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『最初の晩餐』試写


園組でキャスティングをされていた杉山さんが企画・プロデュースをしている常盤司郎監督『最初の晩餐』を角川試写室で鑑賞。

父を亡くした家族が通夜に出てきたある料理をきっかけに父と家族の時間を取り戻す姿を、染谷将太主演で描いたドラマ。父の日登志が亡くなり、カメラマンの東麟太郎は葬儀のために故郷に帰ってきた。通夜の準備を進める中、母のアキコが通夜ぶるまいの弁当を勝手にキャンセルし、自分で料理を作ると言い出す。母が運んできた料理は目玉焼きだった。母が作る数々の手料理を食べていく中で、家族のさまざまな思い出が去来していく。染谷が主人公の麟太郎役を演じるほか、姉の美也子役を戸田恵梨香、兄のシュン役を窪塚洋介、両親役を斉藤由貴、永瀬正敏が務めるなど、実力派キャストが集った。監督、脚本は「サザンオールスターズ」のドキュメンタリー映画をはじめ、CMやミュージックビデオなどを手がけ、本作が長編初監督作品となる常盤司郎。(映画.comより)

主人公の麟太郎を染谷将太、姉を戸田恵梨香、兄を窪塚洋介、母を斉藤由貴、父を永瀬正敏が演じる豪華なキャスト。姉の小学生から中高時代を『天気の子』でヒロインの声優もした森七菜が演じていた。
再婚同士の父と母、その連れ子たちという新しい家族になった幼少期を父が亡くなったことで食事とリンクするように過去の出来事と現在を結んでいく構成。


登山家だった父は母の連れ子であった兄が年齢も自分の子供二人よりも大きかったこともあり、彼とコミュニケーションするように山登りをするようになる。一番幼かった麟太郎は年の離れた兄を慕うようになり、母の料理も文句なく食べている。思春期を迎えかけた姉は母の作る料理の味がそれまで食べていたことものと違うこともあり反発をする。次第に五人は家族のようになっていくが、それぞれに抱えた気持ちや距離感に鈍感に、あるいはうまくかくしたり距離を取れるようになっていくのだが、しかし、という話。


家族というのは一番小さな社会であり、共同体である。食事という生命活動に関して欠かすことのできないものを一緒に行うというのはその一員という意味もある。子供は自分では稼げないし、食事もままならないので養われていく。
衣食住、そして、性(セックス)という人間には欠かせないもののうち性は一家における大人が(最初期は)担うものだ。それがあって、子供が生まれて家族を形成することが多いから。つまり、いろんな形態の家族のあり方が模索されていたり、多様性が叫ばれているが一般的な家族というのは赤の他人の男と女が番って子供を成すことで家族という生活形態になることだ。だからこそ、性の役割は父と母であり、子供たちは食事をすることで小さな社会の中で育てられていく。
年を取って両親世代がセックスをしなくなっても、食事だけはしなければならない。つまり、一人になって生活する以外では食事という行為は家族の中では重要なものであり、他者同士のコミュニケーションにおいても大きな意味がある。


元々は別々の家族が新しく家族となる際のコミュニケーション、そして、日々を一緒に過ごしていくことで少しずつ寄り添っていくこと、どうしてもわかりあえない部分も含めて、家族とはなにかと問いかけていく。地方を舞台にしているので方言や田舎の風景も、家族というものを描き出すのはとてもいい。
僕たちはそれぞれの家族の中で育っていたり、新しい家族を形成して生きていく。それはどこにでもありそうで、同じものは存在しない。だからこそ、家族とはなにか?という問いには答えはたぶんない。比べれるとしても比べたところで意味がないものだからだ。
同じ家の中で同じ料理を囲んで食すこと。それは血の繋がりがなくても時間を共有することで大切な人になったり、わかりあえないということが露わになる瞬間かもしれない。
役者陣の面構えの良さ、家族や孤独について考えている人はぜひ劇場で。

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