18さいになって

18さいになった。忙しくて全然書けていなかったのだけれど、18歳になったのはもう1ヶ月近くも前だ。(と書いていたのにしばらく投稿していなくてもう4ヶ月前だ)なんだか、「三年生になって」みたいな小学校の作文が恋しくなってこんな題名にした。

今は、3歳の頃から休みのたびに通っていた多摩川の川沿いにあるカフェでこれを書いている。
きっとあの河川敷へ続く階段を降りて行って、川辺で水切りをしている5歳くらいの自分に会ったら、「私はこんなにかっこいい大人になれるんだね!」と目をキラキラさせて喜んでくれるだろう。18歳なんてすっごく大人だと思っていた。確かに、私の思考はすっごく進んだ。でもなんだか、自分の心は5歳の頃と対して変わっていないような気がするし、このままであって欲しい。まだ水切りの最高記録は5回だし(一番最近の記録更新は8歳だ)、外で走り回るのも好きだ。でも昔はまずいと思っていたコーヒーの味が好きになったし、自分のことも、社会のこともひっくるめて色んなことで悩むようになった。
私はきっとあと10年くらいで大人になれるのかもしれない。もしかしたら自分の考える大人には永遠にならないのかもしれない。でも、28歳くらいになった時に18歳の私が何を考えていたのか思い出せるように書き残しておきたい。


17歳になったのは一年も前だった。(当たり前か)
UWC ISAK Japanという全寮制のインターナショナルスクールに行くことが決まり、この一年で英語がペラペラになるんだ!という決意と、これまでで一番大きな社会的インパクトを残すなんていう壮大な夢と希望を持って一年をスタートさせた、、、気がする。
私の拠点は東京の真ん中から軽井沢の森に変わり、使う言葉も日本語から英語に変わった。色々と夢と希望を持っていたけれど、当時はどんどん前に突き進んでいくことだけを考えていた。

最初は英語ができないことにものすごい引け目を感じて、日本語ならいつまでもおしゃべりが止まらない私が「真菜美って静かだね」と言われてしまうことなんかもとても辛かった。今までは周りと比べることで「自分は人よりできる」と自信をつけることが多かったのに、この癖は完全に裏目に出た。なんでみんなはこんなにできるのに、自分は全然しゃべれないんだろう。色々なことをやりたいのに、言葉すらままならない。毎回授業に行くたびに当てられないかとビクビクして、カフェテリアでは何を話そうかと考えあぐねる始末。これじゃあ全然ダメだと泣きそうになったことが何度あったかわからない。毎日言葉が分からないなりに色々なことをして、ベットに倒れ込むような生活だった。

私を変えたのは、言語の壁だけではなかった。

「まなみは何がやりたいの?」これは入学して1ヶ月後くらいに、一個上の先輩に言われた言葉だった。私は高校一年の初めから、SDGsに関する課外活動や気候変動運動などに関わってきてすごくアクティブなつもりだった。でも「何がやりたいの?」というシンプルな問いは私を大いに困らせた。これまで私は、課題意識が強すぎて「これをしないといけない」という無意識な焦りや社会に対する怒りから行動していたということに気づいた。じゃあ私がこれまでやってきたのは、本当に「やりたい」ことだったのだろうか。そう思った瞬間に全身からふっと力が抜けて、自分は何が好きで本当は何がしたいのか全然分からなくなってしまった。そんな期間は1ヶ月くらい続いた。

自分ではなんだか宙ぶらりんな気がして、なんだかずっとモヤモヤを抱えていたような気がする。でも友達と話したり森に行ったりする中で、自分は自然の中にいることが好きで、色んな人とゆっくり話して自分が見たことのない世界を垣間見るのが好きだと気づいた。そして、それを自分だけじゃなく多くの人が体験して笑顔になるのを見るのはもっともっと好きだった。それからはもう、大丈夫だった。

そしてこの一年で世界がもっと深く広く、多層的に見えるようになった。私は、一年前「世界を知りたい」という漠然とした思いでISAKに入学した。
「世界」なんてここまで定義が曖昧な言葉はないと思う。
きっとその時に私が思い描いていた「世界」は自分がまだ見たことのない文化や知らなかった考え方に満ち溢れた場所だった。いつも、まだ見ぬフロンティアに猛烈な憧れを抱いてしまう私にはぴったりのイメージだった。そう、私はどこか新しい場所に行かないとこの「世界」を知ることはできないと思っていた。

でも、そんなのは嘘だった。

辛いものが大の苦手なのに、ルームメイトにタイの唐辛子スナックを食べさせられ、ご飯を食べながらチュニジアでの夏の過ごし方の話を聞くような日常を過ごす中で、「世界」は自分が思うほどフロンティアではないのかのしれないと感じ始めた。

一人ひとりが違った世界を持っている。結局、自分の手が届く場所、この目で見るものが自分の世界をつくる。これは「環世界」という言葉で言われるみたいだ。
でも、私たちがこの目で見るものの背後には思想があり、様々な人の思いが交差している。そして、この目で見るものは「社会」という私たちの空想で作られた大きな生き物の一部としても動いている。別にそれに良いとか悪いとかはなくて、ただそこに「ある」というだけなのかもしれない。
自分の見ている世界なんてちっぽけなものだ。でも私たちはどこまで行っても、一人のにんげんであって、そのちっぽけな世界の外へ出ることはできない。その代わり、私たちは色々なレンズを身につけることができる。レンズを変えるだけで、いつもの散歩道も全く違った景色に見えたり、思いもかけないものと繋がったりするわけだ。人は、新しいレンズを身につけて色んな風に世界を分かることが面白くて対話をし、本を読み、学ぶのだと思う。
「今の社会は〜」とか「グローバルな・・・」とかいうけれどそれは空想の大きい世界の話。そればっかり考えても行き詰まってしまう。自分が暮らす等身大の世界と、その背後に広がる思想の世界、そしてその両方が作り出す「社会」という枠組み。これを上手く行き来して考えられるようになったら、私たちの住む「世界」全体をよりよく理解できるようになるんだろうなと思っている。

今まではまだ見ぬフロンティアに、そして未来のどこかに自分の求めるものがあると思っていた。「社会的」に大きなインパクトを残して他人に認められることに少なからず価値を感じていた。それが自分が必死に前に進む原動力だった。1年間で、英語は世間でいう「ペラペラ」になったし、プロジェクトのために100万円の資金を調達したし、IBでもそこそこ良い成績が取れた。でも、そんな世間体やその数字自体に大した価値はないのだ。
そして、私が「世界」を見ようとして飛び込んだ先に見たのは他でもない「今」自分が見る等身大の世界だった。よく考えたら、未来なんていつまで経ってもやってこないじゃないか。もちろん、まだ見ぬ何かに対する猛烈な憧れはいつも人類の歩みを前へと進めてきた。でも、そうやって宇宙に行った人間の心に浮かんだのは、「人はどう生きるべきか」という深い内省だったのかもしれない。

話が長くなってしまったが、「世界」を求めて外へ外へ、前へと必死に進もうとしてきた頃から、今ここにある瞬間を大切にし、自分の持つ世界をレンズを変えながら見つめ直せるように変化してきたと思う。前に進まなくても、時には後ろを振り返ってもいいし、左右を見ても、下を掘っても上にジャンプしてもいい。
正直言って18さいなんてまだ子どもだけれど、私の見る世界や生きる世界はどんどん面白くなっている。いそがなくても良い。「あ、今日はここに寄り道してみようかな。」くらいの自由な生き方を実験してみるような年にしたい。

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