引っ越し

2月末に引っ越しをしました。ふた月半が過ぎ、新居もずいぶん整い、今日は久しぶりにこちらで記事を書きたくなりました。

引っ越しのきっかけは通勤の悩みでした。日々増えるマンション(人口?住民?)のおかげで、私がうん十年利用している某私鉄の混雑と遅延ぶりはもう悪魔的になってきていて、1月のある朝、突然私は引っ越しを思い立ったのです。そこから10日で物件を決め、契約までに2週間、さらに引っ越しまでに約10日…転勤するサラリーマンさながらの勢いで物事は運んでいきました。その間は仕事と荷造りの往復のような日々が続きました。目が覚めると箱詰め、たまに粗大ゴミも出したりしながら。もう寝てるのか起きてるのか自分でも分からないみたいなことになってました。あの間の私がした仕事、大丈夫だっただろうか笑

引っ越した先は、去年から急に遊びに行くようになった街でした。引っ越す前に住んでいたのは、実家近くのこれまたうん十年住んでいた街でした。引っ越して驚いているのは、あんなに愛着があったはずの住み慣れた街に、今となっては全くもって思いを馳せることがないという自分自身の冷酷なまでのドライっぷりです。

今から5年前、10年以上勤めた会社を辞めました。やりたいことができて、無謀ではあったのですが、思い切って舵を切ってみたくなったのです。無謀はやはり無謀だったようで、それからの3年半、私は冬の時代を過ごすことになりました。今日にも明日にも希望を見出せず、将来には不安しかありませんでした。転々といくつかの仕事を渡り歩いた挙げ句、結局辞めた会社と同業他社に戻ることにしました。いろいろやってみて、自分にはそれがベストと判断したからです。同じ仕事とはいえ、新しい会社で新しい人たちと働くというのはそれなりに大変で、自分なりの立ち位置を築くのに約2年。ようやく住環境を変えてみるかという気持ちのゆとりができたようです。

今思うのは、何事にも潮時があるということです。移ろうべくして移ろうということです。もちろんずっと続けられる人はそれでもいいと思うのですが、移ろう世の流れの中で同じで在り続けるということは、大なり小なり変化していくということでもあり、それは自然の摂理なのではないかと思うのです。冬の時代を経て辿り着いた職場には非常に満足していますし、通勤にうんざりして越した新居での生活は前の部屋よりグッと快適になりました。以前こちらで記事に上げた「Freedom」というカードが思い出されます。(ちなみにあのカードを引いたのは引っ越しを思い立つ前でした。) そう、今の方が自由なんです。

私はいつからこんなに不自由だったのでしょうか。やりたいことをやりたいと言わず、欲しい物を欲しいと言わないでいるうちに、自分でも自分の本当の気持ちがわからなくなっていたような気がします。自分で自分を不自由にしていたということですね。走ったり歌ったりするのは、すごくプリミティブな欲求からなのかもしれません。頭であれこれ考えるまでもなく、歌いたいから歌うし、走りたいから走る。最近は歌うのも楽しくて。私も知らない私の声をもっともっと追いかけてみたいのです。ここにきて自分の中で何かひとつのフェーズが終わった気がしています。終わって、でもここからまた始める…そんなことの繰り返し。

今日はうん十年前からたまに訪れるカフェで記事を書きました。お母さんにケーキセットをご馳走してもらってたお店でひとりモヒート…歳取ったな~笑

追伸:「うん十年前」って何回言ったかな。酔っ払ってはいませんが、書きたいことがたくさんあったみたいで、だいぶとっ散らかりました…

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