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【シンセサイザー/DAW(DTM)/作編曲】音楽のプロとしてお仕事を始めるまでのご活動は?【荒木陽太郎先生#1】

こちらから音声で聴くこともできます🎧



今回は、キーボード・シンセサイザー奏者、DAW・プログラマー、作・編曲家と多くの顔を持つ、荒木陽太郎先生と、サックスプレイヤーでプロデューサーの沢井原兒先生の対談の様子をお送りします。


対談では、今回より5回にわたって、荒木先生がプロになるまでの経緯や、これまでのお仕事、ご活動について、また音楽に対する考え方などをたっぷりと語っていただきます。
ぜひ最後までお楽しみください。
(以下、敬称略)

【対談者プロフィール】

荒木  陽太郎(アラキ ヨウタロウ)

キーボードプレーヤー シンセサイザー・DAW・プログラマー 作・編曲家
幼少よりピアノを始め、学生時代より吹奏楽部、器楽部の活動を通じ音楽的素養を深 める。
大学在学中よりプロの音楽活動を開始。 様々なアーティストのステージサポートメンバーを務める。 CM音楽制作、イベント・コンサートでの音楽監修、作編曲を手がける。 様々なTVの音楽番組に音楽監修、編曲者、出演者として参加。 2020年まで、音楽学校MESAR HAUSにて、アレンジテクニック、ストリングス・ブラスア レンジの講師を務める。
主な参加アーティスト&音楽プログラム
AKB48,HKT48,藤あや子,伍代夏子
CX『SMAPxSMAP』,『Music Fair』
NHK BS 『J-POP 青春の80’』
May’n Special Concert 2013 “Mic-A-Mania” @Budocan (ストリングスアレンジ) CX 『春の高校バレー大会』テーマ曲、入場行進曲。(ブラスバンドアレンジ)



沢井原兒(サワイ ゲンジ)

20代より多くのジャズバンドに参加。
アルバムのプロデュースは40枚を超える。
矢沢永吉/RCサクセション/鈴木雅之/加山雄三/今井美樹/米倉利紀/REBECCA/中村雅俊/上田正樹/シーナ&ロケッツ/吉川晃司/小林克也 他、Stage Support / Produceを行う。
インストラクターとしてはヤマハ、音楽学校メーザー・ハウスなどで40年以上。現在は株式会社MOP代表、IRMA役員。

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沢井:荒木さんとはだいぶ前から知り合いで、同じメーザー・ハウスという音楽学校で教えていましたね。


荒木:そうですね。


沢井:大体の話は知っているんですが、ちょっ知り合う前の昔の話も色々聞いてみたいなと思っています。
今までどんな活動をされてきて、どんな考え方をお持ちなのかということをお伺いしたいです。


荒木:わかりました。


沢井:荒木さんは、元々音楽系の学校に通っていらしたんですか?


荒木:いや、僕は音楽の学校に行ったことがないんですよ。
大学は普通の4年制大学で、学部はフランス文学科です。


沢井:えー!そうなんですか!


荒木:はい、当時の僕の世代ではよくあるパターンで、大学生でもバンドをやっていて、プロを目指している、みたいなことが多かったんですよね。

カシオペアの櫻井さんとかもそうですよね。
慶應義塾大学に通いながら音楽をやられていて。

そういった形で、上手いバンドは大学に通っていながら、プロになった人たちも結構いるんじゃないですかね。
早稲田大学関係の人とか。
だから私も普通の大学生で、音楽に関しては、言ってみれば独学でやってきましたね。


沢井:なるほど。小さい頃から音楽に触れてきたということはありますか?
例えば、ピアノを習っていたとか。


荒木:それはありますね!
子供の頃からピアノとかは好きで習っていました。
それも中学生くらいになったらやめるんですけどね。

そのあとは、ベースを弾いたりとか、バンド活動をしたりとか色々やっていて、大学に入っても音楽を辞められずに来てしまった、という感じです。
楽器は色々触っていました。


沢井:大学では、サークルに入っていたんですか?


荒木:そうですね。大学に入ってから最初の頃は、サークルが音楽活動のメインでしたね。
そこから、大学在学中から半仕事みたいなことを頼まれてやっているうちに、だんだんそっちが活動のメインになっていったみたいな感じです。

今では考えられない世界観かもしれないですけどね。
当時はモラトリアム的ではあったけど、「夢は諦めずに活動する」みたいなところがありましたね。


沢井:なるほど。その大学のサークルではどんな音楽をやっていたんですか?


荒木:ベーシストをやっていたんですが、どちらかというとプログレ(プログレッシブ・ロック※)のコピーバンドみたいなことをやっていましたね。

※1960年代のイギリスで誕生した、「進歩的」「革新的」という意味を持つロック・ジャンル。
ピンク・フロイド、キング・クリムゾンなどが、代表的なバンドとしてよく挙げられる。

キーボードも弾けるので、そのバンドの中で、キーボードも弾いてベースも弾くみたいな2つを掛け持ちして活動をやっていました。

今考えると、バンドが扱えるような安いキーボードがその当時なかったんですよね。
プロがすごい高いシンセサイザーを持っていて、憧れつつも結局自分が触れるのはエレクトーンみたいなそんな時代でした。
だから、バンドで電子キーボードを使うというようなことはそんなになかったですね。

ライブハウスでは、置いてあるアップライトピアノを弾くみたいな。


沢井:その当時だったら多分キーボードはエレピ(エレクトリックピアノ)ですよね?


荒木:そうですね、あってもエレピですね。ローズ・ピアノ※はあったかもしれないですけど、シンセはモノシンセ(モノフォニック・シンセサイザー)のコルグとかローランドとかに憧れて、ようやく僕も買いましたけどね。


沢井:あの当時Minimoog※とか高買ったでしょ?

※ローズ・ピアノ…1940年代に開発されたエレクトリック・ピアノ
※Minimoog…1970年代に開発された初のポータブル・シンセサイザー


荒木:全然手には届きませんね、冨田勲さんのすごいやつとかは憧れたし、Minimoogはプログレバンドの花形の感じでしたし。
それの国産で安い似たようなものが出てきたので、それならローンを組めば買えるというところが始まりですよね。
KORGのMS-20※っていうシンセサイザーがあるんですけど、それが今、実は名機だっていうことで評判になっていて、「売らなければ良かったな」と思っています。

※KORGのMS-20…1970年に発表されたモノフォニック・シンセサイザー


沢井:今はアナログのシンセって結構人気がありますからね。


荒木:そうですね、僕も大人になってからMinimoogとか買い直してますからね。


沢井:当時はMinimoogって安定しにくいから、ピッチが安定するまでちょっと早めに電源入れなきゃっていう風に扱っていましたよね。


荒木:今でもそうですよ!むしろ、今の方がもっとガタガタですね。
チューニングしても4、5分で結局狂うんで(笑)


沢井:そうなんですか(笑)


荒木:あと、キーボードがしっかりと平均律で鳴らないということもあります。
まぁ、楽器としてはそういった感じでガタガタなものなんですよ。
だけど、それが今「意外と良いかも」と感じています。変な話ですけど…。


沢井:なるほど!


荒木:それはいわゆる打ち込みには使えないんですけどね。
改造すればできるかもしれないですけれど。
要するに、「弾いてなんぼ」っていうところで、シンセベースでも、手弾きで弾く本当に「楽器」でなんですよね。
その当時のキーボードっていうのは。


沢井:じゃあ割とシンセべースみたいなこともよくやっていたんですか?


荒木:はい、好きでしたね。
結局ピアニスト状態というよりも、どちらかというと「シンセ使い」というか、そういう電子キーボード系から入ってます。


沢井:大学でプログレ系のバンドをやっていて、どうしてプロとして活動するようになったんですか?


荒木:そうですね。
やはり大学の時にプロデュース研究会みたいなものがあったり、大学のオーディションというかフェスみたいなものにもよく参加したりしているうちに、「仕事しないか」みたいな話があったのが始まりだったりするんですよ。

ただ、今考えれば、無謀な試みではあるんですけどね。
それでバックバンド的な仕事から始めました。
自分がデビューを目指すという感じではなく、裏方のようなところから入っています。
1番最初の大きな仕事は、おニャン子クラブの武道館です。


沢井:それは、1980年くらいですか?


荒木:80年代真ん中くらいかなぁ。
それが比較的大きな仕事で、どちらかというと、テレビ局関係じゃないですか。
そういう流れがそのあたりから出来てきて、番組の担当プロデューサーとかとも、そこで出会っているんですよね。


そういう感じでフジテレビの歌番組ど真ん中というような部分に、初めから少し携わっていました。
あとは、「MUSIC FAIRのアレンジをやりませんか」というところからも始まっています。


沢井:じゃあ割と、プロの世界には仕事から入ったということですね。


荒木:そうですね、もちろんアマチュアバンド活動は長いですけどね。
高校時代からバンド歴はありますけど、でも大学卒業頃には仕事として音楽に携わっていました。
就職しないで、そんなことをやっていたという感じではありますよね。
それで、そのうちに少しはその仕事が小銭になっているから、そういう仕事をやっていけるのかな、と思っていました(笑)
今考えれば危ないですけれど、時代もあったと思います。


沢井:わかるわかる!
その時代は何となく「就職するのも嫌だしなぁ」と感じていて、「でも音楽好きだしなぁ」みたいな感じでしたよね。


荒木:そうですよね。
それで「いけるかな」と思っていたんですけれど、やっぱり今考えると結構無謀だった、と思っています。
ただ仕事を頼まれている、という状況が実際にあったので、自分にできるんじゃないかという感じで考えていましたね。

でも、「足りない部分は裏で必死に勉強し直さないと」というところはもちろんありました。
ちゃんと音楽の学校で基礎から学んだわけじゃないですからね。
だからその当時はかなり自分で勉強しました。


沢井:元々はクラシックから入っていますか?


荒木:クラシックのピアノは習っていましたね。
でも、譜面を読むとか、五線紙でピアノを弾くとか、コードの話とかは自分で勉強しないと、という感じでした。

実は、大学時代メーザー・ハウスの生徒だった友達がいたんですよ。
それで、「どんなこと教わってるの?」と聞いたら、「イチからセオリーとかやるんだよ」と言っていて、びっくりしましたね。
そこから教科書を貸してもらったりして、勉強していた部分も少しあるんです。


沢井:じゃあ本当に、何かしら音楽的な知識を習ったというわけではないんですね?


荒木:そうですね。
先生に習ったとかっていうのはないんです。
ただ、同業の先輩が質問に答えてくれたりしていて、そういう部分で恩があるような方はいらっしゃいますね。


沢井:わかりました。それから、ちゃんと大学は卒業されたんですか?


荒木:大学はちゃんと出て、大学院まで行った形ですね。


沢井:なるほど。失礼ですが、どこの大学に通われていたか教えていただけますか?


荒木:上智です。


沢井:上智!すごいじゃないですか。


荒木:いや、すごくもなんともないんです。
語学系が少し好きだったので、そういうところから入っているんですけど、やっぱり文学部を選んでる時点でちょっと怪しいですよね(笑)


沢井:(笑)


荒木:文学部に行って、詩であるとか作品であるとか、音楽と直接関係はないですけれど、「芸術」という部分では音楽と共通していますよね。


沢井:割と近いですね。


荒木:ええ、例えば、文化的な背景が音楽や他の芸術に影響していることもあるじゃないですか。
そういうものが好きで文学部にいて、フランス文学がどうのこうのって言ってる時も、その作品を勉強する機会もあったんですよ。


沢井:親御さんは音楽の道に進むことに反対しなかったんですか?


荒木:いや、好きにやれという家庭だったんですよ。
まぁ心配はしてたと思いますけど。


沢井:寛大ですね。


荒木:寛大ですね。そのせいで今こんなふうになっている部分もありますが(笑)


沢井:私も普通の大学を出ていて、親父は教育者で、音楽家になると言ったら「お前に音楽家になれるわけないだろ」って言われて、しょっちゅう喧嘩していましたよ。


荒木:確かに、そういうところもあるんですけどね。
でも最終的には「本人の考えを曲げさせてもしょうがないだろう」っていうことでしたね。
あとうちの親も、音楽好きだったみたいなんですよ。
だから「やるっていうならやれば」というような感じでした。
ありがたい話ですけどね。


沢井:わかりました。
最初の音楽に携わるきっかけが聞けて面白かったです。
とりあえず今回はここまでで。
ありがとうございました。


荒木:ありがとうございました。



今回は、荒木先生の学生時代の音楽活動や、プロの世界に進出されたきっかけなどをお聞きしました。

次回は、お仕事に対するモチベーションについて、テレビ番組での音楽づくりについてなどを中心にお話を伺います。
お楽しみに😊


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