横浜福富町 黒服時代

私が高校生で、近所のパチンコ屋に出入りしていると、パチ屋の部長が「系列の韓国クラブで黒服のアルバイトをやらないか」と私は二つ返事で「いいですよ」と

勤務時間4時から12時までで1日7000円でした。店には生バンドが入っておりホステスさんが40人、日本人と韓国人が半々くらいでした。

バブル期で通りは夜になるとまるで歩行者天国の様に人であふれかえっていました。高校に行きながら半年経つと店のスタッフ、ホステスさんとも仲良くなりました。

毎月第三日曜日が店のミーティングと給料日、夕食はカレーでPOLA化粧品の伯母さんがホステスに頼まれた化粧品を車に積んで持って来ます。

韓国人の社長が1人づつ名前を呼び、封筒に入れた給料を渡します。売上の良いホステスさんNO5を5位から発表します。4位と5位のホステスは仲が悪く下位になったホステスはいつも泣いていました。

NO1のホステスの茶封筒は立てて立つ位の給料でした。金額にして300万以上だったと思います。

続く

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