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あたりまえの素晴らしさ

日本は素晴らしい国だ。

日本を訪れる多くの外国人がその言葉を口にする。”クールジャパン”という言葉にあるように、外国人から魅力的に見えることが日本にはたくさんある。僕ら日本人にも、日本は他の国に比べて素晴らしい国だと感じている人も多いはずだ。しかし、僕は生まれてから20年間ずっと暮らしてきたこの国を、一度も素晴らしい国だと感じなかった。たった数日間、日本を訪れた観光客ですら気づけることを、20年かけても気づけなかった。なぜなら、それらが僕にとってあたりまえだったからだ。日本の素晴らしさに気づかされたのは、初めて日本を出たとき、ドイツ留学だった。

ドイツ留学へ行く前、日本のことをよく知らなかった。日本の面積も知らなければ、天皇の名前も分からなかった。日本人なのに?と思うだろうが、案外そんなもんだ。高尾山を知らないと答えた僕に、ドイツ人の友人は呆れた。事実、その友人の方が僕より日本に詳しかったのだ。僕は日本国内をほとんど旅行したことがない。行ったことがある場所もせいぜい、中学校の修学旅行で行った京都や、今住んでいる東京くらいだ。こんなに日本に無知なのも、逆に珍しいかもしれない。
「日本国内なら行こうと思えばいつでもいけるしなぁ。」 
この考えが、日本の素晴らしさを知るきっかけを邪魔していた。それに加え、どうせ日本の風景なんてありきたりで見応えがないと決めつけている自分もいた。ドイツから帰って来た今は、日本各地を見て回りたいと思う。

しかし、これまた面白いことに、僕はその友人よりドイツの観光地について詳しかった。やはり、さっきの考えは誰しもが持つものなのだろう。例えるなら、東京人が東京タワーに行ったことがないようなものだ。その土地にずっと住んでいると、環境や文化に慣れてしまい、何もかもあたりまえに感じてしまう。実はそれが、特別で幸福なことであるとしても、気づくことができないのだ。だからいっそのこと、各国の人達を集めて自分の国ではなく、他の国の素晴らしさをアピールし合う会議でも開こう。そうすれば、みんなが自分の国の素晴らしさに気づけるはずだ。灯台の下で暗くて見えない場所は、別の灯台で照らせば見えてくる。

このように、日本についてよく知らなかった僕から、これを読んでいる読者に質問を投げかけたい。日本の素晴らしいところってどんなところ?
日本食が美味しい?着物などの日本の文化?おもてなしの心?
確かに、日本食は世界で一番美味しいし、日本独自の素晴らしい文化があり、店員の接客態度は丁寧で素晴らしい。しかし、僕がここで伝えたいのは、日本に住んでいる人が恐らく気にも留めないことだ。日本から飛び出し、ドイツという日本と全く異なる土地で暮らした経験から気づかされた。

この文章を読んでいる人は、恐らく携帯もしくはパソコンなど何かしらインターネットを使える機器を持っているということだ。そして、この文章を読んでいる場所はどこかのカフェか、はたまた電車の中か、それとも公園のベンチかもしれない。そこで次にこんな質問をしたい。
これを読んでいる人で、帰る家がない人は?
この文章を読めるほとんどの人には帰る家があるはずだ。なぜなら、家に住むことがあたりまえだからだ。ホームレスなんて日本では滅多に見かけない。それもそのはず、日本のホームレスの数は全国でたったの5000人弱しかいないのだから。そして、年々その数も減ってきている。
しかし、僕はドイツでたくさんのホームレスを目の当たりにした。彼らは街中の至る所にいる。駅のホーム、スーパーの前、教会の入り口、道路のわき。ある人は寒さをしのぐために、銀行のATMがある部屋で寝泊まりしていた。彼らは通り過ぎる人々を見つめ、永遠と空の紙コップを揺すっている。人種も性別もばらばらで、腕や足が無い人もいた。ドイツは欧州の中で、経済も好調で失業率だって日本とそれほど変わらない。それなのに、ドイツには約80万もの人が帰る家を持っていない。そして、彼らがまるで存在しないかのように、平然と目の前を通り過ぎるのが、ドイツのあたりまえだった。

次に、この文章を読むことができるのは、日本語を読むことができる人だけだ。日本に住んでいる以上、母語である日本語を読み書きできて当然である。そして、日本に住んでいる98%がこの文章をすらすら読めて、残りの2%の人は読めないかもしれない。その2%とは、在留外国人だ。近年、日本もグローバル化が進み、昔よりたくさんの外国人を見かけるようになった。東京オリンピックを来年に控え、今後更に多くの外国人が日本を訪れるだろう。日本人だけ、日本語だけの国ではなくなりつつある。英語や中国語がたまに聞こえはするが、それでも街で聞こえてくる言葉のほとんどが日本語だ。
一方でドイツはというと、全人口の約10%をトルコやポーランドといった国からの移民が占めている。移民政策により、移民はドイツ語の授業を受ける義務があるため、ドイツ語を話すことが出来るが、それが彼らの母語ではない。そのため、十分な教育を受けられない移民は仕事に就く機会も乏しく、厳しい生活を強いられる。また、移民受け入れに反対するドイツ市民が多く、2018年の10月に行われたデモでは、約24万人が参加した。日に日に、移民に対する風当たりが強くなっている。
僕が留学したライプツィヒという街には、移民が多く住む地域があり、そこに”Das japanisches Haus(日本の家)”という日本人が経営している施設がある。そこでは、ドイツ人の他にも様々な国から来た人々が集まり、母国の料理をそこに集まった人達がふるまう。料理を食べ、知らない人同士でお酒を飲みながら言葉を交わす。その中には当然、移民の人々が多く、一人の男性は家もなければ身分証明書すら持っていなかった。日本の家には、日本では感じられない独特な雰囲気が広がっていた。

ドイツへ行くまで、僕にとって日本での暮らしがあたりまえだった。普通に学校へ行き、友達と日本語で会話し、当然のように家へ帰る。しかし、それは日本だからこそできることなのだ。もし僕がドイツに住む移民だったら、学校にも行けず、友達とは不慣れなドイツ語を話し、路上で暮らしていたかもしれない。そう考えたとき、日本に生まれ、普通に暮らしていたことが、どんなに幸せで特別なことかに気づいた。日本食や文化などから日本の素晴らしさを感じることもできるが、僕がドイツに住んでみて気づいたことは、そんなことよりももっと根本的で、基本的な部分だった。日本から飛び出して初めて気づけたように、日本に住んでいる人は中々それに気づけない。だから、日本から外の世界へ一度目を向けてほしい。場所は世界中どこでもいいし、1週間でも1年でもかまわない。形はどうあれ一度離れてみると、日本という国を客観的に見られるようになる。そこに、日本の素晴らしさが隠されているのだ。そして、そのあたりまえの素晴らしさに気づいたとき、日本のことをもっと好きになり、日本人であることを誇りに思えるはずだ。






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