クリムト、クノプフ、ローデンバック

人生とは0を1にすることの積み重ねではない。いろんなところに1が存在していて、一見するとそれらはなんの繋がりもないように思えるのに、何かがきっかけとなって見事にその1を回収していく。そのきっかけを得てから全ての伏線が回収されていく様は、何か人智を超えた力が働いているのではないかとさえ思える。

今回の始まりは、おそらく1度目のベルギー旅行が友達の入院により断念されたことではなかったかと思うのだ。そのためにベルギー旅行は1月の2週目の週末に延期。それはウィーン旅行で私がクリムトの「接吻」に出会った直後のことだった。ウィーン旅行はというとそれもまた弾丸で、なんなら2度目のベルギー旅行よりもあとに決まったものであった。クリムトは素晴らしかった。「接吻」は実物を見ないといけない絵画の一つであると思う。あの幸せそうな表情とその幸せを増幅させるような装飾。最近、本物と触れ合うことの大切さを体感できることが多くて私は「今まで生きていてよかった」と思うのだ。

その後すぐのことであった。家族がパリの美術館で働いているという友達にある企画展の招待券をもらったのだ。(一緒にTresor de Kyotoの琳派を見に行った友達である。)彼女は全部で3箇所の企画展の招待券を持っていて、私に選ぶように促したのだった。その3箇所のどこも知らなかったのだが、私はFernand Khnopffのそれを選んだのだった。その後、彼の経歴を調べてみて驚いた。彼はなんとクリムトと同じウィーン分離派に属していて、生まれはブルージュ。そう、私が訪れたあるベルギーの街である。

そうなると俄然わたしのテンションは上がった。わたしが最近訪れた全ての街に深くかかわっているクノプフとは一体どんな絵を描く画家なのだろうか、と。念願叶って今日、彼の絵を見に行ってきた。

よかった。実に良かった。彼の描く女性のモデルはほぼほぼ彼の妹なんだそうだが(あとで調べた情報。杉浦悦子. (1993). 世紀末から二十世紀へ: クノップフ, ローデンバック, フォークナー. 湘南国際女子短期大学紀要, 1, 284-265.)、ほとんど似通っているけど飽きがこない。どんな題材にも絶妙にマッチしていると同時にどこか現実離れしている感じがした。

彼はブルージュを題材にした作品も数多く書いていて、それらはわたしが行ったブルージュよりもよりおとなしく見えた。ブルージュという街は多くの芸術家を虜にするようで、ブルージュを舞台に文学作品を作った作家にジョルジュ・ローデンバックという人がいる。彼はブルージュのことを死の街、と形容し、妻を亡くした主人公が登場する悲劇を書いた。(wiki情報です。間違っていたらごめんなさい。わたしはプロの作家でもないが百田尚樹でもない。)この作品はのちにオペラにもなっている。(が、結末は変更されたようだ)。

わたしは今日に至るまでこれらのことについて一切知らなかった。けれど調べれば調べるほど、なんだかこのブルージュという街やクリムトの時代の芸術家を取り巻く社会にへの興味が止まらなくなっている自分がいる。ちなみに今この文章を書いている瞬間にはそのオペラを聴いている。早速、明日は本屋に行ってこのBruges-la-Morteという作品を探してみようかと思う。

なぜわたしがこの時代の、この地域で活動していた人々に惹かれるのだろうか。きっと何か訳があるに違いない。そう思うのである。人生とは不思議なものだ。今までならば興味を抱かなかったであろうことがらにあるきっかけを境にしてずんずん引き込まれていく。

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