日本のマンガの歴史

日本のマンガの歴史をまとめました

平安
・滑稽さや風刺性、物語性等をもった絵画作品ということで最古の漫画といわれる鳥獣人物戯画が誕生

1798
・山東京伝の絵本「四時交加」で「気の向くままに描く」という意味の言葉として「漫画」が使われる

1814
・葛飾北斎の絵本「北斎漫画」で劇画風のスケッチを示す言葉として「漫画」が使われる

1862
・イギリス人記者のチャールズ・ワーグマンが日本初のマンガ雑誌「ジャパン・パンチ」を創刊する

1895
・今泉一瓢が新聞「時事新報」で「caricature」「cartoon」の訳語として「漫画」を使用

1899
・北沢楽天がアメリカの「comic」の訳語として複数コマの連続からなる自身の作品を「漫画」と訳する

・北沢楽天が創刊した「東京パック」を皮切りに、複数の漫画雑誌がポコポコ生まれ始める

1915
・岡本一平ら数十人の漫画家が漫画家団体「東京漫画会」を設立

1923
・織田小星/椛島勝一の「正チャンの冒険」や麻生豊のギャグ漫画「ノンキナトウサン」で、コマ割りやフキダシの概念が確立される

1928
・北沢楽天連載開始した「とんだはね子」で初めての女性主人公を採用。日本初の少女漫画となる

・大阪で「マンガの神様」こと手塚治虫大先生が爆誕

1930代前半
・新聞や雑誌で幼年漫画の欄が設けられ、「のらくろ」や「漫画太郎」などが大ヒットする

1930代後半
・戦時中の漫画家たちは軍の意向で戦意高揚的な作品やプロパガンダの製作に従事させられる

戦時中
・戦災でほとんどのコンテンツ資産が焼失・紛失するが、紙芝居の普及によって急速に再生する。紙芝居屋は1950年代に全国に5万人ほどいたらしい

・紙芝居シリーズを元にしたイラストと文章の絵物語を廉価な単行本にまとめた「赤本」が生まれ始める

1947
・手塚治虫が「新宝島」で、まとまったストーリー展開で魅せる方法を確立。コレを皮切りに赤本漫画が大ブームを起こす

1950年代前半
・赤本漫画のブームで漫画月刊誌が多く生まれる。この時期に「鉄腕アトム」や「あんみつ姫」「赤胴鈴之助」などが人気を博す

1950年代後半
・物価上昇などの煽りを受けて赤本漫画が終焉を迎え、より安価な「貸本漫画」に需要が移っていく

・白土三平や水木しげるなどが貸本漫画家からデビューする

・全国のPTAによる「悪書追放運動」が起こり、校庭に鉄腕アトムなどが集められて焚書するパフォーマンスなどが行われる

1954
・ぼくら(週刊少年マガジンの前身)、月刊なかよしが創刊

1959
・週刊少年マガジン、週刊少年サンデーが立て続けに創刊。単価が高かったので発行数は少なく、経営的には安定しなかった

・読者離れを少なくするため、長期連載作品の連載が定着する。一方で、不人気作品の打ち切りといったシステムが確立される

・貸本漫画がどんどん衰退

・新聞漫画はサザエさんのような4コマ漫画が主流になっていく

1960年代
・このころから雑誌漫画はハッキリと少年漫画、少女漫画、劇画、大人漫画の4つのジャンルに明確に収束していく

・教材としての学習漫画が児童向け漫画の一ジャンルとして拡大していく

1962
・週刊少女フレンド、週刊マーガレット創刊

1963
・手塚治虫が海外進出を前提としたテレビアニメ作品の再作を開始

・このころからスポ根マンガ(過剰な演出のスポーツマンガ)が増え始める

1964
・日本漫画協会設立
・月刊漫画ガロが創刊。この雑誌はスケールが大きすぎて連載する雑誌がなかった白土三平の「カムイ伝」を連載する目的で作られた

・「カムイ伝」をはじめとして「既存体制への反発」というスタイルの作品が全共闘時代の大学生にぶっ刺さり「漫画は子供が読むもの」という既成概念が覆されていく

1968
・週刊少年ジャンプ、週刊少年チャンピオン創刊。後発組だった少年ジャンプは有望作家確保のために、当初から積極的な若手作家の登用と徹底した読者アンケートによる生き残り方式で部数を伸ばす

1970年代
・同人グループが増加していき、「日本漫画大会(1972年)」や「コミックマーケット(1975年)」といった大規模な同人誌即売会が相次いで開催されていく。高橋留美子なんかはこういうコミケの出身

1975
・第一次オイルショックで景気は低迷して書籍の売り上げは下がる中、漫画業界は右肩上がり。特にこのころ少年チャンピオンの売上が爆伸びしたので、週刊少年誌業界はビッグ4という図式が完成した

・漫画があまりにも売れすぎるので、それまで消極的だった「雑誌掲載→単行本化」の流れが一般化する。小説なんかではむしろ元々この形

1977
アニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒット

1979
・週刊ヤングジャンプが創刊され、創刊号が即日完売する

・アニメーション映画「銀河鉄道999」の公開にあわせて国鉄とタイアップ。切符の競争率が80倍にものぼったことから少年・少女漫画をメディアミックスやタイアップで売り出す戦略が本格化する

1980年代前半
・少年ジャンプが300万部を突破。一方でブラックジャックとガキデカの連載が終わった少年チャンピオンが売り上げを落とす

・「タッチ(1985年)」や「Dr.スランプ(1981年)」がテレビアニメ化され、大ヒットを記録。特にDr.スランプは単行本の初版発行部数が日本で初めて200万部を超える社会現象となる。このころが少年サンデーの最盛期

1984年
・漫画雑誌全体の総発行部数が10億部、単行本販売金額が1000億円を超える巨大史上に膨れ上がる

・「ドラゴンボール」「キャプテン翼」「キン肉マン」「北斗の拳」が同時に連載されている少年ジャンプで年末最終号の発行部数が400万部を超える

1980年代後半
・平常号で、1987年:430万部、1985年500万部を発行し、少年ジャンプの無双状態が始まる

1987年
・小学館が「ヤングサンデー」「ビッグコミックスペリオール」を創刊し、月刊コロコロコミック~ビッグコミックの全年齢層をカバーする最強の布陣が完成する

1990年代
・依然として少年ジャンプが無双状態であったが、1995年に「ドラゴンボール」、1996年に「SLAM DUNK」が終了したことで発行部数が落ち始める

・メディアミックスの方式が一層強固になり、アニメ化、ドラマ化、映画化、ゲーム化などが一般的になる

・少子化、マンガ喫茶の台頭、レンタルコミックサービスの開始などの影響で、マンガ雑誌の発行部数現象に拍車がかかる。一方で古本チェーンが発達し、新旧の名作に出会う機会が増えるようになる

2000年代
・漫画は国際的にも日本を代表する文化の一つのみなされるようになり、絶版となっていた旧作の復刊や図書館への収蔵が多くなる

・ヒット漫画の2.5次元ミュージカルなどが盛んに開催されるようになる

・一時期売り上げが落ち込んでいた少年ジャンプ(ジャンプ低迷期)で「ONE OIECE」や「NARUTO」などのヒット作が生まれ発行部数が回復する

・「キングダム」「宇宙兄弟」「東京喰種」などの青年漫画誌や「鋼の錬金術師」「進撃の巨人」などの月刊少年誌から出たマンガのヒット作が生まれ始める

2006年
・このマンガがすごい!の第1回目が発表。オトコ版1位は2024年現在Netflicsでアニメ放映もされている「PLUTO」。オンナ版1位は実写映画化もされた名作「はちみつとクローバー」

2008年
・第1回マンガ大賞発表。大賞作品は「岳 みんなの山」

2010年代
・ネットやスマホの普及により漫画文化が超多様化。電子書籍やウェブコミックなどにどんどんシフトされていく

・SNSの普及により、SNSから生まれる漫画がヒットする状況が生まれる

2017年頃
・漫画村大暴れ

2020年代
・もはや収集つかず。コロナの影響で古本業界が再び活況するなど、更に多様化。鬼滅の刃大ヒット


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