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『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』

シネマカリテで『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を鑑賞。サリンジャーの代表作でもある『ライ麦畑でつかまえて』はいまだに全世界で年間25万部近く売り上げがあるらしい、なぜそんなにも時代を越えて読み継がれていくのだろうかという疑問はずっとあった。

この映画ではサリンジャーが作家を目指し編集者でもあり大学の創作の授業で講師だった恩師(ケヴィン・スペイシーが演じた)との関係や第二次世界大戦で兵士として戦場に赴いたこと、そして生き延びたが悪夢を見て精神が病んでしまい、その改善として瞑想を始めたこと、最終的にはもう出版しないとエージェントに言い隠遁生活に入るまでが描かれている。

まったく知らなかったが、彼が戦争に行く前に付き合っていた女性のウーナ・オニールが、兵役中にチャールズ・チャップリンと結婚しまったというのは驚いた。ウーナはチャップリンが亡くなるまで添い遂げたみたいなので、チャップリンの伝記を読むと出てくるんだろう。しかし、チャールズ・チャップリンとJ・D・サリンジャーを魅了した女性っていうのは歴史に残っちゃうよなあ。


日本とアメリカでは出版社と作家の関係は違っていて、アメリカではエージェントと作家が契約して、エージェントが出版社に売りこんだり、やりとりをするので作家とエージェントの関係性が非常に大きく、そこでの信頼関係がないとすぐに契約が終わってしまう。村上春樹さんのようにアメリカなどで小説を出している作家はそういうエージェントと契約している。信頼のおけるエージェントと翻訳者という人がいないと日本語で書いている作家は海外で作品を出すことはできない。


サリンジャーは人を信じてなかったというか、信じれないことが起きてしまって公の場所にはまったく出なくなった人だけど、きっと出版したいから小説を書くというよりも書きたいということだけが最優先事項の人だった。

同時に『ライ麦畑でつかまえて』が好評で大きなヒットになると、主人公のホールデン・コールフィールドを自分だと思う少年少女が大量に現れて、彼の自宅前で待っていたり、声をかけられたりということが多発したことも彼が引きこもっていくことになってしまっている。

思春期の不安定な少年少女に寄り添い、ホールデンは自分だと思わせるほどの作品は残り続けるが同時に著者にもダメージを与えてしまう。


ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンはジョンを銃で殺害後も逃げずに警察が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたというのも有名な話だ。不安定な時期に支えてくれるものはごく一部の人間を境界線の向こう側へ行かせてしまうものにもなりえてしまう。

大多数の人間は消費してこちら側にとどまるが、一部の者にとってはあちらに行ってしまう理由づけになってしまうことがある。連続幼女殺害犯で死刑が執行された宮崎勤の何千本もあったという部屋を満たしていたビデオテープの中で、唯一ラベルの作家に「さん」づけされていたのが宮崎駿だったように。

彼の中にあった「孤独」が分身でもあるホールデンにあったからこそ、届き続けるのだろう。彼は作品を発表しなくなっても書き続けたのだと思うけど、今の時代ならネットのブログでひたすら書いたりしていれば、なんとか読めたり、残ったりはする可能性があるが、出版されていないものや昔のものは読みようがない。物質というものとして書籍で形を成していないとそれらは永遠に失われて読むことができない。彼はそれを望んだのだろうが。

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