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大好きな街で思い出す人のこと

アメリカ、サンフランシスコに来ている。

娘を連れて、はじめての飛行機。9時間のフライトに耐えられるか緊張しながら搭乗したものの、大声で泣くこともなく無事に到着した。いい子すぎる…!

サンフランシスコは、私が大学時代に留学生活を送っていた街だ。日々進化する最先端の街でありながら、ケーブルカーに並ぶ観光客の列、すれ違う人々の人種の多様さ、曇り空に急に照りだす日差しの強さなんかは全く変わっていない。私が大好きなサンフランシスコそのままだ。


通っていた大学のそばを通り過ぎると、忘れかけていた思い出がフラッシュバックのように蘇る。

緊張して泣きそうになった(というか泣いてた)初日のオリエンテーション、初めて友達ができた教室、授業の合間に寝転んだ芝生、おしゃべりが止まらなかったカフェテリア。

他にも、「酔っ払いすぎて他の乗客に助けられた最終バスの話」や「ハロウィンにゲイバーでめちゃくちゃ酔っ払った話」など鉄板ネタを含め、まあ思い出は尽きない。(酔っ払った話以外もあります)

でも今回は、あまり人にしていないサンフランシスコの思い出話をしようと思う。ここ数年、ほとんど思い出さなくなっていたのに、今回の旅のあいだは頭から離れなかった人の話だ。

ーーー

私とデイブは「Philosophical Issues of Sexuality」という授業で出会った。

フェティシズムや同性愛などのセクシュアリティについて、哲学的側面からディスカッションをするクラスだ。私はたいして英語もできないくせに「せっかくサンフランシスコに来たし」という留学生っぽいダサい理由で、その授業を取っていた。

案の定、すぐに後悔することになった。先生の言っていることもわからなければ、教科書に出てくる言葉もほとんどわからない。とにかく読み物の多い授業でもあった。「これはやばいぞ!」と焦って宿題を確認したのが、隣に座っていたデイブだった。

黒髪で背が高くて優しい目の彼。哲学専攻であると自己紹介するその口調は穏やかだった。私の拙い英語も一生懸命に理解してくれたし、わかりやすい言葉で話してくれた。授業中、難しい言葉が現れるとノートの端に別の単語を書いて教えてくれた。信じられない面倒見の良さである。

ところで、私は大学まで車で20分のところを、バスで1時間かけて通っていた。寝たり、音楽を聞いたり、まあほぼ寝ていたので苦痛ではなかったのだけれど、それを知ったデイブは、なんと時間の合う金曜日に、私の家まで車で迎えに来て学校まで乗せていってくれた。「家が近いからいいんだよ」と彼は言ったけれど、そんなに言うほど近くはなかったと思う。

車に乗り込むと、彼はいつも音楽のボリュームを下げていろんな話をしてくれた。授業のこと、家族のこと、これまでの人生のこと、将来の夢のこと。

ふとしたときに触れた私の誕生日を覚えていてくれて、大学の名前が入ったTシャツをプレゼントしてくれた。XLサイズだったけど。

英語もできない日本からの留学生に、本当に親切にしてくれたと思う。週に一度の授業だったけれど、彼には本当に助けてもらった。

ーーー

日本への帰国が迫ってきたとき、私はなかなかデイブと会うことができなかった。授業や帰国準備、最後の思い出づくりが忙しかったのだ。デイブは何度か連絡をくれていたけれど、会えないままに夏休みが近づいていた。つまり私の留学生活が終わろうとしていた。

「僕は、今日で授業が終わりなんだ。今カフェテリアなんだけど、大学にいたら会えるかな」

そのメールが届いたとき、私は家にいた。何をしていたかは覚えていないけど、たぶん私のことだからダラダラしていたんだろう。大学までバスで1時間。正直なところ、ちょっと迷っていた。「いつかアジアに旅行に行きたいんだ。日本にも行くよ!」と言ってくれていたしなあ。

「ごめん、もう家なんだ。また日本でも会えるよね?」

そう返信を打って、考えて、消した。やっぱり会いに行こう。

大学内の庭にあるベンチで、彼は座って待っていた。グレーのパーカーの上に、黒いレザージャケット。いつものデイブの格好だった。1時間近く待っていてくれた彼の姿を見たら、なんだか寂しさがこみ上げてきて、私たちは何度も何度もハグをした。

「本当にありがとう」
「出会えてよかった」
「必ずまた会おうね」

ーーー


日本に帰国した翌週だったと思う。デイブが死んだ、と連絡が入った。

詳細はわからないけれど、旅行先の海で溺れて亡くなったそうだ。「夏にスペインにいる友人に会いに行く」と楽しみにしていた彼の顔が浮かんだ。

私とデイブは、本当に短い期間しか一緒にいなかった。週に一度、20分のドライブと授業で隣に座っていただけだ。半年前までは、まったく知らない人だったわけで、親友だったわけじゃない。

それなのに、自分でも驚くほどに涙が止まらなかった。

サンフランシスコでホームシックになったときよりも、遠距離だった彼氏と離れたときよりも、空港で友達と別れを惜しんだときよりも、どんなときよりも激しく泣いた。「たった半年しか一緒にいなかったのにな」頭ではそんな冷静なことを考えているのに、彼にもらったTシャツを握りしめながら、私はずっと涙を流していた。

ーーー

今、こうやってサンフランシスコに娘と戻ってきて、ふと思う。

もしデイブが生きていたら。

可愛い赤ちゃんを連れてきた私を、どうやって迎えてくれるだろう。きっと満面の笑みで、ハグしてくれるんだろうな。たいした思い出話もないけれど、それでもいいから会いたかった。娘に会ってほしかった。

私は彼のお墓がどこにあるのかも知らない。彼はもう、この美しい街にはいない。

たくさんの涙のあと、私の中で彼の不在を消化できているのは「最後のさようなら」があったからだ。

あのとき「次に会ったときでいいや」と思わずに会いに行って、しっかりと感謝を言葉にして、それが彼に伝わったと目を見て確認できたから。自己満足かもしれないけれど、そのおかげで後悔はしていない。

ーーー

今回の旅でも人混みの街中を歩き、轟音の鳴り響く地下鉄に乗って、お気に入りのレストランに行く。学生時代に戻ったみたいな気分だ。

大学時代の友人や大切な人たちと、久しぶりに会うこともできた。

「会えてよかったよ。また必ず会おうね」

そう言いながらハグして別れるとき、私は「もしこれが最後になったら」と考えてしまう。縁起でもないけれど、どうしても頭をよぎってしまう。

だから私は振り返る。

「じゃあね」とそれぞれの方向に歩き出したあと、サンフランシスコの急な坂道でベビーカーを押しながら、何度も何度も振り返って姿を目に焼き付ける。

最後になっても後悔しないように、と言うとすごくネガティブに聞こえるけれど、それは私にとって「また会えるおまじない」に近いのかもしれない。


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