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『旅のおわり世界のはじまり』

黒沢清監督『旅のおわり世界のはじまり』をユーロスペースで。『回路』以降は八割方劇場で観ているので、僕は黒沢監督好きなんじゃないかな、たぶん(笑)。
『回路』とか『ドッペルゲンガー』とか以降の作品も黒沢作品にある仄暗さや見えないけど感じる気配とかは世紀末以降の世界ではずっと同時代性があると感じていた。それを文学的にやってる感じがする。決してエンタメ的ではない。この映画はフィクションとノンフィクション的な要素が重なりあう多層なドラマだった。
黒沢監督は『ドッペルゲンガー』や『岸辺の旅』などでも多層化する世界と個人を描いてきたので、違和感はほとんどなかった。
今作では『世界ふしぎ発見!』で海外をレポートしているタレントさんを前田敦子が演じるような設定だ。その撮影クルーと現場リポートや移動やアクシデントをさらに映画のクルーが撮っているわけだ。ここでまず二層と言える。前田敦子演じるタレントはいつか舞台で歌いたいと思っている。本当は演劇やミュージカルなどをやりたいが、現在はレポーターの仕事をしている設定。しかし、前田敦子はAKB48の不動のセンターだったことを私たちは当然ながら知っている。ここに演じている前田敦子というタレントの現実と演じている役割も二層になっている。また、ロケはウズベキスタンで行われており、作中に東京に関する報道がテレビで流れるという意味でも二層であるとも言えた。冷戦が終了して以降は「大きな物語」(みんな共有できていた物語)は終焉し、ネットとSNSで「私」を語ることが加速した。分断されていく世界では、メタ構造しか、いや、メタ構造とメタフィクションが一番リアリティを持つものとなっている。漫画家が漫画家について描くように、小説家が小説家について書くように、私たちはいつしかフィクションとノンフィクションの混ざり合う世界にどんどん馴染んできている。あとこの映画は前田敦子にとっての「旅(アイドル=AKB48)のおわり世界(女優=一個人の女性)のはじまり」を黒沢監督がどうしても撮りたかった作品なのだろうということは一番強く感じられた。

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碇本学

82年早生まれ。ライターときどき「monokaki」編集スタッフ。 「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」連載中。「PLANETS」メルマガで「ユートピアの終焉 あだち充と戦後日本の青春」連載中。
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