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NYの雨も日差しもあびて

息苦しくて目が覚めた。おなかの上に妹の足が乗っている。両足とも。信じられない。

そういえば、実家にいたときは母と妹と川の字で寝ていて、こんなことがよくあったなあ。あれは何年前になるだろう。

5年前、妹は、進路に悩んでいたかと思えば急に「ニューヨークで勉強したい」と言って、勉強して受験して、渡米していった。それが、あっという間に5年。そしてこの5月、妹はようやく長かった学生生活に終止符を打ったのだ。

卒業と26歳の誕生日を祝うため、私は母ともうすぐ1歳になる娘を連れ、19時間かけて、やっとこさニューヨークの街に辿り着いた。


3年前にも、この街には来たことがあった。世界中から集まる多様な人たち、運転の荒いイエローキャブ、本場のブロードウェイミュージカル。当時ニューヨークに住み始めたばかりだった妹と巡るニューヨークは、にぎやかな街だった。

今回の旅で「どこ行きたい?」と聞かれても、「前回、ひと通り見たしなあ」なんて思っていて、実は行くかどうかも迷っていたのが正直なところ。

それでも行くことを決めたのは「実際に会いに行くこと」が大切な気がしたからだ。「卒業おめでとう!」と電話してプレゼントを贈ることはできたけれど、今回は娘を連れて直接おめでとうと言うことが、すごく大事な気がしていた。それは妹にとっても、ずっと応援してきた私にとっても。


テクノロジーの進歩ってやつは、本当にすごい。

妹とは、よくビデオ電話で話している。特に娘が生まれてからは、ほぼ毎日。いい時代だ。離れていても、まるで側にいるみたいにお互いの距離を縮められる。

そう思っていた、いや、今もそう思ってる、けれど実際にニューヨークに来てみたら、少し違う感想も持ち始めたのも事実だ。

ワンルームの部屋、ニューヨークの街、妹の大切な人たち。

ずっとビデオ電話越しに見ていたそれらを、私は知った気になっていたけれど、実際に見て、感じて、話をした途端、急に現実のものとなった。

部屋は思ったよりも狭かったけど居心地がよくて、妹の友人たちは優しくて、前回来たときに比べてニューヨークは「彼女の街」になっているようだった。それが急に寂しく、そして嬉しかった。

そうか。妹はずっとここで、勉強してバイトして遊んで。多くの人に出会って支えられて。妹はこの街で「生きて」いるんだ。

「ここのレストランはよく友達と来る」

「バイト終わりはいつもこの道を通るんだよ」

妹の日常が見えてきたら、なんだか、急に楽しくなってきた。私もこの街が好きになってきた。 地図を見ながら、この街を知りたくなってきた。

妹は、娘を抱き上げて「重いなァ!」と言った。小さな掌でパチパチと顔を叩かれて「痛い痛い」と嬉しそうに笑っていた。オムツに広がるウンチを見て「うわあ、すごい!」と叫んだ。

そして私たち家族は、旅行中ずっと、何かしらくだらないことで笑っていたような気がする。ビデオ電話じゃわざわざ言わないくらい、くだらないことだ。顔を見るだけで笑っちゃうような、くすぐったい空気感があった。

テクノロジーでは何かが足りないってこと、本当はわかっていたんだと思う。だから「そりゃあ絶対に絶対に、大変だぞ」とわかっていた長時間のフライト、時差ボケの赤子を徹夜で寝かしつける覚悟を決めて、飛んできたのだ。

テクノロジーさんよ、ずいぶん遠くまできたけれど、まだまだリアルには敵わないみたいだ。

赤子の掌のやわらかさ、箸が転げても笑っちゃう空気、街に降る雨の冷たさ、そして腹の上に乗る両足の重み。

はやく、そんなところまでテクノロジーで伝わればいいのに。そう思う反面、この「会いたい」と思う気持ちを忘れたくないとも思う。それが一番、私を旅に駆り立てる。

帰り際、妹は、私たちの姿が見えなくなるまでずっとずっと、何度も何度も手を振っていた。お別れで必ず泣いてしまうのは、もうお決まりになっていて、むしろ笑えてくるのに、やっぱり泣いてしまう。次に妹に会えるのはいつだろう。

「学生」というステージを終えた彼女の目の前には、月並みな言い方だけど、真っ白いキャンバスが目の前に広がっている。就職もまだ決まっていない、帰国するのかもわからない。でも私はまったく心配していない。ニューヨークの街を早歩きで進む妹は、覚えているよりもずっと強い女性だった。

次に会うときは、どんなふうになっているだろうか。

それはたぶん、ビデオや文字で本当にはわからない。その独特の空気感は、テクノロジーでは作れない。次にまた会う日までのお楽しみだ。

そして私とニューヨークという街の関係もまた、真っ白な状態に戻った。また訪れるかもしれない、もう戻ることはないかもしれない。でも妹に関わる多くの人には、また会いたいな。そう思いながら飛行機に乗った。


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