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語るほど、遠ざかるもの

キャンドルに火をつけるとなんだかあったかい。火を囲む人たちが、やっぱり「あったかい」と感じているような気がする。私たち今、わかりあえてるかな。


言えばわかる、伝わる、理解し合える。
そうだったら良いんだけど、現実はなかなかそうはいかない。

先日、いつものように恋愛相談を電話で受けていたつもりだったのだが、相談してきたお相手が突然怒って声を荒げた。


「あなたは私の気持ちを理解していない!」


あぁ、しまったなと思った。
最初に「ゴホン。お客様、本日の目的はなんでございますか?当社では様々なサービスを展開しております。傷ついたあなたに全力で寄り添い、傾聴するコース。目的に沿った相談、解決をお手伝いするコース。Mな方には叱咤激励(叱責多め)なんてコースもございますが……」と相談を受ける前に聞いておくべきだったのだ。

怒った彼女のボルテージがおさまらないのでそっと距離を置かせてもらっているが、私は彼女が心底うらやましい。言えばわかる。話せば通じる。そう信じられることって本当に幸せなことだと思う。


ちょっと前仲良しの友達が久しぶりに集まった。腹をすかせた鳥が、あまりの空腹にブチ切れながらエサを捕食しようと躍起になっているようなけたたましさで、近況報告などをする我々。小一時間も話す頃コーヒーも底でカピっている。すると誰かがトイレに立つ。同時に誰からともなくケータイをチェックして、だんまりになる。トイレから戻った友人がひとこと

「こうしてせっかく顔を合わせて会っているのに、みんながケータイをいじるなんて現代病よねえ」


そうだよねェ……。


私たちは遠ざかってしまったのかな?



最近、友人のきのコさんが「わたし、恋人が2人います」という書籍を出版した。(めでたい!)彼女の悩みは自分がメディアに出て話せば話すほど悪化する、ということらしい。悪化、というのはポリアモリー(関係性をオープンにし、複数の恋人もその関係を承知して付き合うスタイル)について言及するほどにアンチが増えて荒れることだ。


もちろん、言わなければナニゴトも伝わらない。
でも言ったからって伝わるわけではない。


私たちは同じにんげんの形をして、日本にいるならば同じ日本語を喋って、コミュニケーションをとっているつもりだけれど。




「実際は、どうなのだろう」




言えば言うほどむしろ悪化すると聞いたとき、私は遠い記憶を浮かべた。食器の割れる音、罵倒する声、バケモノのように言い争う両親。要するに昔の自分の家の出来事なんだけれど。


戦争はごく身近にある。
言えば言うほどダメになっていく。
語るほど、遠ざかっていく。



……キーンと耳鳴りがした。


遠ざかるなら、そのまま放っておくこともできるし、ことばに頼らないでできることもあるかもしれない。
たとえば、損得勘定抜きで、たわいもない話をほんの少し。
お茶を飲んでぼぅっと庭を眺めるとか。寂しいならハグをして、余計なことばを発さずに。否定も肯定もしない。どうだろう。そんな関係もいい。ぜんぶじゃなくても、そんな日があってもいいと思う。


少し話はずれるけれど、李白の詩を思い出した。

月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢


<現代語訳>

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ

(出典:漢詩の朗読HP)


いい詩だ。全く友人というものに、ことばというものに期待していない感じがいい。

他人との関係性も、私がせっせこと量産する記事も、頑張ってことばを重ねてしまうのだが。頑張るとふんばるって似ている。ふんばるとうんこが出る。頑張ってふんばるとうんこなものになってしまう。

だから。

いらない装飾を取り払ってシンプルできたら。信じるのは私が見たこと聞いたことだけ、ということにできたら。


そして、手の湿りけや髪の匂い。
クーラーで冷たくなった膝を突き合わせて、
その人の、目の前にいる人の肉感をまるごと好きになれたらいいなぁと思う。



「私をおいていかないで!」と孤独は言う。
今夜は電気もテレビもつけないで、キャンドルナイトにしてみよう。
語るほど、遠ざかるものあれば
静けさが近づけるものが、きっとあるかもしれない。





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