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ぴあぴ大百科

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#招福ハレルヤ

面白い環境で育った息子はん

面白い環境で育った息子はん

さて。
お正月三が日皆さんいかがお過ごしでしたか?

大晦日から元旦にかけては
毎年、我が事務所では年越しウダウダパーティーをしていて
息子帰ってきてないのに

息子の友達が来てくれたりします。
嬉しいね。

今年は超ご無沙汰だった人が来てくれたりして
なんだろう、ひと回りしてぐるんとなんだか
前進したんじゃないかなあと思います。

息子はんも、私と同じようにミュージシャンをしているので
なかなか

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人の夢は神聖なものとして受け止める

人の夢は神聖なものとして受け止める

子供が小さい頃は
「末は博士か大臣か」と両親は胸に期待をふくらませ
(あはは。表現が昭和やな)
誰もが「わが子は天才だ!スゴイ!スゴイ!」と
ほめたたえるものですよね。

そのままずっと何か一つできるたびに
ほめてあげることができれば良いけれど、
気がつけば、ああ、ほめてないなあって思います。

うちは、息子も同業だし
まわりからチヤホヤされることが多いので
私は親として先輩としてどちらかというと

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ほんまにそれええと思ってる?

ほんまにそれええと思ってる?

思い浮かぶことポンポン書いていくので
支離滅裂はご了承を!笑

むかーしむかし
レコード会社に勤めている友達が
会社を辞めようとしているときに
「なんで辞めるん?」
ときいたことがありました。

すると彼の答えは
「本当に良いと思えないものを
いかにも良いもののようにプロモーションすることが
耐え難くなった」
というものでした。

レコード会社の営業というものは
物だけを売る営業とはまた違って

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あの〜。お願いがあるんですけれど・・・

あの〜。お願いがあるんですけれど・・・

NHKで只今、こういう投票があるんですよ。

「全るーみっくアニメ大投票」
https://www.nhk.or.jp/anime/rumic/index.html

この中の 
らんま1/2熱闘編エンディングテーマ「虹と太陽の丘」(ぴよぴよ)

は、#招福ハレルヤ の シゲゾーと 私、Piapi なんです。

なんか、このタイミングでらんまのファンの方から教えていただいたので
面白いなあと思いま

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プロダクションなどの役割って・・・

プロダクションなどの役割って・・・

才能はかり売りマーケットごろっぴあ という事務所をゴローさんと始めたのが2004年の1月から。

そもそも「移動事務所」と言って軽自動車で移動しながら
仕事の打ち合わせしたり、レッスンしたり、制作したりしてた。

そのうち場所が必要になってきて
大阪ミナミのアメリカ村のふるーい建物の地下に
怪しい場所を借りて、ライブやレッスンをするスペースにしていた。

そのあと、オフィス街の一等地の天満橋の駅か

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死ぬということ

死ぬということ

(#招福ハレルヤ Piapi 記)

好奇心旺盛な私は

50歳を過ぎてもその好奇心は留まることなく

年々興味にも幅が拡がりやりたいことがたくさんありすぎて

眠る時間がもったいなくて

寝落ち寸前まで起きていて

いつも手にスマホを握りしめた状態で眠るほど・・・

ふと

子供の頃「パパとママが死にませんように」と

お祈りをしてから眠っていたことを思い出す。

眠るとパパとママが消えてしまう

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あれから四半世紀 これからどれだけ生きてるかな?

あれから四半世紀 これからどれだけ生きてるかな?

亡き母が私くらいの年齢のときに
「若いっていいなあ」とよく言っていた。

私は、「若い」ということに羨ましさを感じたことはない。

でも好奇心旺盛な私は「あと何年生きていられるのかな?」ということに
焦りを感じることはある。

母は73歳でこの世をあとにした。
とするとその年齢まであと20年かー。

時間が足りないかもしれない。

毎日、寝る時間がもったいなくて
眠くなるギリギリまで何かしらの創作

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やぎさんゆうびんの無限ループ

やぎさんゆうびんの無限ループ

私が初めてステージで歌ったのは5歳の時。
当時なぜか母は私をSAB児童劇団というところに所属させていた。
記憶はうっすらなんだけれどオーディションを受けにいったときのことは
少し憶えていて、とにかく待っている時間がいやだったなあ。
これは、SABホールでの発表会かな。

歌っているのが私で「やぎさんゆうびん」を歌った。
「しろやぎさんからお手紙ついた くろやぎさんたらよまずにたべた
しーかたがない

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