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デザインの正解は、なんだかんだ現場によって作られている。じゃあデザイナーである私はどうするのが正解なのか考えた。

エンジニアばっかりのベンチャーに入った当初、ことごとく自分のやりたいデザインが通らなくて、悩んでいた。

言語化が下手くそだったこと、ベンチャー立ち上げ当初にしては経験が浅く、自分だけで完結する細部の調整ばかりに目がいっていたことが原因だったように思う。

毎日、上司とやりとりするもののデザイン案を通すことができず、自分を全否定されたような気分になっていた。「自分は全部が間違っている」と思い込み、基準が揺らぎ、どこにももたれかるところがない空間でふらふらしているような、不安でいっぱいの日々だった。

実は、あの頃考えていたデザイン案やUIの修正案を、タイミングを見計らって実現する作業を2年経った今、やっと進められている。考えていることは、ほぼ変わっていない。どの案がいつ実現できるかと、タイミングを見計らって毎日過ごしている。

見計らって。というのは、私がWEBサービスのUI/UXをメイン業務としているが実装はできないデザイナーだからだ。私がデザイン案を実現するためには、エンジニアさんの協力が必要不可欠である。また、実装のタイミングには経営判断をあおぐこともある。この場合は、経営者の同意や理解も必要になる。それとは別に、個人的にどうしても実現させたいことは、お客様や営業さんの要望が一番盛り上がった時に、無理やりでも滑り込ませるように動く。人と協力してものづくりをするためには、時期を見計らうのがとても重要なのだというのも、やっと気づいた。

辛かった時期は1年くらい続いたが、色々な学びがあったのもその時期だ。辛い時ではあったが、副業を許可してもらっている自分は様々な他の会社の仕事も並行して受けていた。

1の現場でうまくいかないのなら、10の現場で動いてみると客観的に自分を見られる。

本業でボロボロな時に、他の業務に関わったらさらにボロボロでは…と思われそうだが、これがとてもよかった。

本業では「私なんて…」を連発し、粉々に論破されるダメダメデザイナーの私が、別の現場に行くと話を聞かせて欲しいと重宝される。微力だけど手を貸すと、大変喜ばれるということが多々あったのだ。これには私も驚いて、どの現場の自分の価値が正しいんだろうと戸惑った。

ただ単純に、喜んでもらえることで「ちゃんと役に立てる場所もあるんだ…!」とホッとできたりもして、いろんな現場に行くことは精神的にもとても助けられていた。

日中は嗚咽をあげないように静かに、でも盛大に泣きながらPCに向かい、夜は別の現場で「助かった!ご飯に行こうよ!」と、ご馳走してもらいながら大笑いして、今後の業務や夢について話をする。そんな環境的にも、感情的にもアップダウンの激しい日が1年くらい続いたと思う。しばらくしてぼんやり、どんな現場でも通用するデザインの正解とは何か。と考え始めた。

デザインの正解は、なんだかんだ現場によって作られるという現実に対して、どう動くか決めた。

デザインには正解がないというのが、自分の今の結論だ。論理的な人たちが集まっていれば、論理的なデザインが好まれるし、感覚的な人たちが集まっていれば、感覚的なデザインが好まれる傾向がある。赤が好きな人が多ければ、赤がいいと言われるし、青が好きな人が集まれば青がいいと言われる。色にはちゃんと意味があってね…!というデザイン理論も、デザイナーとして大好きだ!だけど実際の現場では、自分も含めたその集団に属する人たちの好みによって、デザインの正解はつくられることが多い。と実感した。

同じく、論理的な人たちの集まりの中で、感覚的なデザインを通すべきなら、ちゃんとロジックを組み立てて提案しないと、通すことは難しい。これはビジネスマンから見たら相手によって言葉や言い回しを変えて交渉する、当たり前のやり方かもしれないが、「自分が思うかっこいい=みんなが思うかっこいい」だと思って、感覚的にものをつくってきた美大卒の私にとって、すぐには見つけられない法則だった。

根っからの感覚派な私は、まず言葉で自分の意図をうまく伝えられていないと感じ始めた。そして論理的なチームの中で働くなら、論理的に物事を伝えられるようになりたいと思った。それからは正直デザインのあれこれよりも、伝える技術を勉強した。本を読んだり、ロジカルシンキングの勉強に力を入れるようになった。その結果、以前と考えていることは変わらなくても、少しずつ自分の意見を理解してもらえるようになってきた。少しずつデザインが通るようになった。すごく嬉しかった。

嬉しかったこと以上に、自分の意見をどうしたら通せるか、現場の好みや傾向を知っておくことは、デザイナーにとってとても大事なスキルなんだと実感した。現場にどうやって最適化するか。時間を割いて向き合うことはとても大事な考察だと知った。そして、それ以上に誰がなんといっても「自分が正解だ!」という意見を、しつこく持ち続けることがめちゃくちゃ大事だと思った。環境に最適化を図りつつ、最適化しないことだ。自分の意見の正誤に関わらず、自分だけは自分を最後まで信じてあげて、小さなアイデアでもとにかく実現し続けることだけが重要だ。という泥臭い結論だ。

同じ人間が出した答えであっても、環境やその時のチーム、状況によってそれは受け入れられたり、受け入れられなかったりする。誰もが納得する正解はどこにもない。それなら自分だけでも自分を信じて、それを淡々と実現するしかない。共感や結果はその後にちゃんとある。ということを身をもって感じた。昔は全員の共感が得られないと、デザイナーとして怖かった。今は、共感より、どうやったらビジネス経験に乏しいデザイナーが、自分の意見をチームに通せるか。通した後どんな結果が得てチームにどう返せるか。ということばかり考えるようになり、怖がる暇はなくなってしまった。

いろんな環境に身を置いて、YESもNOもたくさんもらったからこそ、やっと最近こういう考えにたどり着いた感じがしていている。日替わりで考えが変わっていく毎日だけど、今時点ではこの考えを自分の正解にするために、デザイナーとして試行錯誤したいと思っていたりする。

将来は、小さな連載を数本抱えているおばあちゃんになりたいです。