君と帰る、マーキュリータクシーで



君と帰る、マーキュリータクシーで



 家の近くに複数の車がとまり、ぱふんぱたんとドアを開閉する音がした。

 となりに寝ていた相棒がばねのように起きて、眼鏡をひろってベッドのうえの窓を見る。目ざめてすぐによくそんなに機敏に動けるものだ。俺はあくびをし、がるると震えた。むきだしの肩が冷たい。

「なんか来たぞいっぱい……」

 カーテンを顔の幅だけひらいて、全裸の緑がつぶやく。

 俺はベッドカバーのうえにひろがる光の波を見ている。頭の中で、玉子焼き専用の四角いフライパンに、溶き卵が流れこむ。小さいころに、料理をする母親の横に立ってそのしぐさを見るのがすきだった。うちのフライパンは古くてこげつきやすくて、こつを心得ている母親いがいの家族が使うとかならず底に食材がこびりつくのだった。

 緑は猫のようにじっと対象を目で追う。

「五……六、七人? けっこううちの庭ぎりぎり通ってく」

 それは彼にはよくある、ひとりごとのようでじつは俺に聞かせたい、俺の注意を引きたいときの声音だった。

「どうしたミディー」

「タティー見てごらん!」

 俺も起きて外を見る。庭をかこむ白樺の林を、一列にすすんでいくカラフルな山歩きファッションの中高年女性たち。だれかがリュックに鈴をつけているようで、ここまでその音がチリチリと聞こえる。白樺の明るい林は森へ入る人たちの通り道になっている。

「入ってく。おれたちの森に」と、緑は窓に手をついていう。

「俺たちの森に」

「きのこだ」

「きのこだな」

 春の山菜シーズンが終わって、人びとは夏のきのこを採りに来るようになった。

「いまならカタオモイタケかヨバイシメジ、エゾノムナサワギ」と、博士。「夏のきのこは妙な名前」

「焼いてパンにのせたい」と、俺。

「天ぷら」

「マリネ」

「アヒージョ」

「油っこいのばっか」

 えいえいと腰で押しあう。ふりむいて見おろすと、枕にひざ立ちする裸の尻がふたつならんでいる。緑の尻は傷ひとつなくぷりぷりしていて愛嬌がある。彼の性格ににあわずその尻だけはいつも平和そうで、眺めているとほほえましい気分になるのだった。ああ、人も尻のように生きられたなら。

 カーテンをしめて俺に向きなおった緑はあかあかと勃起していた。

「あ、みどすごいな」

 彼は自分を見おろして、ちんちんをゆらんとさせていう。

「これ、いまいっちばんおすすめ」

 それは農協スーパーの青果コーナーのおじさんのせりふで、口調もそっくりで、俺は笑ってしまう。

「似てる!」

「似てるか」緑は俺の手をとって、朝の楽しげな生殖器をにぎらせる。「いま旬。すうーごくおいし。ほんと。切ないくらいおすすめ」

「ははは! それいう!」

 おかしくて腹が痛い。そのおじさんは「切ないくらいおすすめ」とか「歯がゆいほど食べてほしい」「あなたもきっとすきになる」とか、個性てきなセールストークをする人で、うちでも時どきものまねをするのだった。

 ふざけているとおすすめ品の先がきらきらと濡れてきた。

「どうする?」と、前髪のすきまからうわ目づかいで、熱くささやくセクシー八百屋。

「どうしよう」と、俺。

「なにを迷うの?」

「もらったばかりの気がして」

「さっきはさっき、いまはいま」

「たしかに」

「こいつは楯が大すき。売れなかったらさびしい」

「もらおうかな……」

「まいど!」

 緑ははしゃいで俺をシーツの海に引きこむ。

 鶴寝のおばけ屋敷から男たちの愛のうめきが聞こえてきたなら、それはほとんどうちの八百屋の声ですと、森に入る人たちにいいたい。



 午後は事務所で打ちあわせがあるというので、外出する緑についていった。きょうは土曜なのだけど、平日は忙しくて体のあかないお客さんというのがたまにいる。農協スーパーの駐車場に車をとめ、緑は二階の事務所へ、俺は近所をぶらぶらとする。

 白っぽい夏の日ざしの中で、未来鹿嘗小学校の校舎の窓サッシたちが遠景の象の群れのように鈍く光っていた。遊びに来ている子どもたちが、ピンクや黄色や迷彩カラーの自転車を広い校庭にとめ散らかして、「たかおに」に興じている。観察していると、子が高いところに登っても鬼の手の届く範囲ならタッチできるルールでやっていると気づいた。じゃんけんのあと、のぼり棒のてっぺんにさっさと登ってしまった女の子が、地上の鬼などどうでもよくなったように、遠くをずっと眺めているのがかっこよかった。

 昼下がりの太陽が髪を焼き、頭頂からしみる。愛しあうと半日くらいふわふわしている。全身にかかった負荷の解消に集中しているような――動物性の食材を口にしたときの感じと似ている。あ、似ているというよりそれそのものか? 彼と交わす体の愛は、俺にはすこし重いのだった。

 小学校を通過し、商店や食堂やアパートのならぶ道を歩いていると、向こうからTシャツ短パンすがたのジョギング男子たちがやってくるのが見えた。そのあとを女子の一団がついてきていた。彼らの背中には「鹿嘗蹴球部」と書いてある。苦しげな表情で息をきらした団体が通りすぎ、砂ぼこりがひいて、道路のはてに山が青くかすむばかりののんびりとした景色がもどってくる。

 ゆきかう車の中に、七月に入ってからキャンピングカーを見かける。ナンバーも道外のものが増えて関西や九州のものもある。カレンダーをしばらく見てないけど、世間は夏休みなのか。

 販売機でボタニカルウォーターを買った。透明なボトルに満ちた水に紫色の花が一輪入っており、宇宙ステーション内の人のように浮かんでいる。

「見かけん顔じゃ」と、声がした。

 俺はふり向く。「…………」

 こんなふうに、公園の入口の看板の、「ペットのふんは持ち帰ってね!」といっている犬の絵に話しかけられたりするのは、やっぱりそうとうぼんやりしているな俺。

「あいさつなしか」と、犬種不明の茶色い犬。

「鶴寝の荻原……」

「よろしい」

 公園では親子づれがいて、敷地内の水路で水遊びをしていた。虫とり網をもっている子たちもいる。

「なにが獲れるんだろう」と、俺。

「クワノトビ」と、犬。

「クワガタじゃなくて?」

「クワノトビ!」といって、犬はゆずらない。彼らの界隈ではそう呼んでいるのだろうか。

 なんだかこの犬は、むかし会社でえらい立場だった老人みたいに威張っている。めんどうくさくてステーションにあげてしまおうかと久しぶりに思ったけど、俺は首のうしろをとじてボタニカルウォーターを飲んだ。

 農協スーパーの前にたどりつくと、ひとり日なたのデスクで仕事をしている緑が二階の窓に見えた。お客さんは帰ったもよう。駐車場から見あげていると、彼はこっちに気づいてからからと窓をあけた。

「順調?」と、俺は頭のうえに両腕をかかげてマルをつくる。

「順調!」と、彼もおなじように頭上に両腕でマルをつくった。

 二階には料理教室やカルチャーセンターもあって、にぎやかな声とカレーの匂いの中、踊り場に日がさす明るい階段をのぼる。正面に兼古法律事務所のドア。出迎えた彼と抱きあう。

「どこまで行ってた、この猫は」と、順調というだけあっていい顔をしている先生。

「せせらぎ公園」と、俺。

「まあ知ってたけど。――顔が赤い。日焼けしてる」

「帽子もってくればよかった」

「水は飲んだ? 気をつけて」

 せっかく事務所に出てきたし、仕事をすすめておきたいと彼はいう。俺はうぐいすパンとコーヒーをもらってミーティングルームのソファーに横になった。

 すこし室温をさげてもらった部屋で、日なたを歩きつづけた体が放熱していくのを味わう。多少身にあまる重いものを恋人から受けとるのも、火照った全身が冷気をむさぼる快感も、個性てきな友人みたいなうぐいすあんの甘みも、この現実ならではの感覚だった。こうしたものを味わいたくて肉体は作られたのだ。俺はいま、この体がとても楽しい。体というのはずっと重くだるく、思いどおりにならなくて疎ましいものだったのに。

 俺は自分に性欲がないのもあって、人びとが、かつて――子どものころは元気でこわいもの知らずだったのに、異性を意識するようになってにわかにおとなしくなり、愛されるために頭を悩ませ、やがてつがう相手をみつけて決まりきった関係になっていくことの意義がわからなかった。おおくの人びとが、かつては男でもなければ女でもない自由な人間だったのに、あるとき分割された性のどちらかになると決めて生き始めるのがふしぎだった。以前の俺にはそれが転落に思えてならないのだった。

 でもそれはちがった。

 この世に決まりきった関係などなく、だれひとりとしておなじことをくり返したりしていないことが、いまはわかる。交わされる恋人たちのまなざし、言葉、肉体の愛、それらはすべてこの宇宙でいちどきりしか起こらないことだ。彼に愛されるとき、俺に起こる感覚はひとことでいえばエクスタシー、けどその内訳はいつもちがっていて、どうなるかはそのときにならないとわからない。快感はどこからか来てどこかへ消えるミステリアスな客で、かならず来る確証もない。ひどく強いときもあればおだやかなこともある。はやく起こることもあればおそいことも。短いことも長くつづくことも。彼と俺の心身の状態も刻一刻と変わりつづけている。とりまく空気も季節も。

 宇宙のすべてを生みだした貪欲な生命が、おなじことの再現だなんて退屈なことをどうしてするだろう。生命はとにかく味わいたいのだ、グラデーションのすべての階調を、あらゆるバリエーションを。そしてひとつ残らず宇宙の図書館に記憶していく。

 気づくと俺は草原に立っていた。水気を含んだ風が吹き、この広大な草むらのどこに家を建ててもいいのだよといわれている気がした。空は白く曇って可能性のかたまりのようにうごめいている。「いま願ったことは叶う」という声がして、どんなにか立派な家を建てようと胸をふくらませる。ドラゴンや魔法使いの住んでいそうな城? 三匹の子ぶたの絵本に出てくる、れんが造りの家か。子どものころに遊びにいった祖父母の家のようなしっくい塗りか。はじめは重厚で大きな家を思い浮かべていたのに、イメージはだんだんシンプルに、そして小規模になっていった。ログハウス、木造の平屋、江戸時代の長屋のような紙と木でできた家、骨組みに布を張っただけの簡易住居。あれあれ、テントかよ。俺は笑ってしまう。「雨だ」と、声がして、見ると緑が目の前に立っている。草原には小雨が。彼はふろしきほどの大きさの布の、ふたつの角をつかんでふわりと頭上にかざす。俺もこちらへ来たふたつの角をもっておなじようにもちあげると、ふたりが雨をしのげるだけの屋根になった。

「これが家か」と、俺はつぶやく。水滴のついた眼鏡の奥の目が笑った。「緑、おまえが俺の家なのか」

 そこで草原は立ち消えた。それはまぼろしだった。

 ソファーに横たわり、手の中には食べかけのうぐいすパンがあって、草色のあんのうえにできている空洞を、俺はいっしんに見つめていたのだった。

「楯寝てる? 星がきれいだ」

 呼ばれてミーティングルームを出ると、緑が部屋の照明を落とした。たちまち南向きの大きな窓いっぱいにこぼれんばかりの星ぼしが架かる。

「うわーお」

 俺は感嘆の声をあげて窓へ。宇宙を背にした緑はまるで船を待つ人のよう。彼はデスクチェアを引いて俺を座らせ、給湯室から白ワインのボトルとグラスをもってきた。

「きょうのお客さんにもらった。飲もう」

 順調ワインで乾杯し、星と町なみを眺める。道路を挟んで向かいには、彼が俺を探しに来たときに泊まっていたビジネスホテル。視線を感じると思ったらデスクの一角に写真コーナーがあって、ロココ調のフレームの中から、未来浅草の町内会行事で緑といっしょに獅子舞の中の人をやったときの俺がこちらを見ていた。

「おれこの写真すき……」写真を見る俺に気づいて彼がいう。「楯がめずらしく汗かいてんの」

「獅子舞おもしろかったなー」

「おまえへのおひねりのおおさにびびった」

 この表情がすき、この空気がすき、と、一枚ずつ説明してくれる緑。獅子舞を脱いで彼と写っているのと、春に身内の人たちと宴会をしたときのものいがいは、俺の写真ばかりだった。透明なコンパクトをひらくと高さ二十センチほどの俺のホログラムがあらわれた。葬儀社の仕事着を着ているけど、顔の感じがなんだかちがう。

「高校のときのおまえだよ」と、マニアは教えてくれる。「バイトから帰ってきたところを撮った。パジャマのも、浴衣のもある」

「いつのまに」

「未来京都で、ひとり暮らしのさびしさにコンパクトを作ってしまった」

「よくできてるなー」俺はボタンを押して、ホログラム俺の衣装やポーズを変えてみる。「俺若い……」

「朝晩、ホログラム楯をテーブルに立てて食事してた。可愛くてかわいくて、眺めてると食べこぼすしあっというまに時間が経つ」

 星あかりのしたの彼の顔は青白く、笑う口からのぞく乳色の歯もワイシャツの襟のするどさも、シルクのネクタイのなめらかさも、ひどくはかなく見えた。グラスをもつ手の甲には、猫に引っかかれたという三日月型の古い傷が、そこだけ周囲の皮膚とちがう質感でぴかぴか光っていた。

 眼下では駐車場になめらかに出入りする車たち。一台ずつ色あいも光量も異なる、個性あふれるヘッドライト。

「しずかだ」と、緑。

「うん」と、俺。

 おかわりを酌しあう。

「きょうははかどった。楯がそばにいたおかげ」

 デスクにもたれた緑はワインを飲みながらいう。

「よかったらまた同伴出勤して」

 という彼の言葉で思い出したけど、俺はきょう、ただ菓子パンをもらって寝ているために来たのではなかった。時計を見る。いい頃あいだ。

「みど、端末起こして」

「え?」

「見たいものがある」

 緑はコンピュータの名前を呼び、「なにを見る」

「テレビ。九チャンネル」

 モニターに一週間のできごとをまとめたニュース番組が流れる。ふだんは観ないもので、緑はけげんそうにふりかえり、「これがどうしたの?」という。

「おもしろいのやるよ」

「ふーん」

 と、彼がモニターに向きなおったそのとき、それは始まった。

「おっじゃっまっしまーす!! 未来農協パッションが作りましたァ~! 刺激と癒しの七不思議! ベジフル☆ラッキーセブン!」

 未来帯広の駅前で、髪を切りたての俺が野菜ジュースをもらって飲んでいる。クイズが始まり、答える俺。全問正解に、あやう、あやうとはしゃぐインタビュアーのローカルアイドル。俺の胸もとには「未来鹿嘗町・荻原さん」とキャプションがついている。

 俺はデスクに頬づえをつき、「髪短いなー」

「…………」緑は画面を見たまま固まっている。

 さいごに、俺が賞品のラッキーロゴTシャツをひろげて胸にあてて笑っているシーンが一瞬だけ映って、コマーシャルは終わった。

「うーーーわーーーなーんこれえええ」

「Tシャツは二枚もらった」

「このあいだの未来帯広?」

「そう」

「うーっそ、うっそなんこれあやう」緑はクリーム七三の髪をかきみだし、「おれのいないまに……こんなことして……」

「だってつかまったんだもんね」

「これ、放映は道内だけ?」

「だけ」

「はあ……」緑は放心したようにグラスをおき、「酔いが飛んだ」

「いまのが初回放送でした。以上」

 俺がモニターを消そうとすると、ちょちょちょといってとめる彼。

「も、もっかい観たい」

「いまから三か月流れるし、動画もらってるからいくらでも」

 緑が呼んだマーキュリータクシーは週末のきらめく流れの中をやってきて、水星の名にふさわしく軽やかに駐車場にとまる。その車はどこかわからない場所からやってきた、俺たちをひとときはこぶために。それは一瞬、どの星のできごとだろうかと思うほど感動てきだった。見とれていると手を引かれ、俺は事務所をあとにした。


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表紙タイトルに使用した「数式フォント」は、キユマヤ園さんのご提供です。

素敵なフォント、すきあらば使わせてもらいたいと思っています! ありがとうございます。

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*本作は『幸せになりやがれ』(講談社)の続篇のひとつ「ユーアーマイあやうラッキーグリーン」のつづきです。このあとは「五時四十ッピングからす鳴いティング」をごらんください☆

この前後のエピソード「あの鳥、口にジュース入ってるみたいな歌いかただ/それはおまえだろう」「24時間のすずめたち」「ワイルドファンシー・オブ・マロンラテ」などをお楽しみあれ♡ シリーズ作品はこれ以外にもたくさんありますので、ぜひお読みください →こちら 短いものはだいたいnoteの「ひとくち小説集」内にあります。



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