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戦車の落日、今度こそ20世紀の終焉

2022/06/01 Newleader

クルスク大戦車戦

 スターリングラード攻防戦で大敗北を喫した直後の1943年になってもまだ、ドイツ軍の勢力は十分に大きく、その年の夏期攻勢の選択権を握っていました。そこでヒトラーが選んだのがクルスク。いま現在、ロシアとウクライナ両軍が激しく衝突しているハリコフの北に接する地域です。

 スターリングラード戦後、攻勢をかけてきたソ連軍をドイツ軍がハリコフで押し返し、その北部に出来た突出部で大軍を包囲しようと狙った作戦です。しかし、ドイツ軍の攻撃は受け止められ挫折、強烈な反撃を食らい、壊滅的な損害を被りました。

 双方あわせて約6000台の戦車が戦闘に参加し、史上最大の戦車戦と呼ばれています。この戦いの後、戦力のバランスは完全にソ連側に傾き、ベルリン陥落までほぼ一直線に進んでいきます。西側の歴史記述では米英がナチスドイツを打倒したかのように語られていますが、戦史を見る限り、ソ連の戦車軍団こそがその主役で、クルスク戦は文字通り世界史の転換点となる戦いでした。

 そしてこの戦車戦の勝利は、その後のソ連の軍事的優位そのものを象徴することになりました。「戦車の洪水」は、第2次世界大戦後、西側を威圧し続け、冷戦期を通じてこれを押しとどめるものは米軍の核兵器しかありませんでした。

 そのソ連軍の後継者であるロシア戦車軍団が、かつてクルスク戦後、ドイツ軍を追撃しながら駆け抜け、大戦の勝利を決定的にした「栄光の」ウクライナの平原で、いま壊滅的な敗北を被っています。

 2月24日にロシア軍は「電撃的に」ウクライナ侵攻を始めましたが、TVニュースの映像で、もはやおなじみになっているように、戦車、装甲車両が次々と破壊され、路傍に残骸を晒す体たらく。首都キエフ攻略は早々に断念し、東部と南東部に攻撃を集中しましたが、損害は増すばかりで、軍事的敗北すら視野に入ってきています。

 ご存じのように、その多くが、西側から供与された携帯型対戦車ミサイルや攻撃用ドローンにより破壊されたものです。

 そもそも戦車は、1916年、第1次世界大戦の西部戦線で登場しました。それまでヨーロッパ列強の主戦力であった歩兵が、塹壕、鉄条網、機関銃の3点セットに、全く歯が立たず、膨大な犠牲を繰り返しながらも戦線は長期にわたり膠着。損害にも長期化にも耐えきれなくなった英軍が、事態を打開するために無限軌道付きの装甲車両に砲、機関銃を装備して塹壕戦突破を目指したものでした。

 戦場で有効性を認められ、第2次世界大戦でさらに発展。戦車に対抗するには、おなじく戦車か、よほどの重火砲が必要でした。それ故、集中運用すれば、文字通り戦場の神として振る舞うことが出来る存在として、いまもなお主要国の陸上戦力の主体であり続けています。また、ソ連崩壊後、経済的にいったん破綻したにも関わらずロシアを軍事大国たらしめているのも、核兵器の存在と共にこの戦車のストックゆえでした。

 精密誘導兵器は、その戦車の優位性を全く無効化してしまいました。歩兵の携帯兵器と無人軽飛行機の攻撃で、いとも簡単に装甲が打ち破られ、反対に攻撃側に対して何の打撃も脅威も与えることが出来ないのです。しかも、双方の単価、被害に晒される人命の数。全く比較の対象になりません。戦車はもはや敗因と言って良いくらいです。

戦車の世紀の意味

 戦車は飛行機とならび、20世紀に登場し、この戦争と破壊の世紀を特徴付けた工業製品でした。19世紀の戦争が、ナポレオンの国民軍の大量動員やプロイセン=ドイツの参謀本部による戦争計画の洗練など、軍隊の運用技術で彩られたものであるのに対し、20世紀の戦争は兵器の大量生産が象徴しています。特に戦車がその代表的存在です。

 いつの時代も、戦争は社会体制、国家体制の反映となります。フランス大革命の衝撃の中で始まった19世紀の戦争は国民国家というあり方を前提とした大量動員の競争となりました。

 第1次世界大戦後のいくつかの帝国の破滅と世界恐慌による混乱の中、20世紀は、共産主義、国家社会主義、ニューディール体制といった、国家と統制、はっきり言って全体主義のテイストが前面に出た社会体制間の戦争の時代となりました。

 工業国の全体主義ほど、戦車の大量生産に適した体制はありません。攻防力、機動力、生産性といった主要な要素だけに焦点を当てた合理的で基準化された単一のタイプの設計、つまりトップダウン型の設計を、一国の生産力、工業的要素をこれも徹底的に集約して、集中生産する。第2次世界大戦で戦車大国として覇権を争ったのが、ソ連、ドイツ、アメリカだったのも正に体制のなせる技と言ったところです。

 ソ連のT34は約8万4000両、アメリカのM4「シャーマン」も約5万両という大量生産が実現しました。特に、ソ連の場合、対独開戦と同時に国内に電撃戦をかけられ、従来の工業地帯にある工場を遠くウラル山脈の東に疎開させながらの数字です。スターリンはT34の生産に賭けることで勝利を引き寄せたと言っても過言ではありませんでした。

 現代のロシア軍の戦車の設計思想は、正にT34の子孫と言って良いもの。その戦車軍団が無残な敗北を喫していることの歴史的意味は何でしょうか。精密誘導兵器、それも小型携帯用のものは、電子技術の塊です。センサー、プログラム、論理回路用デバイス、いわゆるハイテク先進国でしか開発製造することは出来ません。しかし、かさばらないのでウクライナのように援助を受ければ、すぐさま大量に導入でき、誰にでも取り扱えるので容易に戦車軍団を壊滅できます。

 重工業、機械工業をフル回転させる戦車の大量生産に国力を振り向けた20世紀型の国家体制ではなく、民生品も含めた電子・IT技術の保持、もしくはそのハイテク国から兵器の融通を受けることの出来る国際関係、同盟関係重視の政治体制が、今日の戦争の決定要因となっていると言うことです。

 20世紀がカレンダーの上では過去のものとなって久しいですが、国家や軍事の表面的なたたずまいは、表面的には大きく変わっては見えませんでした。しかし、今回のウクライナ戦争で国家体制の意味合いは大きく変質します。国力ではなく、技術力と外交力の優位です。それを何の世紀と呼ぶべきなのか、まだ判然とはしませんが。

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