口取りの日々

口取りの日々


 未来鹿嘗町の農協スーパーには「きらきらマルシェ」という地産地消な一角があって、町内や近郊の生産者の作った野菜や食品、季節の雑貨なんかがぎゅぎゅっと詰めこむように売られている。鶴寝の家に住んでから、最寄りのスーパーであるこの農協にいちばんよく買い物にくる。いい生産年齢の男が平日の昼間から食材をかごに入れてうろついているのはめずらしいのか、すぐに店の人に顔を覚えられた。

「カネコさん、鏡餅Sサイズと切り餅の白一キロ、黒豆のなまこ餅一キロで」

「はい」

「カードありますか?」

「あ、たぶんあると……」

 おれは財布をひらいて、町内の商店で使えるスタンプカード「ペロシカード」を見つけた。この手のものはきりがないので受け取らないようにしていたが、こっちに来てから、なんだかうれしくなってもらってしまった。未来鹿嘗町のキャラクター「ペロシカ」は、舌を口の横からぺろっと出した鹿で、角もあるがまつげもあって、ポーズがややなよやかな雄だ。

 注文していた正月用の餅を受けとって食材を見ていると、レジの女性が近寄ってくる。ゆりねがいいですよとか、このへんでは老舗らしい和菓子屋の栗きんとんが入ったとか教えてくれる。

 おれが気になったのは、鯛や海老や松竹梅、鶴や栗や昆布巻きのおもちゃのようなものの折詰。一見、おせち料理のサンプルかと思った。それらはほんものに似せて作られて、鮭の切り身なんか色もけっこうリアルだけど、あきらかににせものなのだった。

「これはなんですか? ……かまぼこ?」

「和菓子です。ご存じないですか?」

「寡聞にして」

「これは口取り菓子っていいましてね!」

 知らざあいって聞かせやしょうとばかり、得意そうに店員が語るところによると、この謎菓子は年末になると未来北海道で売られ始めるポピュラーな正月用の菓子とのこと。いろんな形や色をしているが、ぜんぶ餡でできている。外側は着色した白餡で、中身は漉し餡というのがおおいらしい。

「これがぜんぶ餡……」

「ごちそうに飽きたらちょっとつまむっていうか。すごくおいしいってわけじゃないですけどね。正直、私はシュークリームやプリンなんかのほうがうれしいです」

「はは」

「でもこれがないと年越しって感じがしなくって」

「そういうものなんですね」

「そういうものなんです」

 といって、店員さんは眼鏡の奥の目を細めて、大きな八重歯を見せて笑った。この人にくっついて、よく似た顔立ちの小学校低学年くらいの女の子がいっしょに店番をしていることがある。

「その口取りは栗きんとんの水しま屋さんのですよ。おすすめです」

「へえ」

 おれは大きな鯛と海老、小ぶりな鶴と梅と栗とはまぐりが入った折詰を手にとる。着色したうえから透明な艶出しが塗ってあり、スーパーの照明を照り返してぴかぴかしている。

「病人もよろこぶかな。これをもらいます」

「おかげんいかがですか?」

「さいきんはいい感じで」

 毎日ご看病を? ――まあそうですね――じゃあお仕事どうしてるの? ――いまはしてません、と、これまでたずねられるたびにおれが答えてきた断片てきな情報が、彼女の頭の中で一本につながって、「病気のパートナーを療養させるために未来東京から引っ越してきた、けなげな人」というストーリーになっているらしい。

 ほんとうはもっとこみ入っていたりするけど、ぜんぶ話せるわけもなし。

 しめ飾りとちいさな門松も、地元の人の手になるものが売っていたので買った。すると、ペロシカードのスタンプがたちまちいっぱいになって、二枚めをもらった。

 雪道を運転して帰り、門に門松をすえた。長年おばけ屋敷と呼ばれていた家にもこれで神さまをお迎えできる。ドアにはしめ飾り、玄関に鏡餅。もういちど外に出て雪かきをする。

 白い雪のうえに、ショベルをふるう自分と放られる雪の青い影がひとしきり動きつづけた。ジープにもたれて、ショベルを足のあいだに立ててひと息つく。空はうすぐもりで雪はやんでいる。

 車のわきに立ち、このアングルから眺める家がとてもすきだ。これまで自分の住んでいる場所をこんなに愛おしいと思ったことはなく、何度でも胸が熱くなり、ときには泣けたりもする。自分の家の中にこの世でいちばんすきな人がいるということのシンプルさ。家を空けるとき、自分は彼から出かけて彼に帰るんだということがはっきりわかる。

 どこへ行ってもよくなにをしてもいいことが自由なのではなく、人は、自分のもって生まれた資質のとおりに生きられるときに自由を感じるものらしい。おれはたったひとりの人と強く結びつきを感じて、その人を自分の家だと感じるときに自由な気持ちが爆発する。

 おれには荻原ただひとり。ほかにはなにもない、なにもない、なにもない……なのにおれを生かすすべてがここにはある。その豊かさを、気を散らすもろもろをおおい隠すいちめんの雪が教えてくれる気がする。

 おれがこうしていつまでも車を離れずに、うちを眺めていると、「緑、なにしてる」といって玄関から荻原が出てくる。そんな光景を想い描く。

「ここからの眺めがすきなんだよ」と、おれは答える。

 彼も家のほうを向き、数秒、ふたりでわが家を見る。

「冷えるよ、入ろう」と、彼に肩を抱かれて家に入るおれ……。

 想像するだけでおかしな声が出て悶えてしまう。妄想はそこまでにして、ショベルを玄関フードの中に立てかけて、長靴の雪を払い、家に入った。

 暖かな居間には荻原が座っていて、おれはまずそのバイタルを確認する。体温は三十四度台、彼は冬眠状態だ。秋にくらべればだいぶんかさはへったものの、全身に水がたまってむくんでおり、顔や体のどこにもいぜんの彼の名残りはない。

「ただいま」

 おれは荻原のふくらんだ頬に頬をつけ、うすく引きのばされた唇に口をつけた。冷たくぶにぶにとしている。

「こんなの買ってみた。口取り菓子」

 スーパーのふくろから折詰を出して、遮光器土偶のようにぴったりととじた目の前にもっていく。

「よくできてるな、これぜんぶ餡でできた和菓子なんだって」

 菓子をテーブルにおき、「おまえあんこなんかすきだっけ」と、つぶやきながらキッチンへ。

「おれあんまり自分からすすんで食わねえかも」「まあ、彩りになるかと思って買ってみた」などと、りんごをむきながら居間の荻原に聞こえるように声を張る。おれとしてはあくまで、ひとりごとではなく彼と会話しているつもりなのだった。返事はなくても。

 荻原との一日はのんびりしている。夕方からは風呂桶に湯を準備して、しぼった手ぬぐいで彼を清拭した。皮膚がとても薄くなっているのでごしごしとやるわけにいかず、熱めの湯を肌になじませるように撫でていく。髪にはドライシャンプー。薬局の介護用品コーナーで商品をくらべていたら薬剤師に事情を訊かれて、なにをするにも全面てきに介助が必要な病人を二十四時間ひとりで看ていると思われたらしく、まあじっさいそうなんだけど、がんばりすぎないでとねぎらわれ、町役場に介護支援の相談に行けとか、訪問看護を頼むべきとか勧められてしまった。

 勤務弁護士時代、上司が高齢者の成年後見の仕事を引き受けていて、おれも手伝っていたからそのへんのことならいちおうわかる。役場に申請したり看護を頼めば家に出入りする人が増えて、荻原をはじめて見る人に、彼の身に起こっていることをどう説明したらいいかわからない。恋人がある日とつぜん怪物のようなすがたに変貌してしまったという、この状況がなんなのかおれにだって不明で、でもすこしずつ快方に向かっているらしいという言葉にしにくい実感があるだけだ。

 おれは荻原の、とうもろこしのひげめいたもしゃもしゃした髪に泡状のシャンプーを出し、やわらかい頭皮を指の腹で洗った。シャンプーや清拭のとき、気持ちがいいのか、彼の胸が深呼吸するように大きく動くことがある。

「きょう鏡餅買ったけどさあ。うちにはもうおまえっていう巨大鏡餅がいたな」と、軽口もたたきつつ、荻原の髪をドライヤーで乾かした。そしてきゅうに胸がいっぱいになって彼の水ぶくれボディーに抱きつく。

「おれの百年の、千年のめでたさがいまここにあるよ、ありがとう」

 夜は、荻原の体の前にテーブルをおいて、未来北海道の歴史や地名の由来、動植物の生態について調べものをするのが楽しい。業界誌を読んでさいきんの興味深い判例をチェックしたりもする。

 番茶を飲みながら、そうだ口取り菓子があったんだと思いだす。おせち料理や正月のごちそうに飽きたらつまむものみたいにいっていたが、年の瀬に、ふつうに空腹時に食べてもいいものだろうか。

「さいしょの一個はどれにする?」

 荻原に折詰を見せる。

 めでたいの鯛、長寿祈願の海老や鶴はわかる。梅は百花のさきがけで、まだ寒いうちに咲いてよろこびを告げる花だというのも。栗は勝ち栗で勝負運といったところか。じゃあはまぐりはなんだ?

 おれは意味を調べて――二枚の貝がぴったりと合わさることから、夫婦円満、ひとりの人と一生添いとげるようにといった願いがこめられているというくだりを読んだ瞬間に、思わず膝立ちになった。

「楯、はまぐり食おうはまぐり」

 いつもならひとつずつ彼に確認して反応をうかがうところ、ここはもうはまぐりから食べたい。

 ほかの菓子に触れぬよう、菜箸で慎重にはまぐりを取りだし、ふたつに切った。厚みのあるころりとしたフォルム。白餡で漉し餡を包んでいるその断面が、心臓にも似ていてときめく。半分は湯で溶かして汁粉状にし、匙ですくって荻原の口もとにもってゆき、彼がひと口飲むのを確認しておれもはまぐりを齧った。

「たしかにこう……あの……うまいものはほかにたくさんあるなという感じはする」

 きらきらマルシェの店員が、シュークリームのほうがいいとかいっていたのを思いだしながら。おれもデザートならアイスクリームあたりがいい。

「でもなんだろうこの幸せ」

 たしかにこの菓子でしか味わえない、味覚以外のなにかがある。

「なあ楯、この気持ちはなんだろう」

 おだやかなモンスターの足に触れる。植物状態ともいえる彼を介護していてわれながら悲壮感ゼロだなと思うのは、彼から安らかな雰囲気が――もっといえば、彼がこの状況を楽しんですらいる感じが伝わってくるからかもしれない。おれの心配や不安のすじ向かいをゆく思いがけない発想で、荻原は何度となくおれを救ってくれている。きっといまも、おれなんかの想像もつかないことを思っているはず。

 昼間は彼のすがたが外から見えないようにカーテンをしめきっているので、夜は、雪のきれいなときなんかはひらいて外を見えるようにしておく。

 おれがはしゃいで作った雪だるまや、踏み固めて作った迷路のような小径や、むだにもりあげた雪山で、子どもでもいるのかと思うようなにぎやかな庭に、雪が降る。

 門の前に立てた門松の黒い影がすこし見える。

「とーしーの、はーじめーの、たーめーしーとてー……」

 われしらずそんな童謡が口をついた。

 この曲って「一月一日」ってタイトルなんだよな、どんな歌詞だったっけ。

「終わりなき世のめでたさを、松竹たててかどごとに、祝うきょうこそ楽しけれ、か」

 そこまでつぶやいて、おれはこの詞のすごさに気づく。

 めでたい世の中がつづくことを願う歌なのかと思っていたけど、ちがう。この世に終わりがないことはもうわかっていて、そのことを祝っているきょうが楽しいという歌なのだ。小さな個の人生をこえてつづく世をよろこんで、人びとがそれを祝う。過去に無数にあり未来にもくり返されるだろうその場面の数かずが、高速でおれのなかをよぎる感じがして、陶然となった。

 人間はずっとよろこんできたんだな……と、きゅうに気持ちが壮大になってとほうもなくなり、そして目の前にある荻原の太鼓腹を見て、現実にもどる。

 おれは口取り菓子を毎日ひとつずつ荻原と分け、正月の二日に食べ終わった。めでたい菓子のある短い日々は終わったけど、そうと気づいてしまったときから、祝祭は終わることなくつづくのだと思う。


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あとがき

これを書いているいま、大みそかの朝6時半で、まだ空が暗いです。

2015年も楽しく、大すきな小説が書けてほんとうに幸福でした。

この「口取りの日々」が、ことしさいごの作品になると思います。書いていて、この口取り菓子のように甘くめでたい小説をいつまでも書きたいな、と、しみじみ。こんな気持ちにさせてくれるスター、緑と楯にはどんなに感謝してもたりません!

ちなみに本作は、『幸せになりやがれ』205ページの、元日前後の詳細なエピソードとして書きました。お手もとにあるかたは、ぜひそのあたり参照してみてくださいね。

こんなふうに過去の中長篇で、さらっと通りすぎている時間について、短篇やショートショートで拡大して書いていきたい。こういうものならたぶん無数に書ける。

口取り菓子というのは北海道や東北の一部に伝わる、お正月に食べる和菓子です。皆さまもどうぞ、美味しいものといっしょに、暖かくすこやかな新年をお迎えください。

きたる年も、あなたの楽しい時間に私の書くものがお伴をできたら、このうえなくハッピーです!


2015年12月31日早朝 雪舟えま

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雪舟えま!

ひとくち小説集

甘くめでたい短篇・ショートショートです。

コメント1件

口取りボーイズの青春篇はこちら。 https://note.mu/mamix/m/m072707bcfd58 とてもおもしろいよ。
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