応援することを相手に押し付けるのは違う

明日旅行なのに寝れねぇや。たぶん明日旅行だからだろうな。いつものことだ。ここ最近風邪ひいてたから毎日スヤァだったのに…
かわりに言いたいことができたのでさくっと更新しちゃうぞ
(最近よく見ているレイえもんに影響されまくっている)

私はお笑いが大好きです。
小5の頃からお笑いに夢中になっています。
間違いなく、私の人生に大きな影響を与えたといえるものです。

どうやら今日、自分の応援してる界隈で、
テレビの視聴者プレゼントに、「愛用してる物」という題目で、ファンの人からもらったものをプレゼントに出してしまって、あげたファンの人が傷ついてしまって軽く燃え上がる、ということがあったようです。

私は共感力豊かかつ同じファンの立場なので、差し入れをあげて、それを他の人にプレゼントすると言われてしまったときの気持ちは非常に分かっているつもりです。
すごくつらいです。その後、「愛用してる物」という名目だから、本当に愛用していたこれを選んだと言われたとしても、「じゃあそのまま愛用してて欲しかった、、」というふうに思うと思います。
見てるところで手放して、私と同じく応援してる人 (場合によってはライバルですね) のもとに行くのは耐えられないですよね。

だから、その当事者であるファンの人がつらい、、と主張しているのは、うんうん、わかります。
でも私が納得いかないのは、それにかこつけて「ファンがどんな気持ちでプレゼントなにがいいかなって選んでるか考えて欲しい」のようなことを主張している人がいくらか散見されること。

私はずばり、
「応援すること」と「愛を押し付けること」は、似て非なるものだと思っています。もちろん後者は悪。
そして、「ファンがどんな気持ちで…」と先ほどのようなことを主張する人は「愛を押し付けている」と思うのです。

プレゼントをするということは、
その人の生活に介入するということです。
その人の確立されたライフスタイルの中に、自分がプレゼントしたものが良くも悪くも影響するということなのです。

もちろん、しっかりその人のために考えた場合、多くは役に立つもの嬉しいものをあげられているはずだとは思います。
思いますが、あくまであげている人は勝手にあげているのです。
多くの場合、相手がほしがったものを、直接ほしいとおねだりされたわけではありません。
特に、ファンと芸能人なので友達関係ではないわけです。
「なにをあげたら喜ぶかな」といくら思い悩んだとしても、それは相手には全く関係ありません。だって相手は自分のことを知らないのが当たり前という前提があるのだから。
あげる人の信頼性というか情報がないに等しい中で、よりいっそう「勝手にあげている」という自覚は忘れてはいけないものだと私は思うのです。

さらに言うと、「自分と同じようにプレゼントをあげる人がほかに何人もいる」ということも忘れてはいけません。
それほど相手はいくつものプレゼントをもらっているわけです。
そのため、自分のあげるものが他の人とかぶることは大いにあり得るし、それを避けて個性的なものをと思うと、めちゃくちゃいらないものになる可能性もあります。
そのリスクは、芸人だけが負うものではなく、あげる人も負うべきものだと私は思います。プレゼントがいらないものなので部屋の肥やしになるor捨てるor違う人に又あげる、などなど、そんなことになるのはあげる人もつらいけど、もらった人もつらいし、その原因をつくるのは、あげる人である、ということです。
そうしてたくさんのものを貰わなければいけない相手の立場も考えた上で、自分の気持ち (ものを無駄にされたくない) と相手の気持ち (ものを無駄にしたくないけど、いらないものをもらいたくない) を大事にしたうえで、それでもいいやって思えたなら初めてプレゼントしてもいいのかな、と私は思います。
間違いなく、考えすぎですね。
でも私はお笑いを生業としている芸人さんたちのことを本当に尊敬しているので、自分が介入するのが申し訳ないという感情があり、(そして私の気持ちが無碍にされるのが怖いという感情があり、笑) こんなふうにまわりくどく考えてしまっているのです。
何度も言いますが、プレゼントとというものは基本的にプラスでうれしいものなので、本当にいいものをあげられる可能性の方が高いとは思っています。

ファンが好きな対象にできることって、お金を払って舞台をみにいったり、直接や手紙で気持ちを伝えたり、ものをあげてみたり。こんなところですかね?
その人のために幾度となくお金を払っているわけですが、これは自分がしたいからしているに過ぎません。そのお笑いが好きだから、観たいから、お金を払うわけですよね。

そのため、「お金を払って舞台を観に行く」「なにかプレゼントをする」ことをしたからといって、それを権利として主張してはいけないと私は思います。
自分がしたいからしただけ。
それを相手がありがたいものだと思ってそう扱ってくれるべきであると考えるのは非常によくないと思います。相手のためになっていない。まわりまわって自分のためにもなっていません。
間違いなく相手の心には響いていてプラスになっているとは俯瞰で見ても思いますが、それを正当化して自分の権利を主張しだしたら終わりだと思うのです。
それが先ほども出てきた「愛を押し付ける」ということです。
自分を認識してほしい気持ちは、もちろん十分にわかりますが、それは相手にとって迷惑であるかもしれない、自分の勝手な押し付けかもしれない、という思いやりが、いちファンとして応援する上では大切なんじゃないかと思っています。

こんな主張をする人も見ました。
「ファンのことをお客さんと同じだと思っているんですね。見損ないました。」
※なんとなく覚えてる感じで書いてます
その軽く燃えている人が、プレゼントをくれる人のことを「お客さん」と呼んだときのコメントです。

私はファンはあくまでもお客さんというか、あくまでもどころか、普通にお客さんだと思うので、買いかぶりすぎだと感じました。
なんというか言葉の綾ですよね。
私的には、「ファン」っていうのは、「ファン」自らによって定義される感じがします。対象にとってファンかどうかより、自分がファンかどうかが大事というか。その、人によってもまちまちであろうラインの言葉を使って人を攻撃するなんて、なんて浅ましいんだと感情が昂ってしまいました。
やはり、私たちは笑いをもらっている立場なので、その点に関してはいくら想いが強かろうがみんな等しい立場じゃないでしょうか?
なにをいってるんだ。だんだんわけわからなくなってきた。

とにかく、友達にあげるんじゃなく、相手にとっては知らない人 (=自分) がプレゼントするんだという覚悟をしないといけないこと、自分がファンというただ応援している立場であり相手に認識される存在では全くないということ、は大切にしておいたほうがいい考え方なんじゃないかなと思いますね。
もちろん、相手が求めているならなにをしたって全然構わないと思います。芸人さんが名前を覚えて認識しているファンの人や、テレビに出るぐらい有名なファンの人もいるし、ファンの人からもらったもので生活してる芸人さんもいると思うし。プレゼント=悪なんてことはまったくありません。私のようにこんな考えにがんじがらめにされてなんにも動けないより、たくさん何かを分かりやすく行動してくれる人の方がよっぽどありがたいファン像に間違いありません。
ただ前提にこの気持ちがないと、かえって傷つく場合があるし芸人さんを傷つけてしまう場合があると、私は思いますね。

こんなところで、常々物申したかったことに火がついたお話、終わらせていただきます。

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