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「勉強」の常識を疑う3


算数の問題は考えても解けない

「算数の問題をどんなに考えても解けない」と絶望する生徒がいます。結構います。また生徒の保護者にもいます。またまた学校の先生や塾の講師にもいます。
Kちゃんもそうでした。Kちゃんの口癖は「わからないので解けない」というものでした。

「わからない」が「わからない」

ここで「わからない」とは何でしょうか。「わからない」とは都合の良い言葉です。すべての悪いことの原因を「わかならい」にすることができます。それは、まるで「ストレス」みたいです。調子が悪いと「ストレス」、元気がないと「ストレス」、血圧が上がると「ストレス」、抜け毛さえも「ストレス」が原因にしてしまいます。しかし「ストレス」がどこから発生し、どのように体や精神に影響するかはなんだかアヤフヤです。そのそも定義があやふやです。「わからない」も同じです。もし「わからない」から問題が解けないのなら、「わからない」状態を「わかる」ことから始めるべきです。

「わからない」ではないもの

まずは「わからない」と言われていて、実は「わからない」とは違うことを考えましょう。
・「知らない」
・「覚えていない」または「思い出せない」
・「解くまでが面倒くさい」
以上のことを、子どもは「わからない」といってしまいます。
しかし、これらは「わらかない」ではありませんよね。

これも「わからない」ではない

また、「具体的な解法が思い浮かばない」のも「わからない」ことではありません。たとえば、自宅から少し離れたスーパーマーケットまで車で行くとします。そのスーパまでの具体的な道のりが思い浮かばないとします。このときスーパーまでの道順が「わからない」というでしょうか。しかし、スーパーの途中の郵便局までの行き方は覚えていて、そこまで行けばスーパーに行くことが出来たとします。つまり「詳細」はわからないくても「方向性」はわかっている状態、これは「わかる」状態です。しかし、子どもの多くはこの状態も「わからない」といってしまいます。

「わからない」ってことはあまりない

Kちゃんの「わからない」ことも、このような偽「わからない」だったのです。そこで僕は「わからなくても気にしないで、とりあえず図を表を書いて、少しでも問題をとき進めてみな」と指導しました。そうすると、Kちゃんが「わからない」といっていた問題で多くが解けるようになってきました。

これも「わかわない」ではない

では「腑に落ちない」状態はどうでしょうか。僕からするとこれも「わからない」ことではありません。ただ「なにかしっくりこない」だけです。時間と量が解決します。お父さんお母さんならわかると思います。社会人一年で先輩の見様見真似でやっていた仕事の意味が、2年目3年目にしっくり来たことがあると思います。これも「わからない」ではありません。ただ「腑に落ちない」だけです。

「わからない」の化けの皮を剥がす

今まで僕は「わからない」ことの化けの皮をはがしてきました。最初は巨大だった「わからない」お化けの大きさは、どんどん小さくなってきているともいます。今まで述べてきた、一見「わからない」と思えたものは、すべて時間と努力量が解決してくれるものです。たいしたものではないのです。じゃあ「わからない」ってなんでしょう。

「わからない」の正体

それでは「わからない」とは何でしょうか。「理解できない」ということなんでしょうか。それでは「理解する」とはどういうことでしょうか。そもそも僕たちは物事を本当に「理解している」のでしょうか。怪しいものです。人は、なにかが「出来る」とき「わかる」と言い、ないかが「出来ない」とき「わからない」と言っていると思うのでしょうがどうでしょうか。
つまり、「I can not do」を「わからない」と言っているのだと思います。

なにかおかしい

そうだとすると、「I can not do」のとき、問題が「わからない」から「I can not do」っておかしくないですか?つまり、問題が「I can not do」だから、問題が「I can not do」って文章になります。何が原因で何が結果かがごちゃまぜの文章ですね。

Kちゃんへの処方箋

Kちゃんの「わからない病」への処方箋は、「わからない」と言うことをやめ、かわりに「めんどうくさい」と言うことにしました。「めんどうくさい」問題は、「めんどうくさい」ことを我慢して解き続ければ、いずれ正解します。実際成績も上がりました。「わからない」という思考停止がなくなった結果、成績があがったということです。

教わっても「わからない」は解決しない。

ついでに、いくら人に教わっても「わからない」状態は解決しないと思います。それはなぜなら、教わっている時点でその「わからない」問題は、生徒にとって他人事なんです。「誰かが解決してくれる問題」なのです。「自分でどうにか解いてやろう」という自分ごとになった時点で、「わからない」問題は、「わかろうとする」問題、つまり「正解を出すべき」問題となるのです。








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