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さよならおっぱい

春、卒業の季節だ。もうすぐ10ヶ月になる私の娘も「卒乳」した。

本当は7ヶ月くらいでおっぱいは飲まなくなっていた。それに、卒業と絡めるのであれば3月中に書くべきだった。でも今日、さっき、卒乳を感じざるを得ないことがあったから、書く。

あれ、おっぱいだよ?

久しぶりに娘を抱えてお風呂にはいった。

一時期は抱っこでお風呂に入っていたのだけど、最近では、もっぱらベビーバスで娘だけを洗う。アメリカンスタイルというやつだ。(そう呼ぶのかは知らない)

でも今日は、なんとなく「久しぶりに一緒に入ろうかな」と思い、はだかんぼうの娘を抱っこして湯船に浸かった。最後にこうやってお風呂に入ったのはいつだったか、3ヶ月くらいか。

あれ?と思った。

以前、一緒に湯船に浸かったとき、娘はおっぱいに夢中で、隙あらば吸ってやろうとヒナ鳥みたいに口を開けていた。お湯や石鹸を飲み込んでしまわないようにするのが大変だったっけ。

それが、なかった。

あの頃に比べてずいぶん背丈が伸びた娘は、目の前にある、かつて虜だったものがまるで目に入らないかのようだった。(でも、ときどきつまんではいた。痛いよ)

「授乳なんてなければ」と泣いた日

およそ10ヶ月前、産院から赤子を連れて帰った日からの生活は順調だった。赤子は信じられないくらい可愛く、近くに住む母が助けてくれ、協力的な夫が率先してオムツを替えた。産後は落ち込みやすい、なんて嘘でしょう?と「産後ウツ」のかけらもなかったのだ。

でも授乳だけがうまくいかなかった。

多くの人がそうだと思うのだけど、おっぱいなんて出産したらきれいに母乳が出て、赤子はみんな上手に飲めるんだと信じていた。だって本能でしょ、飲めるでしょ。幸い、母乳はじゃんじゃん出た。

でも、赤子はまったく飲んでくれなかった。え、産後のカンガルーケアでがんばって吸ってたのは演技だったのか…?と思うくらい、おっぱいを見るたびにギャン泣きして、顔を真っ赤にして怒り狂って、嫌がった。

私も産院で教わったし、頭ではわかっていた。「うまく飲めないから怒っているんだ。ちゃんと上手にくわえさせてあげれば飲める、大丈夫、大丈夫」

だけど、おっぱいに向かって泣き叫ぶ赤子を見るたびに、自分自身が拒否されているような気がして、母親失格な気がして、1日に何度も訪れる授乳の時間が辛かった。

母乳を飲んでもらえない私の胸はどんどん硬くなり、痛みを和らげるために、手で母乳を絞った。さながら牛だった、本当に。せっかく作られた母乳は赤子のもとへ行かず、タオルに吸い込まれて捨てられた。

「授乳さえ、満足にできない私はなんてダメなんだ」

夫は育児が上手で、沐浴もオムツ替えもミルクをあげるのも、私より手際がよかった。「パパ、とっても上手!」助産師さんも母も、夫を褒めていたし、私もそれが嬉しかった。でも今、頭に浮かぶのは「それに比べて私は」。

「もうちょっと、こうしたら?」というさりげない助言で、プツン。気が付いたら号泣していた。もうだめだった。

プロはすごい、本当にすごい

「お願いだから助産院に行って」

そんな私を見かねて母がしつこいくらいに頼んできた。一度、助産師さんに教えてもらいなさい、きっと助けてくれるよ、と。

私は「授乳くらい自分でできないと」と思っていたので、だいぶ渋っていた。こんなこともできなくて恥ずかしい。呆れられるか、怒られるかも。母乳も出てる、あとは飲ませるだけなのに。まだ大丈夫、まだできる。

それでも母があまりにしつこくて、そして、泣き叫ぶ赤子と向き合うひとりきりの午後はあまりに長くて、私は助産院に電話をかけていた。

「すぐ来ていいですよ」

そう言ってくれた助産師さんは、叱ったりしない優しい人で、「うんち」のことを「ウンコ」と呼ぶ、かなり好感がもてる人だった。

「あー、かなり張ってるねえ!これじゃ赤ちゃんがうまく吸えないから、柔らかくしてあげてから、ガッとくわえさせちゃお!」

そんなん知ってるわい、と思った。だからタオルびしゃびしゃになるまで絞ってからあげようとしてたんじゃい、と。そうしたら助産師さんが、哺乳瓶を持ってきた。「母乳もったいないから!これで両乳から受けて!あとで飲ませようね!」って言ってくれて、娘はそのあと数日ぶりに私の母乳を飲んだ。

そのあと助産師さんは、いろんなことを教えてくれた。乳首を柔らかくするときは、結構奥のほうまでやってあげましょう、とか、縦抱きのほうが今は飲みやすいかもね、とか、哺乳瓶であげるときも乳首のくわえ方を気をつけてね、とか。目からウロコなことばかり。

「でも、この赤ちゃんは飲むのが上手ねえ。今までおかあさんががんばってくわえさせてたから乳首にもすぐ慣れる。それに哺乳瓶でちゃんとミルクをあげてるから吸う体力もついてる。おかあさんががんばったの、ちゃんとできてますよ!」

うれしかった。娘が泣かずに私のおっぱいをくわえてくれたこと。今までがやってきたことは無駄じゃなかったこと。もう母乳を捨てなくてもいいこと。

帰り道は、胸も心も軽かった。「もう大丈夫」と夫と母にメールした。

納得して迎えた転換期

その後、赤子はぐんぐんとおっぱいを飲むようになり、私もずいぶんと楽に母乳をあげられるようになった。よかったなあ、なんて思っていたのだけど、その期間は思ったよりも長くなかった。

最後がいつだったか、正確には覚えていない。

赤子はとにかくお腹がすいていて、離乳食が始まってからは母乳だけでは全然もの足りなそうだった。母乳もあげるけど、ミルクも足す。そのうち、母乳は寝る前に飲む程度で、あとはミルク。

ああ、そろそろ終わりかな、と思った。でもそこに寂しさは全然なくて、「歯も生えてきて痛そうだし、仕事も復帰するし、ちょうどいっか~」と、授乳ブラをしまい込んだ。もうすっかりサイズも合わなくなっていたので。(妊娠前より小さくなった、ぜったい)

最後がいつだったか、正確には覚えていない。

でも、もう飲んでないことがわかった日があった。たしか、どうしても泣き止まない夜、ひさしぶりにくわえさせてみたときだったと思う。娘は自分を落ち着かせるように一生懸命吸っていた。でも何も出なかった。

「もう、最後かな」そう思って、ミルクをあげた。

さよなら、おっぱい

多くの人が卒乳や断乳を、さみしいと言う。私には、その感覚が薄かったように思う。もうちょっとあげてもよかったかなあ、と思いつつ、夫も家族も「別にいいんじゃない」と言うし、まあいっかと思えている。私自身が納得できているのは、すごく大事なことだ。

でもね、今日のお風呂ではさみしくなってしまったんだよ。もう覚えてないんだろうなって。

おっぱいに見向きもせず、オモチャが気になる娘を見て、ねえ、本当に忘れちゃったのかい。あんなに大変だったじゃないかって。

きっと子育ては、こんなことばかりだ。赤子は覚えていない、たくさんの思い出が私のなかに溜まっていく。だから書いて、残すよ。大変だったこと、嬉しかったこと、忘れたくないたくさんのこと。

いつが最後かもわからず、ちゃんと言ってなかったから、今日をきっかけにさよならしよう。短いあいだだったけど、大役おつかれさまでした、私のおっぱい。卒乳、おめでとう。

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