山道

杖をついてまで山を登るわけ

ひと月ほど前に、飯能の展覧山に登った。

展覧山は山登りといえるほどの山ではないけれど、山頂から飯能近辺の街が一望できるので、気分を一新したいとき、年に一度くらい朝早くに登ることがある。

その日も朝早かったので人気はほとんどなかったけれど、登り口で杖をついて歩いている人がいた。杖といっても登山用の杖ではない。歩き方からすると、どうやら半身麻痺のようだ。リュックをしょっているわけでもなく、格好からすると近所の人なのだろう。中腹までしか行かないのかもしれないけれど、健常な身体であっても登り道は決して楽ではないのに、なにもそこまでして山道を歩かなくても、と思った。

そのとき、ある人のことを思い出した。

私は十年以上前に身体障害者の介護の仕事を2年ほどやっていたことがある。そのときに、Kさんという半身麻痺の女性を担当していた。女性といってもKさんは元は男性で性転換手術を受けていて、風俗店で働いていたときに脳卒中で倒れて半身麻痺の後遺症が残り、私が登録していた事業所の支援を得て自立生活を始めたばかりだった。Kさんが働いていた店に残してきた荷物を取りに他のスタッフと行ったことがあったけれど、働いている人たちはそこで寝泊まりしているような様子で、ずいぶんと劣悪な環境で働いていたのだと思った。

働いていた当時はその日に入ったお金は豪勢に使っていたらしい。障害者となっても障害者年金と生活保護などで月15万ほど収入があって十分に暮らしていけたはずなのに、「宵越しの金はもたない」ような生活をしていたKさんにはストレスだったらしく、甘いものばかり食べてはブクブクと太っていった。性転換手術後のホルモンバランスの崩れによる精神的な不安定さも、もしかしたらあったのかもしれない。当時私が担当していたのは、筋ジストロフィーや重度脳性麻痺などで自分でトイレも入浴もできない人たちばかりだった。その中で、Kさんはいちばん障害が軽く、ワンルームの部屋の中なら自力でトイレにも行けたし入浴もできたのに、あまりに太ってしまったために数メートル先のトイレにすら行けなくなり、ベッドの脇にポータブルのトイレを置くことになってしまった。それすら、ある日、私が買いものを頼まれて近所のコンビニに行っている間に、トイレに行こうとしたもののバランスを崩し、私が戻るとベッドとトイレの間にひっくり返ったたまま起き上がれずにいた。私の力では倍くらいの体重のある身体はとても起こしてあげられなかったので、幸い近所だった事業所に連絡して、男性職員2人に来てもらったほどだった。

私はほどなくして、ほかの人を担当することになり、Kさんの介護から外れた。その後、Kさんの状態はどんどん悪化し、腎臓を悪くして入院したと聞いたが、私が介護の仕事を離れてしばらくしてから訃報を知らされた。まだ40代だった。

そのとき、Kさんが亡くなったというのももちろん悲しかったのだけれど、何より悲しく、悔しかったのは、私が担当していた他の障害者の誰よりも障害が軽く、もっと生きられたはずだし、もっといろんなことができたはずなのに、そんな死に方をしたことだった。

学習障害のある南雲明彦さんが「『障害』が個性なのではなく、障害にどう立ち向かうかが個性だ」というようなことを言っていたとどこかで読んだけれど、杖をつきながら一歩一歩歩くその人の姿を見て、なるほどと思った。

発達障害者が人生を切り開いていくのにも、杖をつきながらでも山道を歩くくらいの厳しさがときには必要なのかもしれないとも思う。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。サポートは、原書や参考書の購入に使わせていただきます。日本でまだ翻訳されていない本を少しでもお届けできたらと思います。