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【俳句幼稚園企画】忘れられないあの人~みちのくの夕暮れ早し秋の蝶~

夫の転勤で1年だけ宮城県仙台市に住んだことがある。
東京から遠く離れて暮らすのはその時が初めてだった。

結婚三年目、27歳、子どもなし。
正社員で働き続けたかったが、会社のオジサマ達の善意の説得に逆らいきれず退職する流れになった。
今ならモラハラ・パワハラなんだろうけれど、平成初期の話なので。

仙台駅からバスで30分、カーブの多い山道を登りきった不便な住宅街にあるハイツ(アパート?)。3ヶ月前に引っ越していた夫を追って新築の部屋に移り住んだのが、9月の上旬。
アルバイトをすると失業保険がもらえないからと、ぶらぶらしていた。
ペーパードライバー教習を受けたものの、凍って滑る山道を運転する勇気はなくて、車の運転は諦めた。
初めての土地。
所属する組織がない。
ひとりを感じた。
SNSどころか携帯電話もEメールもない時代。この状況で誰かと繋がるのは難しい。
「私と友達になっていただけませんか?」
街でいきなり声をかけるなんて、無理無理無理~~!!
そのまま風が冷たくなってきた10月には、
朝から夕方までテレビの前に座ってぼーっと暮らすのが日常になった。
時々、東京の実家に帰っていたけれど普段は誰とも連絡を取らない、というより取れない。億劫だし自信がない。傷つくのがこわかった。

ちょっとまずいかな・・・
たまたま見かけたカルチャーセンターに通うことにした。
珍しいことに、そのセンターのシステムは今で言うところのサブスクだった。月額数千円で料理も着付けも編み物も習える。
「仙台には転勤族の妻が多いから。」
とカルチャーセンターの人が言った。
「お友達、できますよ、きっと。」

そこの料理教室で出会ったのが、
私の忘れられない人、みえこさん

愛知県の出身で、結婚して間もなかった。
きちんとしていて、控えめな性格に見えた。
物腰は柔らかいけれど芯のある人だと感じた。
仙台には知り合いがいない、年齢も近い、
真っ当すぎて面白みのない共通項を理由に
私達はよく話すようになった。

料理教室のレシピは上品だ。
鮭の幽庵焼き、春菊の中華風サラダ、サバの味噌煮だって、実母の”パパっと料理”とは違って手が込んでいる。
私が大さじ小さじで計るようになったのはこの時以来。
母の料理は好きだったし、いつの間にか全部引き継いだが、全てが目分量。
「鍋はだに醤油一回し半」という教え方だったから。
お料理教室はいろんな意味で新鮮だった。
以来一度も習いに行ったことはないけれど。

ある日、みえこさんの家にお邪魔した。
「すごいねえ、きれいなお部屋!」
「主人がきれい好きだから。」
全然喜んでいない。
私より年下の彼女は感情を抑えるタイプ。
その時も少し達観したようなかすかな笑みを見せて、CDを1枚取り出した。
「主人、新しいCDを開けるとき、フィルムにカッターで筋をつけて取り出すんです。」
一辺だけ開封したフィルムにまたケースごと戻すのだと言う。
ガサツな私は目がテンになる。
「いやぁ、それまた神経質だね。」
思ったことが口に出てしまうのが私の愛嬌。(にしておいて。)
その日、ほかに何を話したか覚えていない。

間もなくして、みえこさんが入院した。
急性のA型肝炎らしい。生モノを食べたのが原因とのことで深刻な状態ではなかった。
すぐにお見舞いに行った。
いつものみえこさんのアルカイックスマイル。わりと元気そうで安心した。
「熱が下がりきらないから、まだお風呂に入れないんですよね。
体は看護師さんが拭いてくれるけれど、髪が洗えなくて。」
「そうだよね、髪は気になるよね。ドライシャンプーって知ってる?」
「ええ、でも…病院の売店に置いてないから。」
「ご主人に頼めば?」
「主人、一回もお見舞いにきてくれないんです。」

えーーーっつ(◎_◎;)!何それ??!!

私は憤慨した。興奮した。
みえこさん以上に文句を言っていたと思う。
その足で近くのドラッグストアに行って
ドライシャンプーを買って届けた。
(私の記憶ではそう。翌日だったかもしれないけれど。)
ドライシャンプーを受け取って
みえこさんは、うっすら涙を浮かべた。
私ももらい泣きした。

こうして友達もできて、仙台暮らしに加速度的に慣れた。
冬は夫の仕事仲間が蔵王にスキーに連れて行ってくれた。
調子出てきたぞ~(^O^)

春がきて、あっけなく辞令が出た。
一年間で夫は元の職場に戻ることになった。
(もともと1~2年の予定で大学の研究所に行ったので。)
たった9か月間の私の仙台の暮らし。
ますます正社員をやめたのが惜しくなる。
いや、その話に固執しすぎ。

せっかく仲良くなったみえこさん。
頼りない私を姉のように慕ってくれた。
最後に会った時に、離婚を考えていると教えてくれた。
アルカイックスマイルに強い意志が見える。
うん、応援しているね。

私が横浜の山の中のオンボロ社宅に引っ越して2年が過ぎた頃だったろうか。
写真つきのハガキがポストに届いた。

朱色の艶やかな打掛姿のみえこさんが
歯を見せて笑っている写真だった。
胸が熱くなった。
今度こそすてきな人と巡り会ったんだね!
心からおめでとう!

仙台を離れてから、みえこさんには会っていない。
何年か年賀状のやり取りが続いたが、いつしか途絶えてしまった。
今でも時々打掛姿のみえこさんを思い出す。
幸せでいてくれたら、それでいい。
心細かった転勤妻の2人。
その時、一番必要だった人に会えたことが
奇跡のように思える。

みちのくの夕暮れ早し秋の蝶

それぞれの道がその一点でクロスする。
また離れていく。
生きることはその繰り返しなのだと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらの企画に参加させていただきました。
ラベンダーさん、いつもありがとうございます!
応募は明日までですよ!






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