愛∞ランドにて鮭喰い熊を得る事

愛∞ランドにて鮭喰い熊を得る事



 海の日に緑がキャンピングカーを借りた。

 事務所の窓から、道をゆきかう車の中にキャンピングカーやしゃれたトレーラーを見かけない日はなく、たまらなくなっていたそうな。人びとが楽しんでいることを自分も体験したいと欲望する傾向が、緑にはあって、「夏。キャンピングカーデート」は彼の「恋人とやってみたいことリスト」に早ばやとつけくわえられていた。

 その日は早朝に家を出て、未来帯広のレンタカーオフィスで予約していた車を借り、未来知床の「愛∞(あいむげんだい)温泉」へ向かった。夜は駐車場で車中泊する。未来北海道の温泉宿の中には、温泉の利用客には車中泊させてくれるサービスをしているところがあって、レンタカーオフィスが愛∞温泉の駐車場にスペースを予約してくれた。

「きょうは目的地が決まってるけど、あてもなく気ままな旅ってのもしてみたい」と、緑。

「キャンピングカーでひと夏暮らしてみたい」

「だれもがいちどはあこがれる。なんとなく中古市場を調べてしまったけど、このタイプえれえ人気。よさそうなのは店頭に出るまえに売約済みになる」

 今回借りたのは室内だけで四メートル近い長さで、キッチントイレシャワーつきでそこそこ居住空間もある。そして運転席上部のバンクベッドでもなければソファーを展開するタイプでもない、常設ダブルベッドの寝室をもつ。キャンピングカーカタログの、夢の詰まったインテリアにため息をつきながらページを繰るうち、価格帯はどんどんあがって高級ホテルのような内装の車も登場しはじめた。彼はあこがれのあまりうなり声をあげて身もだえしていたけど、正気にもどって予算内の車を選んだ。決め手になったのがこのベッドルームだった。

「ダブルベッドをつねにもち運んでいるという状況に興奮する」緑は低くささやき、左手を伸ばして太ももに触れてくる。「いやらしくないか……この旅いやらしくないか」

「しれっと寝床をもち運ぶ、しれっとこ、知床」

「うわっ楯ギャグ」

「未来津別町に入りました。ルート変更ございませんか?」

 人工知能「シルヴィー」の、つややかなアルトの声がした。そんなはずはないんだけど、緑とのやりとりに笑っているように聞こえた。

「あ、津別峠に行ってみたいんだ」と、緑。シルヴィーは町役場手前で折れるようナビゲートし、車は山あいの道をすすむ。緑野をゆく平たんな一本道が山に向かってしだいに傾斜をつけ、隘路が曲がりくねり始めると、緑は脳におかしなホルモンが出るのか「ひょおおおお」「いいいいい」など低く声を発しながらカーブを切った。バイクのときはそうでもなかったんだけど、大きな車を動かすといつもとちがう人格が出てくるのだろうか。

 駐車場にシルヴィーを停め、ねぎらいのキスを交わした。シーズンだというのに観光客はすくなくて、周囲では家族づれとカップルっぽいのがちらほらいるだけだった。展望台までのぼって屈斜路湖を見おろす。ホットケーキのたねを落としたようなぺったりとした小島を浮かべた湖には、青のグラデーションが気ままにひろがって輝き、濃緑の森の腕がそんな湖をゆったりと抱きかかえているのだった。

「この森や湖の中のすべてが愛しあっていると思うと、胸がいっぱいになる」

 売店で買ったクリームパンをかじりながら緑はいう。

「ここは幸福すぎてもう手におえん場所だ」

「手におえないってうれしいな」

「楯」

 呼ばれてふり向くと、ワルクマンヒューマンで写真を撮られる。

「緑も撮ってやろう」

「え、おれはいいよ」

「なんでいつもそういうの」

「だって……べつに……ねえ」

 彼の手からワルクマンを取り、ビューをのぞく。手はもじもじと前で組み、その顔はぎこちない笑みを浮かべている。

「硬いなー」

「どんな顔すりゃいいの」

「いつもみたいににやけて」

「いつも?」

 と、ちょっと目をみはったところを一枚とる。「も?」の形にひらいた口。この写真をいつか見たとき、このときの会話まで思い出しそうだ。

「記念撮影しよう」と、緑はいい、展望台を背にふたりならんで立ち、正面数メートル先にワルクマンの視点を設定して写真を撮った。

 峠を降りたあとは国道に出て、未来弟子屈町を通って未来小清水町へあがり、そこから知床国道に入って未来斜里を海岸沿いに走った。とちゅうで休憩したりスーパーで食材の買い出しをしながら走り、藍色の空に包まれた愛∞温泉「ホテルさいはて」に出迎えられた。

 宿は繁盛していて、駐車場は予約しなければ入れなかったかもしれない。日帰り客が帰ったあとも宿泊客と車中泊の車で埋まっていた。緑と温泉につかり、売店で彼の買いものにつきあう。ジャムや酒を見ていたら「楯こっち」と呼ばれた。

 彼は木彫り熊の前にいて、「いい顔と思わん?」といった。

 鼻づらはしっかりと長く、なにを考えているかわからない、自然の叡智のような小さな目をもつ熊だった。体形はどっしりとしていながら機敏さも伝わってくる。口には大きく身をそらした鮭をくわえている。うろこはひとつひとつ深くきざまれて輝いている。全体がこげ茶色に着色されており、熊の顔と肩や背の盛りあがったところと、鮭の腹だけがもとの木の色に近い。

「いいね」

「地元の工芸家が一体ずつ手彫りしてる、と」

「みど君ほしいの」

「やっぱこれ玄関におくべきじゃねえ? 未来知床は熊の本場だし、買うならここだろ」

「熊の本場?」

「っていいかたはへんかしら」

「どのサイズ」

「玄関ならこれかな」と、彼が指したのは、ここにある中ではいちばん大きい、熊部分だけで普通サイズの猫くらいありそうな――それに台座がついたものだった。これ以上大きいものは特注とある。

「これがあそこに……けっこう存在感あるなー」うちの玄関を思い起こしながらいう。

「大きすぎたら事務所においてもいい」

「まあいいんじゃない」

「すみません」と、店員を呼ぶ彼のズボンのポケットからワルクマンヒューマンを取り出し、未来北海道に渡って九か月、ついに鮭をくわえた熊の木彫りを購入する相棒のすがたを動画に収めた。

「こんやは熊といっしょに眠れるよ」と、うれしそうに梱包を待つ彼。

 温泉の玄関を一歩出ると、満天の星空にため息をついたきり、ふたりとも言葉をなくしてしまう。空を見あげながら歩いていて、指先が熱くなったと思ったら緑が手を引いてくれていた。彼のもう片方の腕には熊の入った箱が抱えられている。駐車場のすみのシルヴィーまでもどる。

 車中泊をする車たちの窓からは明かりがもれて、コガネムシや蛾がとまっている。しずかに音楽やラジオを流している車もあった。天体望遠鏡を立てて眺めている人びとのまわりでは、むかしながらの蚊とり線香の匂いがした。

「季節も標高もぜんぜんちがうけど、身宝山を思い出す」口をついてそんな想いがこぼれた。

 緑ははじけるようにふり向いて、「おっおれもいま思ってた」

「星が綺麗なところに行くと思い出すんだ」

「おれもだよ、流れ星を見たときとか」という彼の声が、うれしさにうわずっているのを、暗がりの中で聞いた。

 彼の胸の高鳴りが感染してきて、この胸の中にも甘い気持ちがひろがる。以前にはあまり感じたことのないもので、それは、鈍感だったのか、感じないように自分でせきとめていたのだろうか。

 周囲の木々は夜空にもりもりと黒く伸び、水の音がしょろしょろと闇の中から聞こえつづけていた。シルヴィーに入ると暖色系の照明が出迎える。緑は小さなキッチンで米を炊き、夏の野菜がごろごろと入った、まぶしいようなカレーをこしらえた。キャンプといえばカレーなのだと。

 食べ終えるころには周囲の車は寝しずまっていた。緑がさらさらと服を脱いでハンガーにつるす音を、頭上に浮かべたモニターを眺めながら聞く。

「なに見てる」

 彼がとなりに体をすべりこませてきた。モニターをいっしょに見あげる。

「天気予報見てた。明日も晴れそう――」と、オフにしかけた画面のすみに通知があらわれた。時どき見ている漫画サイトに更新があったという通知だ。

「なんだろ」表示させてみると――そこには待望の文字が。「住吉休之助来た! 新連載」

「住吉休之助?」

 緑はもぞもぞと身じろぎして、頭に頭を寄せてくる。家のものより枕がやわらかい。

「二十四軒さんのもと恋人って人か」

「そうそう」

「世間は狭えなあ」

「この人ってステーション界隈のことわかってるんじゃないかなって思うことがある。作品読んでると」

「どういうところが?」

 新連載のページを繰りながらいう。「人がさ、思考が変わると外見もそれに応じたものに変貌するって世界が舞台になったことがあって。自分の想いが変わって、変化した体をしみじみ見つめる場面とか、反対に、先に外見の変化に気づいて自分の心変わりに思いいたるとか、リアルだなあと」

「それをリアルだと思える楯がすげえ」

「漫画の中では人物のルックスがひんぱんに激変するから、だれがだれだかわかるように目の中に記号が描いてある。顔がアップになって目の記号が判読できて、それで、これがあいつなのかってわかったり」

「そこ知ってるかも。ちょっと読んだことあるわ。住吉氏って知らぬまに、夢だと思ってステーションに出入りしてるタイプか」

「かもね」

「そういえば――楯って夢は見んの?」

「見ない。見てないと思う」

「えッ見ねえの」

「ステーションに行くか、なにも覚えてないほど熟睡して真っ暗」

「へえええ」視野の端に、まじまじとこちらを見つめる彼の顔が見える。「つきあい長いけどはじめて聞いた」

「はじめて訊かれた」

 くすくす笑いあい、ページをスクロールし、ふたりで漫画を見あげる。

 モニターいっぱいに主人公の麗しい全身が映り、緑が息をのむ音が聞こえた。

 彼はため息とともにいう。「綺麗な絵だな」

「この人の絵の綺麗さって、たんにじょうずだとか端整っていうのともちがって……ほら、けっこう荒っぽい線もある。なのになんだか人物が、みんなしぜんに半透明に見える。カラーの大きな絵なんて、皮膚のうえをたくさんの色が踊ってて……。残酷だったりしたたかだったりもするけど、基本てきに人ははかなくて美しいものだっていう人間観があると思う」

「全員、半分神さまか天使みたいだ」

「そう、崇高なものを見てる気がしてくる。それも、クライマックスの見せ場だけがキラキラしてるんじゃなくて、ふつうの場面もそう。授業中とか飯食ってるとか。光り輝いてて半分天使みたいな存在たちが、恋したりまちがったり嘆いたり争ったりする」

 彼は感心したようにふーんと鼻を鳴らし、「そんなにこの人の漫画がすきとは知らなかった」

「デビュー作から全部読んでるよ」

「おれも読んでみよう」

「次回につづく」胸いっぱいでモニターを消す。となりを見ると、住吉漫画の中の人さながら、目を輝かせた緑がこっちを見ていた。

「あ、漫画、つきあってくれてどうも」

「楯がめずらしく熱心に語るから、とちゅうでやめてともいえず。おれも読みたくなってしまった」

「もうこんやは緑だけを見よう」

「おれを見て」

 彼は本の表紙のように体のうえの毛布をめくる。左右の腰骨のしたに浅いハンモックを渡したような、小さな小さな瑠璃色のショーツからは、るんるんと勃起したちんちんが飛びだしている状態だった。

 思わず口をついて出る、「なにこれ」

「こういうおれも見てほしい」

「みど君のショーツはいつもたいそうファッショナブルだけど……俺は下着というのは、だいじなところをきちんとカバーしてくれるからこそ下着なんだと思っていた」

 彼の腹には硬貨大の水たまり。それはるんるんが切なくこぼしつづけたものであった。

「ずっとこうだった?」

「漫画見ながら……」

「なにもいわないから気づかなかったよ」

「近接宇宙じゃヒステリーを起こしてるおれがいるかも。なんでふたりの旅行に、ベッドに、漫画もちこむの? おれより住吉休之助がいいの? って」

「目に浮かぶ」

「きょうはなんだか満ちたりて怒る気にならん」

 きょうの夜空のようなラピスラズリのショーツに指をかける。彼もこちらに手を伸ばして、おたがいを裸にした。

「長いような短いようなふしぎな日」体のうえに覆いかぶさり、真上から見つめて彼がいう。

「楽しかった」

「過去形?」

「楽しい」

「これが夢を見ない目か」彼が目をのぞきこんでくる。「おれはおまえの夢をよく見るよ」

「どんな夢」

「やっぱりこんなことしている」

「現実でも夢でも俺を抱く? 欲ばりめ」

 彼に愛される。体が応えるに任せる。彼は中に入りきると、感覚に集中するように動きをとめて深くため息をついた。うれしそうなのに悲しそうでもあり、気持ちよさそうなのに苦しそうでもあり、満たされながらどこかが削られつつあるような、彼こそが住吉休之助の描く人物のように、肌のうえに複雑な精彩を宿す人間だった。彼と愛しあうことは、経験の小さな剣をたずさえて謎の中をゆく旅のようで、スリリングでとても楽しい。

 旅の連れである彼への愛おしさがこみあげて微笑むと、彼も微笑みかえして優しい動きを始める。きょうはめずらしく、彼の腕の中で何度か声をあげてしまった。

 重なりあってまどろんでいると、緑がふいにいう。

「楯が熊でおれが鮭」

 その視線の先、ベッドサイドには鮭くわえ熊の木彫りが。

「おれを欲ばりっていうけど、おれを振りまわしてるのは楯。そりゃもうぶんぶんと傍若無人に」

「そうかなー」

「おれは食われながら、はらわたはみ出させて卵飛び散らせながらもおまえがすきで離れられない」

「痛いたしい想像しちゃって」

「それがうれしいんだから、すきにさせて」

 自称鮭は熊を抱きしめる。天井の明かりを消すと、外は空が明るみ始めていた。



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*表紙のキャンピングカー内装は、「キャンピングカー オールアルバム 2011-12」を参考にさせていただきました。

*本作は『幸せになりやがれ』(講談社)の続篇のひとつ「五時四十ッピングからす鳴いティング」あたりの時期のお話です。

この前後のエピソード「君と帰る、マーキュリータクシーで」「猫舌クッキ割れて三月」「あの鳥、口にジュース入ってるみたいな歌いかただ/それはおまえだろう」「ふたりは揺られ宙」「24時間のすずめたち」「ユーアーマイあやうラッキーグリーン」「ワイルドファンシー・オブ・マロンラテ」などをお楽しみあれ♡ シリーズ作品はこれ以外にもたくさんありますので、ぜひお読みください →こちら 短いものはだいたいnoteの「ひとくち小説」内にあります。



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雪舟えま!

ひとくち小説集

甘くめでたい短篇・ショートショートです。

コメント2件

休之助きたっ!
休ちゃんの名前が最近ちらついていて…こういうことだったようです!
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