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糖尿病とカーティス・メイフィールド


カーティス・メイフィールドというミュージシャンをご存じだろうか。音楽好き、特にR&B好きならば知らない人はおそらく少ないだろう。長きにわたりR&B、ソウルミュージック、ファンクの偉大なトップアーティストとして知られる大御所だ。「ローリングストーンズ誌の選ぶ歴史上もっとも偉大な100人のシンガー」では40位に輝き、同「偉大な100人のギタリスト」では38位に位置する。

もっとも知名度が高い曲と言えば、1970年に発表された「Move On Up」で、カーティス・メイフィールドの名を知らない人でもあの有名なフレーズは聞いたことがあるかもしれない。いまなおソウルミュージックのスタンダードとして愛され続けている。私が学生時代に初めてソウルミュージックを調べたときに出会ったのも彼だった。

そんな彼は1999年に57歳という比較的早くに亡くなられている。多くの偉大なミュージシャンが短命である、というのはよく言われることで、20代で悲劇の死を迎えるアーティストは少なくないが、それでも57歳というのは悔やまれる年齢である。同時代のミュージシャンにはスティービーワンダーがいるが、もし彼が今も健在なら、どれほどの音楽を残しただろうか。

糖尿病足病変と切断

1990年に彼はブルックリンの野外ライブで起きた事故で、首から下に麻痺を患い、車椅子生活を余儀なくされるようになり、90年代はほとんど作品を残すことはなかった。

この麻痺に加え、彼は糖尿病を患っていた。2型の糖尿病である。彼の直接の死因は、実際にはこの糖尿病の合併症である。麻痺による長いリハビリ、苦悩の中、彼の死の一年前に当たる1998年に、彼は糖尿病の合併症を原因として、右足を切断している。糖尿病で足を切断するというのは、非常に重い糖尿病の症状の一つである。

糖尿病で足部を切断する、ということは実は当事者以外にはあまり知られていないことのように思う。なぜ糖尿病で足を切断するに至ってしまうのだろうか。実は、足部を切断する理由の多くは糖尿病が占めている。2016年の情報では、糖尿病による切断は交通事故に次いで多く、23%を占めた。(1)

糖尿病の症状として、高い血糖値による血行障害がある。悪化すると動脈硬化が進行し、血流が悪くなるのだ。加えて高血糖により、白血球の機能が悪くなり、感染症を起こしやすくなる。たとえば、小さな擦り傷ができると、それが治りづらくなり、膿んでしまうことが多くなるわけだ。さらに糖尿病では神経も障害される。つまり、痛みを感じなくなってしまう。それゆえ、小さな傷ができ、それが感染を起こし、壊死してしまっても痛みを感じずさらに進行させてしまうことが多い。この結果として、足部壊死による切断をせざる得ない状況に追い込まれるのだ。これら一連の糖尿病の症状が足に生じているものは、糖尿病足病変と呼ばれる。

ちなみに、足を膝から下で切断した糖尿病患者の予後は一般に非常に悪いといわれている。いくつかの報告があるが、大切断後の5年後生存率は42%とも言われている。(2)

切断後の寝たきり生活になってしまうとその先は長くない。また、膝から下、足首の働きは実は血流にとって非常に重要で、足は第二の心臓と言われるが、歩くことでポンプのようにして血流を心臓に戻す役割がある。膝から下で大きく切断した場合、この機能が失われ、血行障害がより進行する。

カーティス・メイフィールドは事故で麻痺を患っており、既に車いす生活を余儀なくされていた。おそらくこのことは糖尿病を悪化させたことだろう。そして足部切断の1年後に亡くなっている。

靴と、糖尿病。

糖尿病患者にとって歩く、というのは寿命を大きく伸ばすうえで非常に重要なことなのだ。なるべく歩いたほうが良いというのは糖尿病治療でよく言われることだが、ここで気を付けなくてはいけないのが靴である。

私はドイツで医療用の靴を作る靴職人を生業としているが、糖尿病はまさに今最も多くの受注がある症例の一つだ。

先に話したように小さな傷が糖尿病患者にとっては命取りである。そこから感染が広がり切断に至るためだ。つまり、あらゆる靴擦れは致命傷になりえてしまうのだ。そして患者は神経障害で感覚が消失していることが多いためそれに気づくことがない。合わない靴を履いて歩いた場合、みるみるうちに悪化させてしまうことはある。整形靴職人として働いていると、大きく壊死した足に出会うことは決して稀ではない。

つまり、糖尿病患者にとっては、糖尿病を考慮した優れた靴が必要なのだ。靴の内側に傷の原因になりうる縫い目がかからないよう配慮したり、素材を柔らかい特殊な素材に変えたり、足底装具と呼ばれる中敷きを、糖尿病に適した形で製作したり、と様々な処置が必要になる。靴医療の先進国ドイツではこうした処置はいまや一般的な物になっているが、日本では残念ながらまだこうした知見は医師をもってしてもまだ浸透しているとは言えない。

カーティスが事故で麻痺を患い、糖尿病で亡くなられていたという事を知ったのは私がドイツで整形靴職人の修業を始めた後のことだが、それを知ったとき、麻痺も糖尿病も、私たちの仕事の範疇にある、ということがまず頭に浮かんだ。

もちろん、彼が整形靴を使えば歩けたかどうか、というのは別の話だし、糖尿病には様々な病態があるから、だからといって何がどうというわけではない。しかし、未来に糖尿病を患う人がいたとすれば、彼らを救える可能性が私たちの職業にはある。糖尿病を患う人に一足でも多くの靴を届けられれば、未来の誰かの寿命を延ばすことは可能だ。

最晩年のアルバム「New World Order」

カーティスは最晩年にあたる1996年、1990年から長く続く壮絶なリハビリを乗り越え、アルバム「New World Order」をリリースしている。このアルバムは、首から下が麻痺で不随となっている中で作曲、レコーディングされた。ベッドの上で横になりながらならば、横隔膜に空気を送ることができ歌うことができる、という事に彼は気づいたのだ。そうしてなんとか、1フレーズずつ歌うことでレコーディングを進めた。このアルバムは生前のカーティス・メイフィールドが最後に届けた魂の音楽、ソウルミュージックだった。

ささやくような、しかし、魂に響く歌声。いったいどんな気持ちでこのアルバムを歌い切ったのだろう。どんな困難の中でも最後まで歌うことをやめなかった偉大なミュージシャン、カーティス・メイフィールドの中に、生きる強い意志と魂を感じ、この上ない尊敬をささげたい。同時にカーティス・メイフィールドの生き方に触れるにつけ、また同じ疾患で苦しむ糖尿病患者の皆様へ、どうか少しでもより良き医療が届けられますようにと願ってやまない。





(1)「国立障害者リハビリテーションセンター病院の補装具診療外来を受診した新規切断者の特徴」『研究紀要第37号』p.48http://www.rehab.go.jp/application/files/3316/1278/3119/37-04.pdf(2023年4月24日pdf閲覧)

(2)2012年ネット記事より参照。参考にする記述により数値に前後があるため参考のみとする。
https://medical-tribune.co.jp/kenko100/articles/120123525200/


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