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さくら

もう恒例になりましたね
President舞鶴さんの四月号にも、コラムを掲載していただきました。というか、すでに五月〜七月までのコラムは執筆済みand納品済みなので、逆に発刊者さんから「原稿いただいてるので、七月の発刊が済むまで終われませんね」と笑ってもらえる始末

いやはや、申し訳ない……
けれども、末長く続くといいな

今回もイラストは【こいがはま】さん
モデルは拙著短編集の三番目、その表表紙を飾った【色無墨染】という作品の【色無】さん
これも舞鶴が舞台の作品である

なんなら
筆者、矢違アキラの、半分追想的物語である
そしてついに、筆者が得られなかったものを得る物語である。思い入れの深い作品だ

……思い入れのない作品など無いが

今回のコラムは【さくら】という
ソメイヨシノが主流となっているが、筆者は八重桜が好きだ。八重桜の開花時期は、ソメイヨシノより少し遅い。他の桜が散ってから、幾重にも重なり合った花がひらく

そこに我が家と、人生の重なり
そして積み重ねを見る
咲く時期が遅いというのも、八重桜が好きなところのひとつだ。これは、小さい頃に読んだ【遅咲きのレオ】という絵本の影響が大きい

筆者は、落ちこぼれだった
でもそんなことを幼いながらに感じていた筆者に、祖父祖母、父母は「大器晩成」という言葉と共に、その絵本をくれた。同時に「才能なんてもんは、最終到達点で問われるものだ。大多数の人間は、その才能が問われる領域に行くことなく終わる。自分には才能が無いからなんて分かったような事を言って、出発もせず諦めるな」とも、幼い筆者に語って聞かせてくれた

筆者は、我ながらひねくれた人間だと思う

「こんなのが書けるなんて、才能だね」と言われれば「いままで積み重ねてきたことを才能なんて漠然とした一言で片付けないでくれ。ぼくのこと何も見ようとしてないじゃないか」って思うし、こんどは「すごい努力したんだね」って言われると「自分の好きなことをやってきただけだから、努力なんかしたことない」って思う。まことにメンドクサイ人間なのだ

が、先日
友人のひとりに「ここまで、頑張ってきたんだな……」と、積み上げまくった作品群、コラム、その他もろもろを見つめながら、そんな言葉をもらった。どうやら、ずっとずっと、欲しかった言葉らしい。すこし、泣いてしまった

まあ、なかなか上手くできず、つらい時期を送ることもあった。ぶっちゃけた話をすると、いまだって上手くできているとは思えない

が、とりあえず
完成させて、それらを他者に認めてもらえたり、使ってもらえたり、世に作品を出す、出し続けるところまでは、なんとかこぎつけた
ようやく、これからだ

そんなことを
遅咲きの八重桜を眺めながら、考えていた……

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