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『ジョーカー』

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『ジョーカー』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。満席だった。しかし、この映画をポップコーン食いながら観てるやつの気が知れない。
コメディアンになりたかった道化師(ピエロ)のアーサーがジョーカーになっていく様を観ながら、何度も泣けてきた。関係ないけどNetflixで見てるドラマ『アトランタ』出演者が二人出ていて嬉しかった。
アーサーと自分の小説をパクられたと京アニを燃やし、殺戮をした青葉が重なる。彼が小説家志望だったのか、原作者になりたかったのかは知らないが、彼は物語を作ろうとしたがなれなかった。
宮崎勤にしろ、少年Aにしろ彼らの部屋には書きかけの、終わらすことができなかった小説があったと言われている。


小説を、文章を書くことはセラピーになる。しかし、一部の人間には被害妄想などの精神的なダメージを与え、最悪な場合は深刻なことになる。しかも、小説を書いて投稿する小説投稿サイト=プラットフォームは読者(ユーザー、ユーザーとかコンテンツと言い出した時に出版業界界隈は大事なものを失ったと思う)から直接反応がある。普通に精神がタフでないとそもそも耐えきれない。


表現なんて恥ずかしいものを人に晒す、自意識と自己顕示欲が否定される、その時、アーサーのように大事なものがどんどん崩壊していく。コンテストで賞を取ったり、編集者から声をかけられてデビューできるような人間は文章も書けるし、比較的精神がタフだ。そうじゃない人は負のスパイラルに陥る。まあ、デビューしてから病む人ももちろんいるが。
負のスパイラルに入った人たちは作品をパクられた、誰々さんにSNSで誹謗中傷を受けているなどの被害妄想がますます増して精神が壊れていく。実際に作品がパクられたり誹謗中傷をされている人もいるからさらに複雑に問題が入り交じり多層してしまう。


小説投稿サイトというプラットフォームは大塚英志的に言えば、アガルタの門を開いたという感じだろうか。門を開いて神≒悪魔に願いを叶えてもらえば、同じぐらいの罪を背負うことになる。例えば、転生し七回愛するものを自らの手で殺めるという罪を。


ジョーカーとなったアーサーはゴッサムシティにカオスを解き放つ。
ただ、暴力がそこにはある。
貧しいものたちが富むものたちから奪う。残念ながら今の世界とリンクしている、いやしてしまっている。そして、わかっていたけど見ないようにしていた青葉の問題は僕らではなく、僕の問題に直結してしまう。その感覚。
僕は運がいいというだけでダークサイドに落ちていない、という認識がずっとある。出版関係の知り合いが増えれば増えるほどに、ほとんど高学歴で名前の通るいわゆる一流な出版社とか大手企業な人たちの知り合いが増えていく。僕に大概優しいのは、本来的な資質なのか、余裕があるからなのか、自分が舐められてるだけなのか。ただ、そこにたいしてさほど怒りもなく憤りもないのは、壊れてしまうほどにはたぶん落ちていないから。ただ、たまに思うのは精神的にタフすぎるのか、そもそも最初から壊れている可能性も頭をよぎる。


アル中みたいなもんで、体が丈夫じゃないとアル中になる前に人は死ぬように、壊れていても体が丈夫すぎれば気づかないままかもしれない。
ジョーカーから青葉を見いだした以上は、このジョーカーみたいにダークサイドに堕ちて、尚且つ時代性ともリンクしても、ほとんどの人には共感されることもなく彼に向かい合えってことだろうか。


菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」第30回「てもみんでの妄想、トリキでの不安

これ読んですごく納得がいったし、思っていたのってこういうことだなって思ったんだけど、たしかにSNSって飲酒だ。スマホが普及して多くの人が SNSをしてるってことはほぼ酩酊状態なんだから、まとな判断もできないし、会話も成り立たない。自分のことに関して宣伝もできるし卑下して同情を買いたくもなる。
インフルエンサーとは素面の人間にひたすら酒を飲ましていくことだ。まともな判断ができないようになれば、冷静に物事を考えることはできない。でも、インフルエンサーが悪いというだけではなく、スマホというのはそうやってものを簡単に買わせるためのものなのだから、それを使いこなす人がそうやってひたすら酒を飲ますのはスマホでものを買わせるための常套手段でしかない。


飲みの席だから無礼講だ、といっても言ってもいいこと悪いこともある。関係性の問題だ。そこでみんな酔ったままで顔も知らない人やなんとなくしか知らない人に絡んでいくのならばロクなことにならない。そもそも酔ってない時に言わないことを酔っているからといって言ってもいいわけではないのに、みんなSNSではとくにTwitterではそれをやらかしている。しかも、それが時代の雰囲気になっている。つまり、SNSをしないのは断酒に似ている。気がついたら7月からSNSはツイートしたりポストしたりしない期間にしていたが、僕なりのSNS断酒だったのだろう。


だが、みんなが酩酊状態の中、素面の人間がいても会話は成り立たない。そして、禁酒法があっても裏でアルコールを作っていたように、一度酒の味を覚えた人類は酒を飲むことをやめることはできない。 SNSも同じことだろう。 僕らはもうSNSで酔えることを知っているのでこれが世界からなくなることはたぶんない。


普段から酔ってる人がSNSをやればより酩酊中の酩酊だ。アル中になれる人は体が丈夫な人だけど、たいては飲み過ぎたら病気になるか体を壊す。僕は家ではお酒を飲まない。誰かと一緒かお店に行った時にだけ飲んでいる。実際に誰かと会ってお酒を飲むは好きだ。でも、酩酊して迷惑をかけたくないし、酒の席だけで本音を言うというわけでもない。飲まなくても信頼してる人とは話すし、飲んでいても信頼してない人には話さない。


SNSの使い方、十代がやらかすのは当然だ。大人ですら酩酊状態でちゃんとしてないのに子供がそれを使えばまともな判断ができるわけがない。
僕らは酔った人とどう付き合うか、その時にどう対応するかをしっかりしてないといけない時代に生きている。アメリカ大統領が酩酊がひどくていろんなことをツイートする度に世界でニュースになるのだから、酔っ払いのおっさんにまとな説教をしても通じない。しかも、酔っ払い同士が喧嘩して世界が混乱するなんてマジでゲロまみれで馬鹿馬鹿しい世界だ。


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