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私の鍼灸師としての歩み。

まなって、ちょっと変わってると言われる事があるのです。え?何が?と聞くと、「普通治療院建てようってならないでしょ」と。

え?治療院ぐらい建てるやん?てか、家でやってる人おるやん?え?・・・そうか・・・治療院のみ建設ってあんまおらんかったわ・・・。

という事で、開業5年目(2020年6月現在)の私の鍼灸師としての歩みついて今回は書いていきたいと思います。参考になれば。(なるんかな)

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鍼灸学生時代

実は26歳で結婚、27歳の半年後には離婚していた私。うつが抜けた事もあってお金も、時間も自由になる!と、昔から気にはなっていた身体のケアをする仕事に就きたいと思いました。

よくわかっていなかったので、整体も手を出そうとしたのですが、握力16という弱すぎる力と、それなりにお金がかかる事から

「どうせならちゃんとした国家資格の鍼灸師の資格とろう!鍼灸で私うつ治ったし、なんで良くなったのか知りたいし!」

という勢いで鍼灸専門学校に入る事にしました。

1年生の夏休み。私の母校、三重県四日市市にあるユマニテク医療福祉大学校では、前期後期にテストがあります。
「こんなはずじゃなかった ・・・」
もう、想像していたよりもずっと、勉強は大変でした。
東洋医学だけではなく、西洋医学や運動、英語、、、。
元々勉強する方ではなかったので、最初は勉強の仕方が分からなくて苦労しました。
最初の頃は15時間とか勉強してました。だって、3年間覚えてられる自信なかったんだもん。

その甲斐あって、テストは常に90点以上は取ってたし2年生になってからは
「あ、この総論に書いてある事は生理学のこれだ」
と、関連付て覚えてるようになり、年々勉強が楽しくなりました。

学校は首席にて卒業。騒がしい動物園のようなクラスと言われていたのが、卒業時には団結して国試合格率100%になったのは今でも自慢です。

専門学校では、今まで関わった事のない人種の方もいて、最初は私も「こんな事するなんてありえない!」とよく言ってましたが、卒業する頃にはなんだか色々とその自分との価値観の違いを楽しめるようになりました。
けど、同期たちから見ると「怖いおねえさん」なのかもしれません🤣

クリニック鍼灸師時代

専門学校にも就職先は沢山来ていました。その中で私が選んだのは、町のクリニックでした。
鍼灸に理解のある内科の理事長と外科の旦那さん。
ご自身たちが病気になろうとも、忙しく飛び回る先生達の事は今も尊敬しています。
理学療法室に配属された私は、すぐに鍼灸をする事ができました。

「女に鍼が打てるんか」と患者さんに言われた事や、
突然元々いる先生がご病気になられて鍼灸師が1人になり、1日100人ぐらいに鍼を打つ事になった事、
会社組織の中でのジレンマ。

しばらく経つと、「もっと1人1人の患者さんに向き合いたい!」という気持ちが出てきました。
そうして、3年勤めるつもりだった病院を一年半で退職しました。

開業鍼灸師1年目(2015年)開業

当初、補助金を受ける予定だったのですが最終プレゼンで落選し、当初の場所を諦めた事を友人に何気なく話したところ、”うちの事務所の一部使ってないから使う?”と言っていただきました。

お言葉に甘えて場所を間借りし、閉院する先生から机や棚を貰い、開院したのが前の四日市市曙の治療院でした。

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友人はKEiROW四日市あけぼのステーションという訪問マッサージのフランチャイズに加入していました。

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ベット1台のみの治療院で、場所も入り組んでいるため初診の方はたどり着けない事が多くありました。近所の郵便局までは来てるんだけれど…ということでよく走ってお迎えに行きました。開業当時は、沢山の方に利用していただければというざっくりとした所から初めていたので、婦人科疾患と美容鍼と疼痛疾患をメインにHPを作成していました。

当初から診察時間は13:00~22:00と遅い時間で営業しているのは、病院時代に19時最終受付だと、駆け込むサラリーマンさんが受診出来ない事があったからです。働いている人の為の治療院をやりたい・・・そして、私は朝が苦手だ・・・。笑

お昼からスタイルはこのようにして確立されました。

開業鍼灸師2年目(2016年)まだ軌道に乗ってません。**

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また、知り合いの女性美容師さんと薄毛治療「美毛鍼灸」を開始。鍼灸治療で毛髪の土壌を調え、綺麗な髪を育成していく。女性の髪のポテンシャルが良くなることで人生のQOLを向上するお手伝いをしていました。この時期は自分の治療院だけでは売上が少なかったので週1鈴鹿に往診、月2回名古屋に往診をしていました。

開業鍼灸師3年目(2017年)元うつ病を公開へ**

2017年、医師であり統合医療を推進してみえる高橋徳先生の講演会に行ったところ、「私元うつだったんです」というのをたまたま乗り合わせたエレベータの中でお話した時に「そうか、じゃあ君、次回テーマがうつだからしゃべりなさい」と言っていただいて講演活動もスタート。

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同じ時期に、商工会議所の担当さんが変わった事で「メンタル疾患を持っている患者さんに振り切った方が良いし、そう決めたらHPや施術室をすべてそのようにしたらよい」とアドバイスを貰って方針を決めました。

そうした所、予約がなかなか取れない鍼灸院へ。他府県の方からも元メンタル疾患の鍼灸師として頼っていただけるお問合せが増えてきました。

インターネットラジオ・ホンマルラジオもスタート。鍼灸師ならではの医療系のコネをふんだんに使って、医師・薬剤師・柔道整復師・看護師・助産師などをお招きし、業界あるあるなどを教えてもらうコーナーをしていました。(1年間)

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また、企業の福利厚生としてエステサロン・介護福祉施設さんと契約させていただきました。

日本良導絡自律神経学会本部理事として、学術大会に関わったり友人の忍者をお招きしたり。18歳の同期を、仕事としてお招き出来たのは嬉しかったな。(司会でした)

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そして、初めての東海鍼灸師若手会へ参加。めっちゃ人見知り発揮でした。初めて見る長谷川亮先生にドギマギ。「明日はお江戸に行くんだよ」という言い方がかっこいいなぁ。私も仕事で東京に行くようになりたいな、と思うのでした。

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開業鍼灸師3年目(2018年)移転。**

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治療院間借り先のオーナーに、当初から3年したら出るという話をしていました。いつまでも頼るではなく、独立したい。3年の間に患者さんについてもらって、1人でやっていきます、と。2年目には探し始めていましたが、なかなか良い物件が見つからず・・・駐車場3台以上、広さもあって1階…。予算もある。困っていた時に、不動産の友人が言いました。

「いっそ建てちゃったらどうですか?リフォームかけたり必要だし、最後撤去するときには戻さないといけないのでお金かかりますよ。なら自分のものにした方が。」

えっ!?そんなん無理無理!!と思っていたのですが、一度銀行の融資が通るか確認しに行きましょと言われました。明日。

突如でたその案に、まあ融資が通れば乗っかればいいか~と、色々あったけれど無事融資が通る事に。(銀行さんに書類無くされたり、銀行マンの友達に相談したり、銀行を紹介してもらったり)

ついに、土地と建物を手に入れる事になるのです。

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また、移転時期と同じくしてSQ-salonの0期生に誘ってもらいました。当時は軽い気持ちで「やるやる~」というテンションでしたが、自立共創を目指すSQ-salonのワークはとても過密で、スピード感もあり移転を予定していた私としてはついていくのがやっと、という状況でした。

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2人の先生と、12人の仲間たち。各々が業界の中で花を咲かせる事が出来れば、おのずと業界も活性化する。山さんの言葉を胸に、それぞれが自分のわくわくする事を中心に鍼灸業界の中で頑張っていると思います。今でも大事な仲間たちです。

開業鍼灸師4年目(2019年)スタッフ加入と全国バタバタ**

4年目にして、ずっと避けてきた課題と向き合う時がきました。私は社会人時代にマネージャー業をやっていたのですが、人と接する事は好きなのにいつも抱え込んでしまう。だから、一人でやった方がいい。

そんな私に、こもの鍼灸院のシンヤツバサ先生は「女性鍼灸師の星になってよ」とスタッフを雇用する事を薦めてくれ、また社労士のゆみも「人と一緒にやるのって楽しいよ、サポートするよ」と薦めてくれていました。

鍼灸師の求人を出し、片田舎の三重県にも関わらず見学・応募人数は7名。ありがとうございました。その中で、ファーストインプレッションからピン!ときたみのり先生に来てもらう事になりました。

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みのり先生は鈴鹿医療科学大学卒業後、研修生も2年近くされて勤勉。(ギャルっぽいけど)言った事は素直に受け取り、一つ一つこなしてくれます。(ギャルっぽいけど)また、「自分が一番大事です」ときっぱり言う潔さも好き。私はこう見えて身近な人とうまく距離感を取る事が出来ないので、みのり先生のさっぱりしたところが大好きです。

そして、84歳の美容家、小林照子先生のアマテラスアカデミア1期生に。

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次世代の女性リーダーを育成するアマテラスアカデミア。1業種1名という中で1期生に選出いただき、全8回の講座を受講しました。また、メンバーとも色々な話をさせていただきました。

このころにはセイリンさん主催でセミナーをさせていただいたり

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中学からの親友、社労士のゆみとTune-upという組織を作って、鍼灸師向けに鍼灸雇用セミナーを主催したり

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オタク向けの同人誌を中学時代の友達に絵を描いてもらって作成したり

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鍼灸学生向けイベント「Acu×Croos」に登壇してみたり

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浜松でセミナーにお招きいただいたり

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SQ-salonの一期生の親方として指導させてもらったり

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他にも静岡大学みんなの認知症情報学会×愛知医科大学痛みセンター×まな鍼灸堂で共同研究が始まったり、刹那塾さんで講師が始まったり、産業カウンセラー受講を月2回行ったり…。

おいおいおい。振り返って改めて見たら2019年動きすぎだろ。躁鬱の躁状態って、そりゃ言われるよおい。※治療院は通常通り週5日で働いております。 それでも、そのかいあって「元うつ病鍼灸師」のポジションを取ったと感じております。

開業鍼灸師5年目(2020年)WILLを現実へ。**

2020年の目標は、SQ-salonで設定した自分のwillをどう動かしていくかでした。

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女性は自分の思うように生きてはいけないと”勝手”に思っている人が多い。それは、今までの教育から「女性は家を守るもの」という思想がなかなか外れない為ではないかと考えています。私は、好きな事をしている人からものを買いたい。好きな事をしている人のお店でご飯を食べたい。なので、女性に生き方は自分で作れると知ってもらって、毎日を楽しく安心にすごく女性を増やし、大好きな物や人に囲まれて生きていきたいと考えています。

その手段が、私の場合は武器として鍼灸・な訳で。

静岡大学・愛知医科大学さんとの共同研究も「鍼灸師」として参加をする事で、人工知能の分野に鍼灸師がどう関わっていくか、モデルケースを作っています。これは私のwillの一環です。情報学で、もっと沢山の方のQOLを上げたい。

そして新型コロナウイルスの感染拡大からの働き方改革。これについてはこちらのnoteでご覧ください。

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私のこれから…は鍼灸院で患者さんに触れながら、メンタル疾患が診れる鍼灸院を増やしていきたいと考えています。その形がオンラインサロン”ここちめいど”です。

ほそぼそやろう、ひとまず1人でも楽になってもらえたら…自分がとりあえず食っていけたら。そんな思いで始めた鍼灸院は、いつしか「メンタル疾患を無くし、女性に自分の人生を選んで欲しい」という大きな目標に変わりました。

きっと、開業当時の自分が見たらびっくりすると思いますが、今の自分の思想になれたのは今まで関わってきてくださった皆さんのおかげです。そして、一人ではもうどうにもならないステージに、来たんだなと。

これから年々、自分がどう成長していくのか、楽しみでわくわくしています。そして、無理なんてものは無いんだなと。無理だと決めるのはいつも、自分自身なのです。

私が苦手な言葉として「まなさんだから出来るんだよ」というのがあります。まなさんだからってなんだろう?私はお金もなく、親も自営ではなく、何のリソースもない所から始めました。あったのは、自分の資格と人生経験だけ。これを見ている貴方は、どうぞ、他人事と思わずにあなたのワクワクセンサーを信じてみてください。きっとあなたの望んだ未来が手に入りますよ。

そうそう、女性鍼灸師のそれぞれのライフスタイルをまとめたサイトもございます。女性鍼灸師の卵さんたちへ、届いてほしい。ぜひこちらもご覧くださいね。こちら

長文でしたが最後までお付き合いありがとうございました!

鍼灸×産業カウンセラー×心理学×人工知能。 誰かのこころを軽くする、そんな研究費に使用させていただきます!ありがとうございます。