Dressings

未来北海道での夏の朝、ふたりは未来帯広までドレッシングを買いに出かけることに。
こんな元気な楯見たことない!?

『未来帯広バイブレーション』(2017)を改題・ちょっと改稿したものです。A4で11ページくらいの分量です。

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ドレッシングス

 朝の食卓にスープをもっていくと、緑(みどり)がドレッシングのびんをじっと見つめていた。
 俺は彼のとなりに座って、「どうしたの」
「楯(たて)くん、これをどう思う」といって彼がびんを見せてくる。「オイルが底にのこっている」
 丸みのあるガラスびんの底には、淡い金色、濃い金色の油のつぶが層をなしてゆれていた。
「キラキラしてる」と、俺は見えたままいってみる。
 緑の眼鏡の奥の、細い目が光る。「そうじゃない」
「じゃあなに」
「毎回気をつけて、かなり振ってから使ってたのにさいごにオイルだけ一センチいじょうものこる。構造に欠陥があるんじゃねえ?」
「細かい」
「うるせえ」
「気にしたことなかったよ俺」
「そう、おまえは気にしてない。その振りかたじゃあ混ざってねえと思っていた」
「思ってたんならはやくいえばいいのに」
「小さい人間と思われそうで」
「まだ思われてないと思ってるのかな……」
「え?」
「いやいや」俺はいれたての熱いコーヒーに冷えた豆乳をそそぎ、ひと口飲む。「なにをいっても大丈夫だから、こんどから気になることはなんでもいってごらん」
 緑は冷蔵庫からマヨネーズのびんをとりだし、スプーンですくってサラダにあえた。
「楯とふたりで選んだものだからきれいに使いきりたかった。それだけなんだよ」
「わかる」
「人類が月で暮らすようになってけっこうたつのに、地上ではまだドレッシングのオイル分離問題が解決してない」
 俺は笑って、「こんなことが問題になるくらい平和なんだね、ここは」
 緑はきょうの休日の使い道を決めたというようにいう。
「ドレッシングを買いにいこう」
「いこう」
 二〇六四年七月、未来北海道(みらいほっかいどう)は涼しい夏を迎えていた。十勝地方北部にあるここ未来鹿嘗町(みらいしかなめちょう)も朝晩は冷涼な気に包まれ、わが家はちょくちょくストーブのお世話になっている。けさも起きてから三十分くらい蓄熱石ストーブを使って部屋を暖めた。
「どこ方面」と、彼が問う。
「みがいおぎひお」と、俺は歯ブラシが口に入ったまま答える。
「了解」
 洗面所で、ならんで歯をみがきながら鏡に映るおたがいの顔を見て会話をしている。
「楯と未来帯広(みらいおびひろ)」緑は口をすすいでうれしそうにつぶやいた。「未来帯広にいけばなんでもある」
「なんでもある」
 未来鹿嘗町からいちばん近いシティーは未来帯広で、そこへゆけばドレッシングなどはよりどりみどり。俺たちは去年の秋、生まれてから二十六歳まですごした未来浅草(みらいあさくさ)から移住してきた。一年もたたずにこの小さな町になじみ、いまでは未来帯広の都会ぶりにわくわくするほど田舎の人の感覚になっている。未来札幌(みらいさっぽろ)はもう俺には刺激が強すぎるくらいだ。
「たってっとっおっびっひっろっ・たってっとっおっびっひっろっ」
 歌いながら緑が玄関を出てゆくのが聞こえる。家の前にとめてあるジープがいちどフゥーンとうなり、目覚めの風を吐きだしてスタンバイに入ったのがわかる。俺はサファリハットをつかんでサンダルをはき、家を出た。駐車スペースに敷きつめた白い玉砂利が日射しにぴかぴかしていてまぶしい。いまでこそおどろかなくなったけど、春先に感じた未来北海道の空の明るさといったら、まるでべつの国にきたみたいだと思った。
 草色のジープのドアがぱふっとひらき、助手席に座る。
「馬(うま)、きょうもよろしく」
 「馬」と呼んでいる車の人工知能に話しかけると、馬は優しい女性の声で「おはようございます、きょうはデートですか?」といった。
「そう」と、緑が答えてシートベルトをとめる。「ドレッシングを買いに未来帯広まで」
「未来帯広までですね。了解しました」
 馬のナビゲーションが始まり、車は玉砂利をきちきち鳴らしながら車道に出る。片道一時間ほどのドライブだ。
 家は町の北のはずれの鶴寝(つるね)という地区にあり、さらに北へゆくと鶴寝峡の温泉地がある。このあたりは大雪山国立公園にもほど近くて家の周囲は見わたすかぎりの森だ。おとなりさんと呼べる家まで三キロは離れている。朝や昼間は山菜採りや散歩、ウォーキング、ジョギングの人も見かけるし温泉ゆきのバスや車も通るけど、日が暮れると交通量は激減、歩行者はまずいなくなる。
 風のない夜のしずけさは心細くなるほどなのに、胸の底ではこういう静寂のうちに身をおきたいと願いつづけていた気もする。じっさい、俺は未来浅草では防音室のあるマンションで暮らしていたのだった。そこでだれにもじゃまされず、お気に入りのチェアーに横たわって瞑想するのが数すくない趣味のひとつだった。
 鶴寝地区から国道に出て、林と草むらが交互にあらわれるのどかな景色のなかをジープはすすむ。
「不ー思ー議ーなーもーのーがーすきーなー♪」
 ふいに緑が歌いだした。
「そろそろ歌うころだと思ってた」と、俺は笑い、「馬窓あけて」という。窓がするするとさがる。
 彼は274号線で、かなりの確率で歌いだす。この道は彼の気分を盛りあげるバイブレーションを発しているらしい。
「きーみーはー気ーづーいーてーなくてー♪」
 緑が歌いながらボタンを押したらしく、あけたはずの窓がぐいぐいあがってくる。
「なんでしめる。馬、窓あけて」と、俺。窓がふたたびさがる。
「はーじーめーてーのーデーエートーはー♪ なんであけるんだよ」
「じまんの歌声をみんなに聞かせてやろう」
「あほか」緑はまたも窓をしめる。「ミーステリーサークルーがーいいーわー♪」
 俺はゆかいになって、「馬、窓しめないで。緑のいうこときかないで」
「こら」彼は俺のサファリハットのあごひもを引っぱった。
「同時に命令と操作をしないでください」と、馬が窓あけしめ攻防をたしなめる。
「こーうーえーんーにーゆーこーおよー♪」と、緑。
「ゆこおよー♪」俺はコーラスをする。
「ユーフォーよりもー流氷よりーもー♪」
 気分よく歌う緑。幸せそうな彼を見るのがほんとうにすきだ。
 いちばんの盛りあがりでは俺も声をあわせて、「きーみーがー見ーえーるー丘公ー園ーーー♪」
 車は未来帯広市内に入る。駅前のパーキングに駐車して馬にしばしのわかれを告げ、まずは駅の特産品ショップに向かった。
 未来帯広駅の高い天井、風とおしのよいコンコース。観光案内所の看板を見るといつも、ここからどこへでもいけそうな、ここからずっと楽しいことだけがつづきそうなときめきで、胸が苦しくなるほどだ。
 そんな駅のなかは、午前中の――まだ昼まで一時間はあるというのに人がおおい。七月に入って観光客が増えたのだろうか。
「こっちだよ」
 大きな荷物やスーツケースをつれた旅行者たちのあいまをぬって、緑が俺の手を引いてかって知ったるように歩く。
「豚丼&かきあげダーリン」という店の前までつれてゆかれる。「憶えてる? ここのふきのとうと春野菜のかきあげ弁当」
 仕事で未来帯広や未来釧路といったシティーに出ることのおおい緑は、お気に入りの店がたくさんある。どこのランチボックスがうまい、どこのお菓子がうまいといってはみやげを買ってくる。
「憶えてるよ。うまかった」
 見ているそばからつぎつぎと、できたての弁当が詰めこまれてゆくショーケース。看板商品の豚丼弁当はカウンターに何列にも積まれる。あきずに眺めていると、ピピッと音がして、ふり向くと緑に写真を撮られていた。
「なに?」
「すきな店に楯がいるのがうれしい」といって彼は笑った。そしてはにかんでいう。「ドレッシングを買いにきたんだったね」
「楽しいからいろいろ見てまわろう。ドレッシングは逃げない」
「ドレッシングは逃げない」彼はにこにこと復唱してみせた。
 駅のなかの未来十勝物産ショップやみやげもの屋をめぐり、冷たいものがほしくなったタイミングで「クリームスタンドグーグー」にたどりつく。地元産の豆乳とそばを使ったソフトクリーム「まめそばソフト・はちみつトッピング」のラージサイズをひとつ注文して、プラスチックのスプーンを二本もらう。
 店の前のハイテーブルを挟んで立ち、ふたりでひとつのソフトクリームを食べながら、いつしか彼と時を忘れて見つめあっていた。親指の爪くらいしかない小さなスプーンでつぎつぎと削り、かわいたのどにひんやり甘いクリームを流しこむ。なんだか正面にいる彼を食べているような気分になってくる。
 人の目というのはけっこうするどい気を発しているものだと思う。友だちでも親子でも、なにもいわずにずっと目をあわせつづけたりはしない。しかしふしぎと緑の目だけは、こうして見つめあうときはするどさも圧迫感もなく、おたがいに吸いこみあうようにいつまでも見ていられる。彼と出会って、人の目をこんなに長時間見つめていられるものだと知った。
 彼は眼鏡をしていて、その奥の目は細くて小さくてきらきらしている。もちろん美しいし、可愛げもあって、きっと子どものころから変わらないんだろうなあと彼という人の軸も感じる、よい目だと思う。その強い磁力にひきこまれる。
 ソフトクリームがなくなったところで、自分たちにつんつんと向けられている矢印のような気配を感じてふり向くと、リュックやキャリーバッグの若い女性四名が手に手にソフトクリームをにぎりながらこちらを凝視していた。
「アイス食べたらますますのどがかわいた」と、俺。
「なにか飲みにいこう。ていうかもう昼飯?」と彼がいって、俺たちはアイススタンドを離れた。旅女子グループがこちらを目で追いつづけるので、手を振ってみる。彼女たちは一瞬目を点にし、それからワーッといって全員が手を振ってくれた。
「なんだおまえ、こんなところで愛想ふりまいて」
 といった彼の目には、軽いジェラシーの着火が見てとれた。場合によってはもっともっとすごい目でにらんでくる。あんなに優しくとろけるように見つめることもできるのに、人間とは目だけでほんとうにさまざまな表現ができるものだ。
 緑が手をにぎってくる。
「手をつないで。未来札幌駅ではぐれたことあるからな」
「シティーはこわいところ」
「こんなんじゃもう里帰りできんかもしれん」
「ははは」
 駅を出るときに、歩いて二十分ほどの公園で月にいちどのファーマーズマルシェをやっているというチラシをもらった。なんとタイミングがよいのだろう。緑と顔を見あわせる。行ってみると緑ゆたかな公園の広場にお店のテントがならんでいてお祭りみたいだった。カラフルな風船と三角の小旗がつらなってふちどる入口をくぐって入場する。
 家族づれがたくさんいる。広場の奥のほうからズンチャ、ズンチャと音楽が聞こえ――まるい屋根のようなものがくるくる回っているのが見えるのはメリーゴーラウンドだろうか? 移動遊園地っぽいイベントをやっているらしかった。
 野菜、フルーツ、牛乳や肉の加工品、植物の苗木などなど、テントをひとつずつ見ていくうち、いろいろな色の細身のびんがならんでいる店を見つけた。びんはドレッシングやソースのたぐいだった。
 緑が一本手にとる。頭巾とエプロンをしたつやつやの頬の女性がいう。
「未来陸別(みらいりくべつ)トリフ丸(まる)っていう地元のトリュフを使ったドレッシングなんです」
「トリュフって国産のがあるんだ」と、緑。
「ヨーロッパのものだって思いますよね。未来北海道でも作られていてかなり美味しいんですよ。うちは新参のきのこ農家で規模も小さいんですけど、トリュフとかポルチーニとかまつたけといった品種をもっと身近に感じてほしくて力を入れています」
「ポルチーニやまつたけも」
「はい。ポルチーニとまつたけもことしからドレッシングやペーストに加工を始めました。食べくらべてみませんか?」
 店の人はゆでたブロッコリーやじゃがいもの小皿にトリュフとポルチーニとまつたけそれぞれのドレッシングをかけ、試食させてくれる。
「トリュフとポルチーニのはバターご飯、まつたけのは卵かけご飯にトロリとたらすのも最高なんです……」
 と、店の人がうっとりという。緑ののどがごくりと動くのを俺は見た。
「どう?」ひととおり試食して、彼が俺をふり向く。
「どれもおもしろい味がする。眉毛が八の字になる味がする」
 俺が感想をいうと、店の人が「?」を浮かべた表情になる。緑が「これはかなりのほめ言葉です。困ってしまうくらい美味しいということです」と、通訳してあげた。
「そうなんですか? ありがとうございます」
 一分ご、三本のドレッシングを入れたふくろをさげて歩きながら緑がつぶやく。「ぜんぶ買ってしまった」
「俺おまえのさいふのひもゆるむところ見るのすごくすき」
「あぶねえことをいう」
 彼は店員が愛情をこめて商品を語るのを聞くと買ってしまう習性がある。ふだんよくいく農協スーパーでもそうで、青果担当のおじさんがものを勧めるのがうまくついつい買いすぎる。緑いわく、半分は話芸に感動しての投げ銭のつもりだとのこと。彼が農協で勧められるまま出始めのアスパラやメロンをかごに入れたり、さいきんもとうきびをホイホイ買っていたりしていたけど、その光景は何度見てもなぜかひどくゾクゾクするのだった。
 このみでいえば、手をかざして「ピッ」で終わってしまう決済よりも、こうした出店や屋台でもたつきながら現金で支払うのがよい。
「とにかく緑が、ゆるむところを見るのがすき。それを見ると俺もゆるむ」
「おまえはゆるみすぎだろう」
「ゆーるゆる」
 俺は空に向かって伸びをした。
 つぎは野菜の店でドレッシングを見つけた。玉ねぎとハーブのシンプルなドレッシング。スパゲティーのソースにしてもパンにつけても美味しいといわれ、ふらふらと買う彼の背中を俺は一歩さがって見守っていた。それにしても、金を出すときの彼の異様な可愛さといったら……これはほんとうにどういう心理なのだろう……俺ってあぶないのかしら。
 四本めのドレッシングをふくろに入れたところで、彼は素朴な疑問を口にする。
「もしかしておれたち、腹がすいてるんじゃねえ?」
「いいところに気がついたね」
「それで試食がやたらとうまく感じて」
「屋台でなにか食べようか。俺あのバーガー屋気になる」
 俺たちと同年代くらいの男女がおそろいの前かけをしている屋台にいった。店のそばにテーブルといすのスペースがあって、ベビーカーのファミリーや犬をつれた先客がいた。
 俺はてりやきトウフバーガーときんぴらひよこ豆とレモンビール、緑はピタパンBLTにノンアルコールのモヒートを買い、テーブルで食べた。
 七月の透明な日ざしが芝生とテントと人びとを照らし、そよ風が屋台の旗をぱたぱたと揺らしている。移動遊園地のほうからは楽しげなクラリネットやアコーディオンの曲がホロホロ、ズンチャと聞こえてくる。
 半分ほどになった、ミントの葉がはりついたモヒートのカップを手に、瞑目して緑がつぶやいた。
「幸せだ……最高に幸せだった……」
「過去形になってる」
「まだ昼なのにもう最高の一日が終わったみたいな感じがしてる」
「満足なんだね」
「満足です……なにもいらない、もうなにもいらない、じゅうぶんだ……」緑はうわごとのようにいい、ハッとした顔になって、「あ、楯はほしい。楯はまだほしいからね」
「うん」
 きんぴらひよこ豆のさいごのひと粒を食べ、レモンビールを飲み終えて俺はいう。
「ああうまかった、うしまけたー」
 聞こえたらしくて、店の人がふり向いて笑った。
「それこないだ食堂でいってるじいさんいた。未来北海道ギャグなのかな」と、緑。
「全国区じゃない? 燦定(さんさだ)でいってるじいさんいた」と、俺。燦定というのは未来浅草のネオ雷門通りにある天ぷら屋だ。
「未来北海道のじいさんが燦定にきてた可能性も捨てきれないが」緑はぶつぶついう。「地域性ではなくじじい性がいわせるせりふか」
「俺にもじじい性が出てきたのかしら」
「楯がじじいになるの楽しみ」
 屋台を出るとき、ピタパンにかかっていたシーザーサラダドレッシングがうまかったと緑がいい、おなじものが売られていたので一本買う。
「買いすぎたかな。でもここで見るものぜんぶうまそうに見えてしまって」
「いいんじゃない。まあ俺は、基本ドレッシング使わないけどね。野菜そのままの味がすきだから」
「はあ?!」緑は俺の口に両手の指をかけ、ぐいっと左右に引っぱっていう。「それが五本も買ってからいうこと!?」
「いふぁい、いふぁい(いたい)」
「きのこのなんて、おまえがほめたからぜんぶ買ったのに」
「いふぁーい、ややかやいふぁーい(やだこれいたい)」
「まったく」
 緑が口から指をはずした。
 さいきん俺のなかで、うちの駐車スペースの玉砂利のすきまから生えるブタナを食べることがはやっていた。雑草だと思って引っこ抜いていたけど、洗って食べるとひょうし抜けするほどくせがなくて、というか味もなくておもしろかった。いらい、なにもかけたりせずにその味のなさを楽しんでいる。緑はすぐにドレッシングやソースをかけてしまう。野菜にかぎらずなんにでもだ。
「緑は味をつけすぎると思っていた」
「えーっ」
「塩分とりすぎに気をつけて」
「えーっ、えーっ、えーっ、えェーッ??」彼には承服しがたいものがあるらしかった。「おまえ本気で? おまえ本気でいまそれいうの?」
 俺はうなずく。
 緑は首を横に振って、「うらぎられた気持ちでいっぱいだ」
「そう?」
「ふたりで食べると思ったから……はりきってこんなに……」
「じゃあ俺も時どき食べよう」
「食べようよ」
「うん」
 俺たちはファーマーズマーケットをあとにする。緑がすこししゅんとしているので、はげましながら歩く。
「ごめん、緑がなんでもふたりのためだと思って選んでくれてるの、わかってるはずだったのに」
「楯もよろこんでるのかと思って……」
「そうだよね」
 彼の行動の動機はいつだっていつだって、俺といっしょに楽しみたいという、泣きたくなるほど純粋な、たったそれだけなのだった。そのことを俺は時どき忘れて、緑がまたなにかやっているなーとひとごとのように眺めてしまう。
 駅にもどるとちゅうにカラオケブルーベルという店を見つけた。看板では、青いリボンつきベルを首にさげた牛が音符をふりまいて歌っている。
「緑、ちょっと歌って帰ろうか。おまえのきれいな声が聞きたい」
 うつむきぎみだった彼がぱっと顔をあげ、俺の指さすカラオケルームを見る。「歌って帰る」
「そうしよう」
 休日の午後の店内はこんでいて、ロビーには順番待ちのグループ客が何組も待っていた。しかし二名というのは俺たちだけだったようで、いちばん小さな部屋がすぐにあいて案内された。
 カウンターでは、タンバリンやシェイカーなどの盛りあげグッズ、コンガやボンゴ、名前も知らない民族楽器を貸しだしていた。俺は赤くつやつやした胴に革ばりのコンガ、緑は卓上サイズの「のど自慢大会の鐘」を借りる。長さのちがう金属の管がピアノの鍵盤のようにならんで吊るされている楽器で、正式名称はチューブラーベルというらしい。
「しれとこー、ふきぬけー、トランーポリーン♪」
 ミラーボールが回る小部屋で、さっそく緑が演歌「知床吹き抜けトランポリン」を歌った。俺はコンガがけっこう本格てきな音がするのがうれしくて、コカコカと叩きまくる。
「しれとこー♪」と、緑。
「しれとこー♪」と、俺がこだまのようにコーラスする。
 スクリーンには灰色をした冬の海で流氷を見つめる女のうしろすがた。カメラはしだいに画面中央にズームしてゆき、女の背を越え、氷上の一点に迫ってゆく。
「ふきぬけー♪」
「ふきぬけー♪」
「トランーポリーーーン♪」
「トランーポリーーーン♪」
 氷のうえにのっていたのは一匹のアザラシだった。空には大きなワシが舞う。
 つづいて、俺はコンガが似あう家庭内(ドメスティック)ロック「やめてくれ楽しい」を歌った。
「やーめーてくれー♪」と、俺。
「ヤメテクレー♪」サビではすかさず緑が裏声でハモってよこす。
「たのしいーーー♪」
「タノシー♪」
「男ーのー遊びーはー死とーとなりーあわせーーー♪」
 曲のさいごの「タン・ンタン・ッタン・ウン・ジャジャジャッ」にあわせてコンガを叩き、やりきったと思ったところにキンコンカンコンキンコンキンコンカンコンキンコンとチューブラーベルがかき鳴らされた。ふり向くと、テーブルに立てた鐘の前で、緑が力強いまなざしでこちらを見つめていた。その手にはハンマーがにぎられすべての鐘がゆらゆら揺れていた。
「みどくん」と、俺は思わず愛称で呼びかける。
「タティー」と、彼も愛称で呼びかえしてきた。
「ありがとう」
「最高だった」
 俺たちは交互にお気に入りの曲を歌い、俺は緑が歌うときにはコンガを叩き、自分が歌うときにもコンガを叩いた。とにかく叩きたいだけだった。さいごのほうには手がじんじんしていた。緑は俺が歌うときは器用にハモり、歌いおわりはりちぎに毎回チューブラーベルを連打した。
「なんだ俺、ぜんぶ合格じゃん」と、俺は笑う。
「楯は生きてるだけで合格」と、緑は真顔で答えた。
 歌っているとあっというまに時間はすぎてゆく。こみあっているので延長はできませんとカウンターでいわれていた。
 さいごはふたりで、車中でも歌った「UFOよりも流氷よりも君が見える丘公園」を歌った。十年くらいまえに人気があったバンドの曲で、高校の音楽の教科書にも譜面が載っていた。緑と同級生だった未来浅草高校二年のとき、文化祭の合唱コンクールでうちのクラスはこの曲を歌った。指揮者は学級委員の緑だった。

不思議なものがすきな
君は気づいてなくて
はじめてのデートは
ミステリーサークルがいいわ

わかるけどもっと手前に
なんていうか手前にしてくれないか
たとえば なんていうか
公園にいこうよ
UFOよりも 流氷よりも
こっちは君が見たいんだ

UFOよりも流氷よりも君が見える丘公園
UFOよりも流氷よりも君が見える丘公園

 キンコンカンコンキンコンカンコンキンコンカンコン、さらにキンコンカンコンキンコンカンコンキンコンカンコン、緑は鐘を叩きやめなかった。俺もすでにくたくたの腕でよれよれのコンガロールを打ち鳴らし、しまいには手が動かなくなって「うわー」と叫んで楽器を抱えてソファーに横たわった。息がはずんで胸がはげしく上下した。なんだか目も回っている。
 ソファーのかたすみでずっと俺たちの歌と演奏のバイブレーションを浴びていた五本のドレッシングたちは、この一時間でいっそう熟成の度あいを深めたように思われた。ドアのうえに退室をうながすサインが点灯し、緑がヘラクレスのように、片手に卓上チューブラーベルをつかみ片手にドレッシングのふくろをさげてうおっしゃああと立ちあがる。その眼鏡は室内の熱気にすこし曇っているかと見えた。彼の背中を見ながら、コンガを抱えてついていく。惚れなおすとはこういう感じのことかなと思いながら。


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『緑と楯 ハイスクール・デイズ』(集英社刊)こちらもぜひどうぞ☆


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