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老人ホームをINNOVATION。そしてCREATIVEで、HAPPYEND HOMEに。もがく施設長日記その1。  

もがく施設長日記①
〜老人ホームは、今でも「姥捨山」なのか?


このままでいいのか、老人ホーム

 老人ホームってどんなイメージですか?と地域のある集会に集まった介護予備軍に訊ねたら、思った通り「姥捨山」でした。
 「施設みたいなところに入れられて…」「施設なんかに入ってしまって…」という場所。
 ある老人ホームの介護福祉士に聞いたら、3大介護(食事・排泄・睡眠)が何より大切だと自信たっぷりに言い、そこで暮らす高齢者の主体性や自立心より「管理」が大事で、変化よりルーティンの作業を安定的に続けることが肝心で、入居者の気持ちより仲間の顔色を覗うのが大切だと話してくれました。
 …本当にそれでいいのかな?
 入居者にとっても、
 その家族にとっても、
 そして介護のプロと呼ばれている、よき暮らしのパートナーとしての私達スタッフにとっても。
 私は、それは違うだろうと思っています。完全否定はしないけれど。

  福祉、介護の道を、寄り道しながら、道草を喰いながら、38年ほどよろよろ歩いてきました。知的障害者の社会参加支援活動(ボランティア)に始まり、中途障害者のリハビリに関わる施設、老人保健施設、デイケア、ケアマネジャー、特別養護老人ホーム、ヘルパー教育、デイサービス、住宅型有料老人ホームなどを転々としてきた私の稚拙な福祉や介護の印象は、老人ホームのケアの質が、在宅サービスに比べて未成熟なのでは?ということでした。

 その原因のひとつは施設職員の質、ではないかと思います(介護職員に限定しません)。例えばケアマネジャーが介護保険の最先端を行く人だとすれば、施設職員は、最後尾、あるいはついていってさえいないのではないかと感じることがあります。介護保険制度が出来てもなおあまり進化や変化がなく、学びの機会に触れることも少なく旧態然として今日に至ってしまった感があります。不幸な面はあるかもしれませんが、全体的に不勉強なイメージです。例えば
施設職員に「チイキホウカツケアシステム」を「地域包括ケアシステム」と変換できる人がどれほどいるのでしょうか(私もうまく説明できませんが…💦)。介護保険制度下において自立支援のサービスを提供することにより介護報酬が支払われ、私達に給与が支給されていることを説明できる人がどれほどいるでしょうか。
 あおいけあ代表の加藤忠相氏をはじめ、ユニークな事業を展開している若手経営者は、障害の分野を含めて増えてきているように感じていますが、いまだ介護福祉士がオムツを変えているだけ、という保守的な施設が圧倒的に多いのは間違いないと言い切れます。
 
 もうひとつは、行政含む地域の老人ホームに対する理解不足と社会資源としての位置づけや資源としての価値の見定め方のピントがぼやけているからではないのか、というような、施設を取り巻く環境や基盤の脆弱さにあると思うのです。
 例えば居宅介護支援事業所に所属するケアマネジャーさんは、自分の担当する高齢者が、最後まで自宅の畳の上で、大往生できるようにケアプランを作成していくのが使命です。ただ何らかの事情により、自宅での介護が困難と判断された場合、施設入居を視野に入れなければならなくなりますが、ケアマネジャーさんや行政が持つ施設情報があまりにも少なすぎるということや、家族の面会に都合がいい場所であればいい、とか、安ければいい、とか、そんな観点でしか選んでもらえないもどかしい現状があるのは否定できないと思います。
 自宅で最期を迎えられないと決まったとたんに、大往生プランはただの紙切れになってしまうのでしょうか。「施設なんてどこでもいい」と言われるくらいの価値しかない施設のままで諦めるしかないのでしょうか。その人なりの輝かしい人生を歩んできたはずの方々のラストステージを、姥捨山に担いで捨てに行く、そんなカタチで終わらせていいのでしょうか。
 
 そして、施設は、もっと自ら地域に積極的に働きかけるアクションを起こさなきゃダメだと思います。在宅と施設は、便宜上、真ん中で線を引かれて区別されがちですが、施設も地域の一員ですし、実は未知数のエネルギーを内在しているすばらしい社会資源になれるんです。

 福祉は暮らし。福祉は、どんな業界とも世代を超えて接点がつくれるフィールドなんだと気づきました。
 だからこそ、そんな高齢者施設に風穴を開けたい、そう思い、私は福祉びととして働く自分の居場所を高齢者施設に固めたのです。
 
老人ホームは人生劇場のラストステージ

 100年の人生を生き抜いて来て、高齢者の数だけ様々な人間模様があります。
 戦争を経験し、戦後の貧しく厳しい茨の道を耐え忍び、日本の復興を支えてきた、なくてはならない、かけかえのない方たち。
 私達があるのは、まさに、今目の前で、私達に体を預けて、オムツを替えてもらっている認知症のこの方たちのおかげです。
 元警察官だったり、会社の経営者だったり、銀行員だったり。会社を潰した人もいれば、たくさんの子供を育て上げた人もいるし、犯罪を犯した人や、芸術や文化の発展に寄与してきた人、そして大切な人や大切なものを身を切る思いで捨てた人、失ってきた人…。誰もが、いま私達のそばで要介護老人と呼ばれている人にほかなりません。
 そんな価値ある人たちが、すべてを捨てて施設に来るんです。多くの人は、ここで、私達の目の前で、人生劇場の幕を下ろします。私達は、その人たちの人生の中で最後に出逢うオーディエンスです。いやもしくはラストステージ降りるまでの演出家かもしれません。
 ステージを降りるときに、「最後は楽しい時間だった」「あんたたちに逢えてよかった」と、もしかしたら、自宅にいるより、その人らしく生きられたかもしれないと思ってもらえたら、嬉しくないですか。
 老人ホームはそういう場所じゃなきゃならないと思うし、そんな場所になれると思っています。ぜったいあと数年のうちに、そんな空間にしてやる、と、もがいている施設長の話は次回に続きます。(続く)



 

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