五時四十ッピングからす鳴いティング


五時四十ッピングからす鳴いティング



 そのとき、口の中にアイスバーのあと味を感じながら――というより、あと味そのものになって、ソファーに横たわっていた。ソーダ味だった。舌は青くなっているのかも。窓の外から緑が庭の芝生に水やりをしている音が聞こえる。仲よく呼びかわしながら山に帰っていく、本日営業終了のからすたちの声もしている。

 庭から声がした。

「たてー、虹できた」

 首を伸ばして見やると、レースのカーテン越しにホースをもっている彼のシルエットが見えるものの、虹まではわからない。下半身がソファーとつながってしまったようで起きられず、「ああ」とだけ返事をした。カーテンが風をはらんでよせてはかえす。

 体のうえを夏の夕方の風が撫でてゆき……キッチンで風鈴がぴりんと鳴った。あいさつしていったみたいだ、と笑っていると、玄関で物音が。麦わら帽子をかぶり首にタオルを巻いた緑が入ってくる。彼はきょう、家のまわりの雑草抜きや車の手入れなどに精を出していた。

「やあ猫くん」

 と、彼はいい、居間の入口に立ちどまってにまにまとこちらを眺める。そしてポケットからワルクマンヒューマンを取りだし、さっと写真を撮った。

「いいねえ、楯がいる風景」

「おつかれ」

 彼はタオルで顔を拭き、「やっと日が傾いてくれた」

「いま何時ング?」

「五時四十ッピング」

「からす鳴いティング」

「ほんとこの家涼しいな。外はまだ汗ばむくらいなのに」緑は帽子を脱いでテーブルにおき、ひとりごとのようにいいながら洗面所へ。

 水の音、ソープディッシュから石けんをとってまたおく音。彼が手を洗い、顔を洗う物音を目をとじて聞いていた。この耳は彼が立てる音がすきなのだった。彼はキッチンに移り、冷蔵庫をあけて飲みものを取りだす。いまなにがあったっけ、ボトルウォーターとトマトジュース、ブルーベリージュース……。

「あの……ねえ楯」

 目の前に来た緑は、手にトマトジュースの入ったグラスをもっていた。そしていくぶん困惑ぎみの声でいう、「流しの湯のみに、わかめがついてたんだけど」

「え?」

「湯のみに、わかめが」

 まるで浮気の証拠でも見つけてしまったかのような悄然とした面持ちに、わるいと思いつつ笑いそうになってしまう。

「おやつに飲んだよ」

「いや、飲むのはもちろんかまわなくて」

 彼は床に座ってもじもじしている。

「……みそ汁用の椀があるのにどうして使わないんだろう。おれといるときはおそろいの食器使うのに、ひとりのときは使わないのはなんで?」

「なにも考えてなかった」

「おまえがひとり暮らしのときに、湯のみひとつでなんでも飲んでたのは知ってるけど。いまもそれがしぜんってことなのか……」

 緑は手の中の、ぽったりとしたジュースを見つめた。

 うちにある食器はほとんど、彼が学生時代から「いつか楯と暮らすときのために」と夢みて買いそろえてきたもの。用途に応じて食器を使いわけられることが、彼にとっては豊かさを感じる大切な指標らしくて、ワイングラスだけでも何種類もあるのだった。アイスクリームを食べるのにコーヒースプーンを使ったくらいじゃなにもいわないけど、さすがに主食の汁椀を湯のみで代用するのには、彼の繊細な神経にさわるのか。

「おれのセンスって趣味じゃねえ?」

 彼は自信のなさそうにいう。

「はっきりいっていいよ――って、やっぱ聞きたくねえかも」

「趣味じゃなくないよ。イタリアのへんな絵皿で麺食べるとうまい」

「へんって」うわ目づかいで見ていた彼はやっとちょっと笑った。「気に入ってる?」

「気に入ってる」

「じゃあなんで使わんのだろ」

「なんとなくだよ、むかしの習慣が出ただけ」

「…………」

 緑はトマトジュースをくいっと飲んだ。グラスの筒が赤く半楕円形に色づく。

「そんな小さなことって思う?」と、彼。

「思う」

「だってこわいんだよ――はじめて入ったひとり暮らしの楯の部屋ってなんにもなくてさ、ほんとにここに二年も住んでんのかよって。必要最低限のものだけふろしきに包んでもち歩いてる旅の雲水みたいな……いつでもここを立ち去る準備はできてるって感じで」

「ふろしきの中には湯のみが」

「そしてじっさい、おまえはいちど失踪してくれちゃってるんだからな。心配しすぎなんかじゃなかった」

「わかった、わかった」

「おれあの湯のみに嫉妬してるな。さっき、森の奥に埋めにいく自分が一瞬見えた」

「埋めないで」

「頭冷やしてきます」

 緑は笑ってジュースを飲みほし、風呂場にシャワーを浴びにいった。

 そこからまた、彼が立てる水の音や泡の音や、厚いバスタオルでほふほふと体を拭く音、引きあげられるショーツが肌をすべる音を聞いた。胸の中には愛しさが、痛みを感じるほど強まったり、潮がひくようにしずまったりと動きつづけていた。

 目をとじて、ふたたびひらいたとき、そこに立っていたのは麦わら帽子に首タオルの緑だった。

「ようタティン、涼しそうな顔して」

 ポケットから取りだしたワルクマンヒューマンをこちらに向け、彼は写真を撮る。

「…………」

「寝てるの?」彼は近よってきて顔の前で手を振る。「ついに目をあけたままねんねんか」

「緑、おまえいま、シャワー……」

「ん?」

「シャワー浴びてなかった?」

「いまって。おれずっと外にいたべや」彼はおどけて、未来北海道の人たちそっくりのいいかたをした。

 キッチンに向かう彼を目で追う。冷蔵庫をあけてブルーベリージュースをとりだし、ソーダで割ってその場で立ったまま飲む。グラスを流しにさげ、そこにあった湯のみもいっしょに洗って食器棚におさめる。

 ふたたび居間に来た彼が、思いついたようにいう。「あとで、もうすこし涼しくなったら農協に買い出しにいこう」

「流しに湯のみなかった? わかめついたの」

「あったけど」彼は、それがなにかというように。

「俺それでみそ汁飲んだ」

「なにその申告? よくやってんだろひとりのとき」

「いやじゃない?」

「いやっていうか、さびしかった。未来東京にいたころは」

 彼は目の前に座って、あごのしたで結んでいる帽子のひもをちりちりともてあそびつついう。

「おれそのたびに文句いってたでしょ。でもおまえの介護してたときにしみじみわかったよ、この人を否定したところになにもないんだって。だからなるべく小言はよそうと……」

 そこで彼ははっとした表情になる。

「ていうか、おれがいやがるってわかっててあえてやってんの? なら話はちがう」

「まさか」

「ポイントがなー、貯まるぞー、むかつきポイントが貯まるぞ」

「貯まったらどうなる」

「満額になったその場で巨大化して必殺技を使うかもしれん。ちょっとけがをさせるかもしれん」

「こわいね」

「いい子でいな」と、決め顔に決めボイスでいい、緑はシャワーを浴びにいった。

 首のうしろに手をやると、すこしひらいている感じがしたので撫でおろす。

 デジャヴと呼ばれるもののようだったけど、ちがう気もする。

 もしかしたら、いちどめの会話は、いつかどこかで彼と交わしたことがあるものなのかもしれなかった。「そんな小さなことって思う?」と、細かい苦情をいう彼の表情やたたずまいには、見つめていると、泡のようにくすぐったくこみあげるものがあった。そんなことが気になるの緑、おかしいね緑、大丈夫なのに、愛されているのに。ほんとはわかっているんでしょう? くねくねと訴える彼に調子をあわせられなくて、なんだか笑いたくなってしまうのだった。

 そしてふたたび彼の立てる物音と居間からキッチンへ抜ける風、風鈴の音、ソファーに浅く沈んで寝がえりをうつ感覚。腕を枕にすると脈が伝わってくる。そして、このあと農協へ行くのだということを思い出し、心身がしだいに緑を待つものに変わっていくのを感じていた。


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*本作は『幸せになりやがれ』(講談社)の続篇のひとつ「君と帰る、マーキュリータクシーで」あたりの時期のお話です。

この前後のエピソード「猫舌クッキ割れて三月」「あの鳥、口にジュース入ってるみたいな歌いかただ/それはおまえだろう」「ふたりは揺られ宙」「24時間のすずめたち」「ユーアーマイあやうラッキーグリーン」「ワイルドファンシー・オブ・マロンラテ」などをお楽しみあれ♡ シリーズ作品はこれ以外にもたくさんありますので、ぜひお読みください →こちら 短いものはだいたいnoteの「ひとくち小説集」内にあります。



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