ウィルソン麻菜

ものづくりライター。noteでは国際結婚や子育てで感じたことや仕事のことを。ちいさな心…

ウィルソン麻菜

ものづくりライター。noteでは国際結婚や子育てで感じたことや仕事のことを。ちいさな心の揺らぎを忘れないための日記や、考えたことをぐるぐる内省する文章を書いてます。ジェンダーやルッキズム、マイクロアグレッションにも興味あり。記憶を言葉にするプロジェクト「このひより」始めました。

マガジン

  • きみたちと過ごす日々はここに

    娘が生まれた。息子も生まれた。ずんずん大きくなる。はやく元気に大きくなあれ、だけど、そんなにすぐに大きくならないで。眠いとき、イラッとしたとき、辛いとき、でもほとんどが、幸せで嬉しいときを綴った母としてのエッセイ集。何気ない子どもたちの様子を、母の心の揺らぎを、きみたちと過ごす日々をここに。

  • #このひだより

    • 20本

    インタビューギフトサービス「このひより」からのお便りです。新着情報や、運営チームの想いについて定期的に発信しています。

  • 愛しいものを追いかけて。<ものづくりライターの日々>

    「生まれた場所を知れば、物はもっと愛おしい」と気付いてから、物の向こう側を伝えるために書いているライターです。職人さんやメーカー、作り手のインタビューをしています。どんな場所で、どんな人が作ったものなの?ということを知って、大好きになったものたちに囲まれて暮らしたい。そんな私のライターとしての日々をまとめます。

  • #大切な日が言葉になったなら

    • 12本

    インタビューギフトサービス「このひより」が贈る、「大切な日」を文章に残すプロジェクト。読みながら「自分のときもそうだったな」と思い出したり、「いずれこんな日がくるのかな」と未来に思いを馳せたりできる場です。あなたの大切な日は、いつですか?

最近の記事

  • 固定された記事

<自己紹介>「ライター・ウィルソン」の話をしたいと思います。

「打席にも立てていないってことなんですよ」 ライター仲間の貝津さんに、ギクリとする言葉をもらった。こんな仕事がしてみたい、こんな働き方がしたい、と話していた末のことだ。 「私たちはこんなにもライターとして届けたいことがハッキリとしているのに、それを伝えてきていない。これはベンチで素振りばかりして、打席には立ててないということらしいんです!」 なるほど。そういえば先日、別の人にも「こんな想いでライターやってて……」と話したら「全然知らなかった!もっと発信した方がいいですよ

    • 女の子と男の子、どっちも育てる母としてこの社会に思うこと。

      女の子のお母さんになって見える世界お腹にいる子の性別が「女の子」だとわかったとき、私は喜びもありながら、実は気の重さも感じていた。 なぜか昔から女子同士の争いに巻き込まれることも多かったし、もちろん生理や妊娠の大変さ、それに伴うキャリア形成の難しさなども知っている。自分がある程度「女の人生」を歩んできたからこそ、大切な娘もあの世界に突っ込んでいかなきゃいけないのかい……と、憂鬱だった。 今でも、一番つらくなるのは、性被害の話だ。 高校時代、毎朝のように痴漢に遭って教室で

      • 「ラプンツェルになりたい」娘の髪をとかしながら、母は泣く。

        娘の髪の毛が、憎い。 この6年間、七五三の直後に一度切っただけのロングヘアは、すでに娘の腰にまで届く勢いで成長を続けている。そして、私はそれを洗面所で、ダイニングテーブルで、風呂場で、親の仇でも討つかの形相でとかし続けている。 娘の髪の毛は細くて繊細で、すぐにリカちゃん人形のようにこんがらがってしまう。どれだけ丁寧にブラッシングしても、翌朝には後頭部に3羽はヒナが住めそうな鳥の巣が完成している。私はそれを、毎日毎日毎日毎日とかす。野生の暴れ馬の尻尾をとかす人がいたら、こん

        • いまだ"敬語”との距離感がつかめん

          「あのね、先輩には敬語を使わなきゃいけないの」 音楽室前の廊下で、衝撃が走った。心臓がドキドキして、顔がカーッと熱くなったのがわかった。中学1年の春のことである。 中学に入って、私は幼稚園からずっと仲良しだった幼馴染と同じ吹奏楽部に入った。幼馴染と言っても、私より学年はひとつ上。小学生までは「先輩・後輩」なんて概念もなく、単純に「友達・近所のお姉さん」だった人だ。これまでは年齢や学年なんて意識せず、ずっと「ちゃん」づけ・タメ口だったのだ。そう、ほんの2週間前までは。 「

        • 固定された記事

        <自己紹介>「ライター・ウィルソン」の話をしたいと思います。

        マガジン

        • きみたちと過ごす日々はここに
          49本
        • #このひだより
          20本
        • 愛しいものを追いかけて。<ものづくりライターの日々>
          6本
        • #大切な日が言葉になったなら
          12本

        記事

          イアンに続け!考えすぎる私の解放ものがたり

          ライター仲間の甲斐イアンちゃんの言葉に、ギクリとした。「はい、それ私です」と降参ポーズで両手を挙げたくなる。 何を隠そう、私もかれこれ数年間ずっと黒髪で、息子が生まれてからは刈り上げ上等の短髪を続けてきた。もちろん黒髪ショートが悪いのではない。むしろ大好きな髪型である。が、ギクリとしたのは、そのモチベーションが「だってメンテできないし(どうせ私なんか)」みたいな、ネガティブなものだったところにある。 イアンちゃんの言葉に揺さぶられた人は多かった。SNS上でみんなが「わかる

          イアンに続け!考えすぎる私の解放ものがたり

          1年前、私は生き方の「答え」を求めて、ある学校に入った

          2022年、私は2人目の育休を終えて仕事に復帰した。 ライターとして働き始めてすぐ、立て続けに2回の妊娠・出産を経験した私としては、「よーし、いよいよ子育てとキャリアの両立が本格的に始まるのだ……」と、意気込んで子どもたちを保育園に送り出したのを覚えている。 ところが。4歳児と1歳児を育てながら、自分のキャリアも育てていく、というのはなかなかの至難の業。世の中の多くの人は家庭と仕事の両立ができているはずなのに、私は数ヶ月であっという間にパニック状態になった。 仕事中には

          1年前、私は生き方の「答え」を求めて、ある学校に入った

          「はじめまして」はいつもクリスマス

          2011年の冬、私はバカでかいスーツケースを持ってシカゴに降り立った。心臓と胃のあいだみたいなところが痛む。緊張している。これから2週間ばかし、彼氏(今の夫)の家族とクリスマスを過ごすのだ。 「冬のシカゴは信じられない寒さだから」と、夫に聞かされてビビった私は、ありとあらゆる冬服をスーツケースに詰め込んできた。ニッポンのテクノロジーを詰め込んだヒートテックはもちろん、ジャケットもダウンも、室内で履くためのフワフワの靴下も全部だ。 それを見た夫は腰を抜かして「なんでこんなに

          「はじめまして」はいつもクリスマス

          「お前が信じる俺を信じろ!」の結果、名のない仕事ができた話

          こんな“仕事”が成立するのか……と驚いた話をしたい。ライターの仕事は幅広いとは聞いていたけれど、本当に「機会の数だけ仕事はある」のだ。私はいまだに、この仕事に肩書きや名前をつけられずにいる。 「noteの連載を始めようと思ってて、タイトル何がいいと思います?」 ことの発端は、2022年の正月。取材相手だった前川裕奈さんにカフェで雑談混じりに相談されたことだった。以前にメディア記事で取材をさせてもらい、改めて別の記事のために取材をさせてもらったときだった。取材を終えたあと、

          「お前が信じる俺を信じろ!」の結果、名のない仕事ができた話

          覚えておくことを諦めそうな私とあなたへ

          「子育てはおもしろいから、たくさんメモしておいたらいいよ」 妊娠がわかったとき、ライターの師匠がそう言ってくれたのをきっかけに、私はnoteを始めた。実際、妊娠も出産も子育ても、めちゃくちゃおもしろい。身体の変化は摩訶不思議だし、子どもの動きは魔法のようにまったく予想がつかない。 そして書き始めてみたら、なにより自分の「心の機微」がおもしろいと思った。ぼーっとしていたら過ぎ去ってしまう感情を、時に丁寧に言葉にしてみて、ああでもないこうでもないと考えをこねくり回す。何に喜び

          覚えておくことを諦めそうな私とあなたへ

          スワンの悲劇〜今年2度目の厄”落とし”〜

          私と、ある大きな公園の落とし物担当者の電話での会話である。これが事の全容であり、これ以上なにかを書く必要もない。ただ、気持ちの成仏のために、もう少し書き進めてみることにする。書いたところでどうせ財布が帰ってくるわけでもないのだが(ヤケクソ)。 さて、もう9ヶ月も前のことになるが、私は年末にスマホを落として、年始にウニを踏ん付けるという「レッツ☆厄年」みたいな始まりで、2023年を迎えた。 ミラクルの末に無事にスマホが手元に戻り、皮膚科のレディたちのおかげでウニのトゲも抜け

          スワンの悲劇〜今年2度目の厄”落とし”〜

          子どもたちの“好きな風景”が、よりよい未来をつくると信じて

          「環境問題と子育ては、相性が悪い」と思った。 子どもを産んでみると、環境について考えるのが一気に難しくなった。毎日大量に捨てる紙おむつも、プラスチックのおもちゃも、疲れた夜の冷凍食品も。息を吐くように自然とゴミが出る。そんな環境で、子どもたちに「環境問題を考えよう」なんて言えるのか、と自問する。 同時に、子どもの寝顔は私に「よりよい未来」を切望させた。これからを生きるこの子たちに、どうすれば持続可能な社会を残してあげられる?どうすれば、環境問題を身近に捉えてくれるように育

          子どもたちの“好きな風景”が、よりよい未来をつくると信じて

          私の人生を変えた「3つの告白」

          「ずっと好きでした!」 ある3月の、もう暗くなりかけた頃だった。15歳の私は自転車にまたがっていて、同じように自転車にまたがってこちらを振り返っている彼にそう言っていた。言った、ついに言った……!中学校の卒業式のあと、サイゼリヤでの打ち上げの帰り道。分かれ道の前の交差点が、最後のチャンスだった。 ひょろりと細長い体型も、中性的な顔つきも、グループの中心から少し外れたところでみんなを見ている眼差しも、全部けっこう好きだった。狂おしいほどに惚れていたかと言えば、もう記憶は定か

          私の人生を変えた「3つの告白」

          母が「まだ生まれてないけど」と言う理由がわかった初夏の日

          「まなちゃんが生まれたのは夜の9時だから、この時間はまだ生まれてないんだけどね」 記憶のある限り、誕生日に何度この言葉を聞いたかわからん。私の母の言葉だ。 朝一番に「誕生日おめでとう!」と言われるときも、みんなでお祝いしているときも、ケーキを食べているときも。私はそれを聞くたびに、ちょっとだけお祝いムードの腰を折られる感じというか、「それ、いちいち言う必要ある?」と苛立つことさえあった。 私の誕生日は「私の誕生日」であって、正直、産まれた時間はどうでもいいんや。「まあ、

          母が「まだ生まれてないけど」と言う理由がわかった初夏の日

          ふたりの私が向き合うとき、左手の中指をみる

          「あーやばい、あのメールに返信しなきゃ……」 子どもたちが「みてーみてーみてーみてー」と壊れかけた人形のように迫ってくるのに生返事をながら、私はだめだと思いつつもスマホを見てしまう。 「あれ、明日の保育園に持っていくシーツ洗ったっけ?」 目の前の原稿に集中せねば……と思うほどに、やり残した家事や子育ての用事ばかりが思い浮かぶ。 心ここに在らず。 この言葉がぴったりな状況で、子育ても仕事も中途半端。私を求める子どもたちの相手も全力でできず、がんばりたい仕事にも全集中が

          ふたりの私が向き合うとき、左手の中指をみる

          スマホをなくした年末、ウニを踏んだ元旦

          もうタイトルのとおりすぎて、特にこれ以上書くこともないのだけど(笑)、年始のご挨拶を。 今更ながら、あけましておめでとうございます。突然だけれども、33歳になる今年は、後厄だそうで。すみません、私、厄年とか全然信じてなかった。でも、この年末年始は「厄」という言葉が頭をよぎる瞬間が何度もあったのです。 めちゃくちゃ楽しみにしていた年末のアメリカ帰省が ・駅員のミスで成田エクスプレスに乗れなかった事件 ・母のESTAがなく、飛行機に乗れないかも事件 などのストレスフルな

          スマホをなくした年末、ウニを踏んだ元旦

          残念な知らせに、娘は「わーい」と笑った。

          子どもの喜ぶ顔が見たい。特に休日はそれだけを原動力に生きていると言っていい。どんなに大変なことだって、嬉しそうな笑顔を見せてくれたら頑張れる、というのはあながち比喩ではないと思う。 ただ、いつもフルスロットルに喜ばせられるわけでもないのが正直なところで。 むしろ、「もっとああしてあげればよかった」「これもやってあげたらよかった」と後悔してばかり。コロナ禍やもともとの出不精が重なって、あまりたくさんの経験をさせてあげられていないことに、常に罪悪感を感じていた。子どもとこんな

          残念な知らせに、娘は「わーい」と笑った。