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助かったはずの223の命

ほんの一瞬で世界が変わった。

2016年4月14日午後9時26分、震度7の地震が熊本県を襲った。益城町を中心に甚大な被害が生じたが、これはまだ悪夢の始まりに過ぎなかった。
「(14日より)大きな地震はこないだろう。」
誰もがそう思っていた。しかし、彼らは突然やってくる。2日後の16日午前1時25分に、追い打ちをかけるように「本震」が発生し、益城町と西原村で再び震度7を記録した。僅か28時間のうちに震度7を記録したのは観測史上初めてのことで、13万4450棟が一部損壊し、約4万棟が半壊または全壊した。この熊本地震による死者は2019年4月現在で、273名にも上る。

しかし、その全ての人が地震で命を落としたのではない。

地震による直接死で亡くなったのは273人のうち50人だけである。すなわち、223人の人達が1度は地震から生き延びたのである。では彼らは何に殺されたのか。それは「災害関連死」だ。

災害関連死とは
地震による建物の倒壊、火災、津波など震災を直接的な原因とする死亡(直接死)ではなく、間接的な原因による死亡のこと。長引く避難所生活で体調を崩したことによる死亡や持病の悪化のほか、病院の機能停止による既往症の悪化、ストレスやPTSD(心的外傷後ストレス障害)による死亡、将来に絶望した自殺などが該当する。65歳以上の高齢者が多数を占めている。法律上の明確な定義はなく、遺族の申請を受けた市町村(または市町村の委託を受けた都道府県)が震災との因果関係を審査して認定する。認められれば、災害弔慰金支給法に基づき、市町村・都道府県・国から、家計を支えていた世帯主については500万円、それ以外の人の場合は250万円が遺族に支払われる。(日本大百科全書より引用)

これこそが災害後に犠牲者が増える最大の原因である。事実、阪神・淡路大震災では、死者6402人のうち919人、新潟県中越地震では68人のうち52人が災害関連死である。そして記憶に新しい2011年の東日本大震災では、死者1万9630人中3637人もの命が災害関連死で奪われた。地震の被害で住む家をなくした人達は、避難所での生活や車中泊を強いられる。電気は停電で使えず、水も食糧も満足に得られない。夜になれば、またあの悪夢が再び襲ってくるのではないか、そのような不安を抱えながら眠りにつく。平和だった日常から突然、不安と不満の日々に変わると、心も体も蝕まれる。

「災害弱者」と呼ばれる人達
震災後の日々を必死に生きる人達の中で、死神が最も目をつけるのが災害弱者と呼ばれる、高齢者や体の不自由な人達である。熊本地震での災害関連死の9割が、60代以上の高齢者である。彼らは若い人に比べて、免疫力が弱く様々な病気になる危険性が高い。中でも多いのが脳卒中や心筋梗塞などの循環器系疾患だ。また、エコノミークラス症候群も災害時に引き起こしやすい症状である。ふくらはぎなどの静脈に血の塊ができ、肺の血管を詰まらせる疾患だ。本来は海外旅行などの飛行機で長い時間、同じ姿勢をとると起きる症状なのだが、震災中の避難所生活による運動不足と水分不足で多くの高齢者が発症しやすい。熊本地震で、同症状が理由で入院を余儀なくされた患者は51人にも上った。病院や避難所が彼らをサポートできれば、このような病気で亡くなる人を減らせたかもしれない。しかし実際は、物資不足や避難者への対応で手一杯で、高齢者への十分なケアが出来ていなかった。

助かったと思ったのに・・・
熊本県嘉島町に住む本田金一さんと妻の澄子さんは、16日の本震で家が全壊した。金一さんは倒れてきた柱で身動きが取れなかったが、約3時間半後に救出され、そのまま病院に搬送された。両脚大腿部を骨折。県内で応急処置を受けた後、手術のために佐賀市の病院へ運ばれた。27日に行われた手術は11時間にも及んだが、無事に成功しリハビリも始めた。しかし、助かったと思ったのも束の間、数日後に容体が急変した。呼吸が不規則になり、人工呼吸器をつけたが、12日に息を引き取った。死因は肺炎だった。「震災が無ければ耐えられたと思うが、ケガや手術で体力を消耗し、細菌への抵抗力も相当弱っておられた。」医師は悔しそうに語った。地震から一ヵ月後の出来事だったが、金一さんは震災関連死に認定された。入院や長引く避難生活が被災者の体力を奪い、免疫力が普段より低下した結果、病気になり震災関連死となる可能性が大きい。金一さんのように災害による直接死ではなく、1カ月ほど経ったあとに災害関連死で命を落とす人は非常に多い。東日本大震災では、地震発生から一ヵ月後に1201人が亡くなっているのに対し、一ヵ月以降はその倍の2206人もの人が亡くなっている。

集中豪雨による6人の被害者
熊本地震からわずか2カ月後に、一時間に100ミリを超す豪雨が九州地方を襲った。熊本では6人が土砂崩れにより命を落とし、そのうちの5人は熊本地震の影響での地盤の緩みが原因だとして、震災関連死に認定された。このように災害が終わった後も爪痕を残し、人々を苦しめるのが震災という悪魔である。一度助かったはずの命を守ることが出来なかった。

不平等な命
「命はみんな平等だ」と、小学校で習ったがそれは正しいと言えるのだろうか。熊本の集中豪雨では6人中5人が震災関連死に認定されたと述べたが、1人は認定されなかった。これは、震災関連死の基準が市町村ごとに異なることが要因である。政府は、「基準を設けてしまうと自治体の認定と食い違いが生じ、混乱を招く恐れがある」として認定基準を設けていない。認定される人とそうでない人の境界線が曖昧なため、公平に判断されているとは言えない。

増え続ける犠牲者
震災の犠牲者は今も増え続けている。地震から3年経った現在も、家を失ったまま、仮設住宅で暮らしている人もいる。去年の一年間だけでも9人の人が震災関連死に認定された。中でも高齢者の孤独死が問題である。震災の不安をずっと拭えず、悩みや不安を話す相手がいないため、将来に絶望して自殺する人もいる。8年経った東日本大震災の被災者の方も、今でも当時の悲惨な光景に忘れられずに、孤独死や自殺をする人が後を絶たない。震災から時間が経過し、街が復興しても、人々の心に震災の恐怖は住み続け、災害関連死が増え続けているのが現状だ。災害関連死自体が、すでに終わりの見えない一つの災害となってしまっている。

震災復興が終わる日は来るのか

あの悪夢の日から3年の月日が流れ、街は昔の活気あふれる姿を取り戻した。しかし、今も震災の被害によって苦しんでいる人が大勢いる。災害の犠牲者を減らすためには、一人でも多くの人を災害関連死から救うことだ。過去をどれだけ悔やんでも、変えることはできない。前を向いて進むしか、道はないのだ。熊本地震だけでなく、全ての災害で命を落とした一人ひとりを見つめ直し、その死を決して無駄にせず、教訓にしなければならない。そうすれば、今を生きていることが当たり前ではなく、特別で幸福なことだと気付く。無駄な命などひとつもない。
「助かったはずの命だった」
この言葉が二度と使われない世界が訪れたら、本当の意味で震災復興が完了したと言えるに違いない。

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