥルメンタル曲が流れ、若者たちの流行語が飛びかうのどかな昼下がり。テーブルに備えつけの紙ナプキンには、店のキャラクターのキタキツネ「コンコン」が印刷されている。コンコンは大きなホームベース型の顔に細い目をしており、ぺろっと舌を出している。体は小さくて頭の半分もない。見つめていると子どものころに使っていた文房具や机の引き出しの中身などを思い出す、童心を刺激してくるルックスだ。

 ふいにコンコンが話しかけてきた。

「髪が伸びたねタッティー」

 俺は声に出さずにいう。「君は夏毛に変わったかい」

「きょうはひとり?」

「相棒は仕事」

「くどうちゃんがお嫁にゆくよ」

「くどうちゃん?」

 俺は聞きかえしたけど、それきりキツネはだまってしまう。

 そのとき「お待たせしました」と、女の人の声がして、俺のテーブルにサンドイッチとスープのセットを給仕してくれた。色白の肌に紺色の制服が映えるそのウエイトレスの名札には「くどう」と書かれていた。

「なるほど」

 俺はキュウリのサンドイッチを食べながら推理する。

 コンコンは俺に「きょうは相棒がいなくてさびしいね」といおうとしたのだけど、べつのさびしさに想いがスライドして「くどうちゃんがお嫁にゆくよ」といってしまったのだろう。きっとさっきのウエイトレスはコンコンのお気に入りで、彼女が結婚する(&退職する?)のが、コンコンはさびしいのだ。

 そこらへんのものとおしゃべりが始まってしまうのは、首のうしろがひらいてしまっているとき。俺はうなじに手をあてて、シャッターがきちんととじるイメージをする。

 サンドイッチを食べ終えて店を出る。入口の料理サンプルのショーウインドウに映った自分はたしかに髪が伸びていて、前髪が目にかかって、横は耳がかくれていた。

 横断歩道の信号が青に変わるのがガラスに映りこみ、俺はふりむいて道を渡る。冬のあいだに雪で傷んで、白い塗装もはげてでこぼこになったアスファルトのうえを歩くとき、ぬるい風が吹いた。このごろは夏かと思う瞬間が時どきある。全員おなじ店の紙袋をさげた観光客のグループを俺は追い越し、向かいから来た短いスカートの女子高生とすれちがうとき、レモンティーのような匂いの香水が彼女から香った。

 なんという豊かさだろう、と、しずかに感動する。この世界ではこんなふうにつぎからつぎへと一瞬の休むまもなく現象が起こりつづけている。二度とおなじことのないいちどきりのそれを、おしみなくただあふれるように生命は起こしつづける。俺はそれをひたすら感受しつづける日々だ。

 目に入った美容室に近づいてみる。お客を店の外まで見送りに出ていたスタッフにたずねると、すぐに施術してくれるといった。俺と齢の近そうな男の美容師は、シャンプーをすませて手ぎわよく俺にケープをかけ、髪にはさみを入れる直前になってようやく、髪型をどうしたいのかをまだ聞いていないことに気づいて青ざめた。

「あっ、あれ? あれ?」

 大きな鏡の中の彼はひどく動揺して、「ここ、耳が出るようにして前髪はこのくらいで……あとはくせを生かしてこんな感じに、ですよね」と、俺の頭のまわりに手を添えたり髪をつまんだりする。

「うん、そんな感じで」

「お訊きしましたっけ?」

「いや、訊かれてないけど」俺は笑う。「でも、ちょうどそうしたいと思ってたので、それでお願いします」

「えーっほんとすか? ぼくまだ聞いてないのになんかもうしっかり頭の中にあったんすよね、オーダーのイメージが……」彼は首をひねりひねり、「テレパシーっすかねえ、あやうー」

「ですかねえ」

 そんなふしぎなヘアカットは満足のいくもので、店を出るなり鼻歌がとび出した。

 刈った襟足がすうすうして、頭を振るとドライカクテルめいた整髪料が香る。夏至が近くて、まだ明るい中をぶらぶらと歩き、駅の中の産直ショップで飲みものを買ってホテルに向かおうとしたときに「失礼しまーす」と呼びとめられた。

「いまお時間ありますかあ? 未来農協パッションが新発売する野菜ジュースの試飲をお願いしてまーす!」

 ふり向くとカメラや音声の機材をもった撮影クルーがいた。緑に赤にオレンジにといったベジタブルカラーなミニスカートの衣装をまとったインタビュアーは、未来北海道のローカルアイドルの女の子だった。

「ちょうど喉がかわいてました。いただきます」

 すでにカメラは回っているらしく、帰宅する人びとの流れの中に立ちどまって俺は野菜ジュースを受けとる。きょうはどこから来たのか、名前は、などたずねられて答えながら飲んでいると、とつぜんローカルアイドルは「ここで問題でーす!」と、いった。

「さて、この新製品『ベジフル☆ラッキーセブン』原料の野菜とくだもの、あわせて七種類をぜえ~んぶ当ててくださいッ!」

「え……」

 鉄琴っぽい甲高い声で、なにをいいだすかわからない彼女に圧倒され、俺は手の甲で口をぬぐった。

「三回までチャレンジできますよ!」

「これに入っている野菜とくだもの?」

「そうです!」

「にんじん、セロリ、パランツ、ホウレンソウ、りんご、オバル、レモン」

 俺が答えると、ローカルアイドルはそれまですきのないハイテンションぶりだったのが、一瞬だけ素の表情になり目を見ひらいた。そしてすぐに営業トーンにもどり、「あっやうー! 未来鹿嘗町のオギハラさんあやうです! いきなり七種類当ててくれちゃいました! ベジフル☆ラッキーセブンにはこれら七種類の野菜とくだもの、さらにはちみつやハーブがブレンドされているんですー!」

 ゆきかう人びとがこっちをふり向いている。

 スタッフのひとりが紙袋からホウレンソウのような濃い緑色のTシャツを出し、ローカルアイドル経由で俺に手渡される。

「ではでは、記念にベジフル☆ラッキーセブンのラッキーロゴ入りTシャツを贈呈! さいしょのチャレンジですべて正解されたので二着さしあげまあす! ――ちょっと、ひろげて胸にあててみていただけますか……はい、記念撮影!」

 俺はTシャツを体の前にあててみる。

「いまのお気持ちは?」

「うれしいですね。グリーンはうちのラッキーカラーなので」

「やったー! おめでとうございまーす!」

 映像は編集ののち、コマーシャルとして未来北海道内で放映されるかもしれないとのこと。俺は完全正答したので使われる可能性が高いという。スタッフと連絡先を交換しつつ、「こういうのって、失礼ですけどやらせなのかと思ってました」と、正直な思いを告げると、ローカルアイドルは「やらせじゃありませんよ」と、撮影中よりいくぶん低い声としぜんな笑顔でいった。

 ホテルに着くと、部屋番号は922、うちのラッキーグリーン氏の誕生日だと思いながら扉をひらく。暮れゆく空を窓から眺め、眼下にひろがる未来帯広の都会っぷりに感心し、大きなベッドにもぐりこんで俺は眠った。



「ただいま」

 声がして、部屋がぼうっと明るくなる。

「ダーリンねんねんしてんのか」

 緑がベッドを見やってそうつぶやくのが聞こえた。

 バスルームとクローゼットをいったり来たり、仕事を終えたペンギンがせかせか歩きまわっている音と気配を、毛布の中でまどろみながら鑑賞する。スリッパの音、水の音、歯ブラシがグラスの中でまわる音。緑の立てる音にはどれも彼らしさがあふれている。そのいちどきり奏でられる即興の音楽を味わっていると、帰宅ごのルーチンを終えた彼がベッドに来た。

「きょうの楯さまはメッセージにひとつも返事くれねえ――お?」

 彼は俺の頬を両手でつつんで自分を向かせる。

「ぎゃーなんこれ可愛ッ! 可愛い! あやう! おでこちゃん! どうしたこれ」

「切った」

「切ったはわかる、見せて見せて、見して貸して触らせて」

 いにしえの名ぜりふ(?)をいって緑は俺を抱き起こし、なにこれなにこれといいながら髪に指をすいすいととおす。半分ほど出たひたいを撫で、あらわになった眉毛を指先でなぞる。

「短いのもすごくいい。いつ切った」

「コンコンふじやまのあと」

「こんなおしゃれしておれを待ってたの? もう楯!」

 ぜんぜんそういうつもりではなかったけど、結果としてはそうなるか? と思い黙していると、彼はたまらないというように俺を抱きしめて揺すぶった。

「愛してる愛してる会いたかった楯楯楯楯、パーティー退屈で死ぬかと思った」

「無になってる緑が目に浮かぶ」

「あそこにはおれが別れてきた、おいてきた世界がまだあったよ。あの中に過労でこわい顔した自分がまぎれててもおかしくないくらい」

「うん」

「ボスたち変わってなかった。事務所もあいかわらずみたいでなんかほっとした。おれ自分の幸福のためにあの人たちを切り捨てたんじゃないかって後ろめたさが心のどこかにあったけど、でもあまりにも変わりなくて、なんだ、おれひとりいなくなったってちっとも影響ねえじゃんって」

「緑がすきなように生きても、だれかを壊したりはしないから大丈夫」

「彼らは健在だってことを知るために、きょうの仕事があったのかな。もうふりむかなくていいんだって確認するために」

 長いため息をついて仕事モードが終わり、リラックスした彼が顔を出す。彼は俺のひたいにひたいをつけてささやく。

「とにかくおれの役目は終わった。あとはおまえと遊ぶだけ」

「遊ぼう」

 選ぶのにとても時間のかかっていたシャツとネクタイを彼は脱ぐ。あれはけさのことなのか、もうなんだかとても遠い。

 シーツの新しく触れるところは素肌にひやりとして、彼の体はどこもかしこも熱く、冷たい料理と熱い料理を同時にさしだされたよう。俺はそれらの温度差そのものになって彼に抱かれた。

 おれを見てる? おれを愛してる? どのくらい? と、愛しあう場面でも言葉のやりとりが重要である彼はあれこれとたずねてくる。俺は答えられたり答えられなかったりする。彼のくりかえす動きによって灯される感覚があって、体内でそれが優勢になると世界から言葉が消えてしまう。切ったばかりの髪は手ざわりがいいのか、彼がやたらと頭や襟足を撫でたりキスをしてくるのでしまいには笑ってしまった。俺たちは愛しあうときによく笑う。

 そのご、俺の野菜ジュース試飲とクイズ回答映像がコマーシャルに使われることになると正式に連絡があった。七月からの三か月放映されるという。それまで彼には内緒にしておこう。


-------------------------------------------------------------------------------

*本作は『幸せになりやがれ』(講談社)の続篇「猫舌クッキ割れて三月」「あの鳥、口にジュース入ってるみたいな歌いかただ/それはおまえだろう」「24時間のすずめたち」などの続篇です。シリーズ作品はたくさんありますので、ぜひお読みください!  →こちら☆ 短いものはだいたいnoteの「ひとくち小説集」内にあります。



この続きをみるには

この続き:0文字

ユーアーマイあやうラッキーグリーン

雪舟えま!

100円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

日々のよろこびに使います💗🤗💗

🐴🐴🐴 ➡ 🦄🦄🦄
13

雪舟えま!

ひとくち小説集

甘くめでたい短篇・ショートショートです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。